2話

 見覚えのない天井をぼんやりと眺める。いつの間にか眠ってたんだっけ、と思いながら乙芽は体を起こし、うーんと伸びをした。


「よくねたぁ」


 スッキリした目覚めだ。スマホを開けば、姉の貴根たかねから心配するメッセージがいくつか入っていた。

 久しぶりに顔を出してみようかと、イラスト部の部室がある旧校舎に向かってのんびり歩きながら貴根と電話していたことを思い出す。何故か段々と気分が悪くなって、ここに運ばれたのだ。


『今起きた、もう大丈夫だから後でまた電話かけるね』


 そうメッセージを送ったところで、声をかけられシャッとカーテンが開く。


「調子はどうだ? もう気分は悪くない?」

「はい! えーっと……八神せんせー!」


 今まで保健室に馴染みがなかった乙芽は名前が出るのに時間がかかる。驚かれたのでもしかして間違えたかな、と首を傾げていると、「そう呼ばれる方が珍しくなってるな」とボソッと呟いたのが聞こえた。間違えたわけではないらしい。

 ここに連れてきてくれた上級生を思い出し、パッと顔を上げる。


「やがみん!!」

「言い直さんでよろしい。顔色も良くなってるな。えっとそれで、名前は?」

「佐柳乙芽。中等部の1年1組です」


 乙芽がそう答えると、寮生か、と再び問われた。星花生は家から通う生徒と寮生がおり、中等部と高等部それぞれに、成績優秀者が入寮する菊花寮と、一般生徒が入寮する桜花寮がある。乙芽は後者だ。


「それなら、もう少し待ってろ。真島が迎えに来てくれるから、一緒に帰ってくれた方がこちらも安心だ」

「まじま?」

「真島葵。ここに送ってくれた上級生。高等部の1年だったはずだ」

「まじまあおい……」


 ちゃんとお礼を言える機会があることにホッとしながらぴょんと立ち上がり、乙芽は初めての保健室をキョロキョロと見回す。

 壁際に並んだ本の1冊に目が止まり、背表紙をなぞった。


「……子ども産むのって、怖くないのかな」

「急にどうした? まあ、当事者にしか分からないくらい怖いはずだ。想像したってたかが知れてる」


 本を捲りながら少し読む。実家にもたくさんあるが、積まれているのを見ただけで目を通したことはまだなかった。


「なんでこんな本置いてるの?」

「そりゃあ、まあ……全くない話じゃないからな。学生で妊娠するのは。あたしはまだ出会ったことないけど」


 乙芽の頭によぎったのは、先程メッセージを送ったばかりの姉のことだ。いつ産まれてもおかしくない臨月のお腹は、想像以上に大きくて、何をするにも大変そうなのだ。


「体が自分のものじゃないみたいで、ここにあるくらい、いっぱい本を読んでも読み足りないんだって」

「……うん?」

「気持ち悪くて、何も食べれないんだよね。酷いとトイレから出られないし……」


 妊娠が分かってからこれまで、寮生になってからは毎日一緒にいられるわけではないけど、できるだけ一緒にいたつもりだ。自分が甘えたいという我儘が1番ではあるけど。姉は帰るといつも喜んでくれた。

 そんなことを思い出しているうち、聞いている麗緒の顔から血の気が引いていったのだが、乙芽は全く気づいていなかった。


「ちょっ、ちょっと待て。なんの話だ?」

「え? お姉ちゃん。今までいっぱい可愛がってもらってたのに、もうすぐ赤ちゃんに取られちゃう。産まれてくれたら嬉しいけど……」


 一瞬目を丸くした後、はぁー、と麗緒が深いため息をつくのを不思議そうに見てから、ムスッと頬を膨らませる。


「今まではわたしだけだったのに……」


 その時、ガラッと戸が開いた。現れたの葵だ。

 彼女を見てそうだ、とひらめく。もう1人お姉ちゃんがいればいい。甘えられる対象が欲しいのだ。誰でもいいわけじゃないけど、この人は、いい人だし。


「あ、起きたんだね。体調はどう? 歩いて寮まで戻れそう?」


 うんうん、と1人納得した乙芽はぱたぱたと駆けて思いきりその腰にぎゅっと抱きついた。


「今日からわたしのお姉ちゃんね、葵おねーちゃん!」

「ん? え、なになに? 何の話?」

「うふふん♪」

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