ハグはおやつに入りますか?

李紅影珠(いくえいじゅ)

1話

「ふー……さて、今日はどんなカップルがいるかなぁ~」


 ふふ、とご機嫌な笑顔を浮かべながら、真島葵まじまあおいは、今は人気ひとけのない校舎の階段を昇る。

 夏休みは始まったばかり。とはいえ、大量の宿題と部活に追われる毎日で、長期休みという感覚はあまりない。

 そんな彼女の癒しが、この休憩時間。夏休み期間は人がいることの少ない校舎から、人間観察をする。と、言えばまだ聞こえはいいが、この星花女子学園において、人のいなさそうなスポットはどこもカップルが密かにイチャイチャするのに好都合。決して珍しくはないそんな二人を眺めて妄想するのが葵の日課である。


 今朝通学中に読んでいたweb小説は、一見生真面目系のクラス委員長が先生の手にも負えない問題児をあの手この手で矯正していく話だった。実は最初からその気で近づいた委員長に、抗うものの最終的にまんまと堕ちてしまう。繰り返される濃厚なキスシーンやもはや負け確定の状況でも涙目で睨み続ける描写はたまらなく良かった。しかしこんな物語でも、星花女子学園では有り得ない話とはいえないのだ。頭の中を桃色に染めきった頃、階段をのぼり終えて窓越しに外を見下ろす。


「……あれ? あの子、」


 しかしこの日最初に目に入ったのは、怪しい雰囲気の2人などではなく、スマホを耳にあてながらフラフラと歩いている少女だった。すぐに持っていたポケットサイズの双眼鏡で少女を見る。明らかに足取りがおぼつかない。何か話しているようだったが、少ししてその場に座り込んでしまった。グラウンドには陸上部以外にもたくさんの生徒が部活に励んでいるが、離れているせいか誰も少女に気づく気配はない。


「ちょっと、やばくない?」


 そこには木々もないため、日差しが直接当たる。それによって熱されたアスファルトだってかなりの温度になっているはず。

 ただの休憩ならまだいいけれど、その顔色になんだか胸騒ぎを覚え、来たばかりの道を駆け下りていった。ただの勘違いならいい。それでも、あの場所に長時間いるのは体に良くないはずだ。

 途中の自販機でスポーツドリンクを購入し、少女の元にたどり着く。ぐったりとした様子で、手に握ったままのスマホからは、悲鳴のような声が聞こえてくる。


「君、これはやく飲んで」


 蓋を開けて、買ったばかりのペットボトルを差し出した。

 ごくごくと喉を鳴らしながら、あっという間に中身が減っていく。

「おとめ」それが少女の名前なのだろう。電話口からずっと女性の声が聞こえてる。けれど、まだそれに答えられる状況じゃなさそうだ。


「ぷはっ。おいしい」

「歩けそう?」

「うー……まだちょっときもちわるくて」

「分かった。じゃあ保健室まで送るから、掴まって」


 背負ってから、保健室へと急いだ。


「やがみん、この子熱中症みたい。これを飲んだとこだけど、まだ気分悪いって」


 扉を開ければ、保健医の八神麗緒やがみれおが昼食の最中だった。事態を把握してすぐにベッドに勧める。


「自分で持って飲めたか?」

「はい」

「こっちのベッドが涼しいから座って。きついなら横になってもいい。それからこれで体を冷やせ。首とか足首に当てて」


 そっとベッドに下ろすと、そのままごろんと横になり、目を閉じた。麗緒は少しでも体温が下がるように、手早くスカートにきっちりと収まったブラウスを引っ張り出した。

 普段なら風紀的に注意されるところだが、今はそれを気にする場合ではないだろう。

 葵が氷嚢を当ててあげれば、気持ちいいらしくふわりと笑った。


「おねーさんありがとぉ……」

「どういたしまして。あ、やがみん、この子通話してたみたいで、心配そうな声がずっと聞こえてるんです」

「そうなのか?」

「お姉ちゃんと電話してた……」

「ちゃんと説明してあげた方がいいな」


 まだ繋がったままだったようで、少女からスマホを受け取った麗緒は「あとは休みなさい」と少女に声をかけてから状況の説明をして、相手がホッとひと息ついたのを確認して通話を切った。


「軽い熱中症だから、あとは休んでれば大丈夫だ。お手柄だったな、真島。戻って大丈夫だ」

「はい。……でも、心配だしまた後で来ますね。この子、できるとこまで送ってあげるから」

「ああ、その時は頼む」


 そろそろ部活が再開する時間だ。

 葵はちらりと時計を確認して、保健室を後にした。

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