3話

「いいか? 熱中症は誰でもなる可能性があるけど、運動不足だったり、寝不足だったりすると発症のリスクが上がる。夏休みだからって適当な食事に涼しい部屋で寝転がってるだけとか、昼夜がひっくり返るような生活はダメだぞ」


 その指摘は乙芽にとって当てはまる部分もあったが、「はぁ〜い」と気のない返事をした。帰ってからどのお菓子を食べようか、と頭に思い浮かべながら、葵の手を引く。


「行こ、おねえちゃん」

「あ、うん」


 ペースを合わせて歩く葵から視線を感じて隣を見上げる。それに気付いてハッとした後、にこりと笑う。


「もう大丈夫みたいだね。良かった。えっと……おとめちゃん、でいいんだよね?」

「うん、佐柳乙芽。中等部の1年だよ」

「わたしは真島葵。高1。よろしくね。それで、なんでわたしが乙芽ちゃんのお姉ちゃんなの?」


 子どもが産まれれば当然その子にかかりきりになるわけで。今はいつ産気づいても大丈夫なように母と一緒にいるけど、退院したら義兄とともに家に帰ることになる。そうなればもっと会える機会は少なくなるはずだ。

 この夏休みの間に産まれるはずだから、貴根を独り占めしてめいっぱい甘えられる時間はもう多くない。


「だから、いっぱい甘えていいお姉ちゃんがもう一人いたらいいなって」

「そっか……でも私、妹いるから、乙芽ちゃんだけのお姉ちゃんにはなれないなー」

「え、そうなの?」


 あからさまにしょんぼりと肩を落とすので、慌てて葵が付け加えた。


「あっ、えっと、まだ小学生だし、入学してくるのは私が大学に入った後だから、えーっと、つまり……お姉ちゃんしてもいいよ!」


 つい了承してしまい、しまった、と少し後悔した。しかし隣を見ればぱぁっと顔を輝かせた乙芽が葵を見ているので、今更やっぱり間違えました、とはとても言えない雰囲気だ。


「じゃあ、後でお部屋に遊びに行ってもいい?」


 わくわくしながら問うが、葵は再び気まずそうに視線を逸らす。


「……ごめんね、私、寮生じゃないから。家に帰らないと」

「じゃあ、明日は会えないの?」


 送ると言ってくれるくらいだから寮生なのだろうと当然のように思っていた乙芽は、せっかく新しくできたお姉ちゃんも長時間一緒にいられるわけではないと知ってつい落ち込んでしまう。

 寮生だったら、高等部と中等部で棟は違っていても門限までに戻ればいいから、たとえ葵に部活があったとしても夕方や夜の間は会えるのだ。


「うーん、部活はないから来る予定はないんだけど……ショッピングでもする?」


 そう提案されて、必要なものがポンと一つ頭に浮かんだ。


「水着! りんりん学校に持っていく水着がいるの! 一緒に選んで?」


 りんりん学校は、星花女子学園夏の一大イベント、2泊3日の臨海・林間学校のこと。

 海で遊べるタイミングもあるので、水着が必須だ。スクール水着でも問題はないけれど、せっかくなら可愛い水着が欲しい、と話したところ、乙芽は母からのお小遣いをゲットしている。


「わかった。じゃあ決定だね。もう寮に着いちゃったし、細かいことは後で決めようか。連絡先を教えてくれる?」


 そうして連絡先を交換した後。離れがたい乙芽はしばらく抱きついて離れず、振りほどくこともできない葵は、彼女が満足するまでされるがままだった。

 部屋に戻ってから、さっそく貴根に電話をかける。


「お姉ちゃん? 今ね、葵お姉ちゃんに寮まで送ってもらって帰ってきたとこー」

『もう大丈夫なの? 本当にお姉ちゃん心配だったんだからね? 熱中症になるなんて、もしかして帽子も日傘もなく歩いてたの? ママからお小遣いもらったんだったら、水着と一緒に買いなさい。日焼け止めは塗ってたんでしょうね?』


 珍しく早口でまくし立てる姉を不思議に思いながら、冷凍庫から取り出したアイスにかぶりつく。


「うん。もう大丈夫だよ。日焼け止めは……塗ってくれる人がいないんだもん」


 常に姉にお世話してもらっていた入学前までの暮らしが未だに抜けず、寮生活になってからも乙芽の生活は必要最低限しか自分でやることはない。日焼け止めを塗る行為は最低限に含まれないのだ。


『ちょっとの外出でもちゃんと自分で塗りなさい。そのために買ってあげたんだから。葵さんって誰? どんな人? 危ない人じゃないでしょうね? 知らない人についてっちゃダメだってお姉ちゃん言ったよね?』

「えと、葵お姉ちゃんは私を保健室に連れてってくれた人だよ。高等部の1年生だって。星花の生徒だから危ないわけないよ。葵お姉ちゃんは、優しくていい人だよ? あのね、明日お買い物に行くんだぁ。水着一緒に選んでくれることになったの」

『今日会ったばかりなんでしょ? なんでそんな約束しちゃうの? お姉ちゃん今はついて行くこともできないんだから。せめてママも一緒に行きなさい』


 声が大きく強くなっていることには気づいたが、そこまで心配される理由がよく分からず首を傾げた。


「大丈夫だし、ママはだめだよ。お姉ちゃんが困るでしょ」


 貴根が今実家にいるのは、いつ産まれてもおかしくない身で家に一人でいるのを心配した母親と、仕事が忙しく帰りが遅くなることも多い義兄によって決められたことだ。

 専業主婦の母親は、週に一回程度の買い物以外は家にいられる。貴根の不安を聞いたりこれから必要になるものについての相談に乗ることもできる。自分は話を聞くだけで、分かってやることはできない。経験者である母のところにいてくれる方が、自分も安心できると義兄が言っていたのを乙芽は知っている。


「……お友達と遊びに行くだけだよ?」

『分かってる。でも乙芽は可愛いんだから、警戒してもしたりないのよ』

「うーん。じゃあ、明日、会う? まだ詳しく決めてないから、何時になるかは相談しないとだけど。一回会えば、安心できる?」


 この時期に姉が心配事を増やすのは、乙芽だって本意ではないのだ。でも、葵とはこれからも付き合っていくつもりなのだから、一度会って安心してもらえるならそれがいい。


『そうして。ママにも話しておくから。時間が決まったらまた連絡して』


 絶対よ、と念押しした後、ようやく通話を切った。

 まだ葵は家に着いていない時間だ。

 保健室で涼んだとはいえ汗をかいた後の体が流石に気持ち悪くて、大浴場に向かおうと決める。

 基本的にめんどくさがりでギリギリまで粘る乙芽も、この暑い時期のお風呂だけは例外だ。


「うー……めんどくさー」


 ……かなり、不本意ではあるが。

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