4話

「葵お姉ちゃん! お待たせ〜」


 待ち合わせは実家の最寄り駅。

 夏休みだからと、朝はのんびり起きていた乙芽にしてはいつもより少し早起きをした。


「おはよう、乙芽ちゃん」


 初めて見る葵の私服姿は、足首丈の黒のパンツと、袖口が広がった白いブラウス。シンプルながらにスタイルの良さが一目見て分かる。


「葵お姉ちゃんモデルさんみたい!」

「そう? 乙芽ちゃんは可愛いね。よく似合ってる」

「私の洋服はいつもママとお姉ちゃんが選んでくれるんだぁ〜」


 見せつけるようにその場でくるりと回ると、ふわりと明るい色のスカートが円を描く。それから葵の手を握って歩きだした。


「お姉さんといえば、なんで私がお呼ばれすることになったの? 決まったのも遅かったし、今日はまだ少し時間が早いから、何も準備できてなくて……」

「何もなくて大丈夫だよ。なんかね、お姉ちゃんがすごく心配してるの。なんでかはよく分かんないけど、1回会えば安心するかなって」




「ただいまー」

「お、お邪魔します……!」


 玄関には母が立っており、上がって、と手で示す。娘の乙芽も何を考えているのかよく分かっていないほど、表情の変化も少なければ口数も極端に少ない母だ。大事にされているのは理解しているし、おそらく、怒ることはほとんどない。


 今朝のメッセージのやりとりでは、電車の時刻を送り家に着くのはこのくらい、と送ったのに対して、『待ってるわ』とだけ返事があった。

 姉のことは分かっているようだから、母自身は特別警戒や心配をしているわけではないはず。そう乙芽は母を解釈している。


「おねえちゃーん、葵お姉ちゃん連れてきたよ」

「はじめまして。姉の貴根です。ごめんなさいね、お出迎えもできなくて」


 気にしないでください、と答えながら、葵は昔のことを思い出していた。まだ幼かったとはいえ、妹が産まれる前の母の大きなお腹を覚えている。

 もしかしたら本当はここに来るのがすごく嫌だったかもしれない。と心配していた乙芽は、貴根を見て思いのほか優しい目を向けた葵に内心少しホッとした。


「乙芽にどんなお友達ができたのか気になっちゃったの」


 テーブルの向かい側に葵と並んで座ると、すぐに母が冷えた麦茶の入ったグラスを人数分置く。

 それを乙芽が眺めていると、隣に座った葵から深いため息が漏れた。


「大事なことですもんね……妹の交友関係を知るのって」


 顔を上げると、貴根はおっとりとした笑顔を見せながらも、目にはなにか探るような鋭さがある。


「まだ小学生の妹が最近彼氏ができたなんて言ってきて、耳を疑いましたもん。私だってまだそんな経験ないのに」


 こく、と1口お茶を飲んだ葵は、にこりと貴根に笑顔を返した。


「まあ……最近の子は進んでるのね」

「両親はぽやんとしてるし、姉も同じようにあまり把握できてないから、私がしっかりしないとって思って。その彼氏1回家に連れて来いって妹に言ったばかりなんです」


 本当に付き合ってるかどうかも分かりませんけど、と小さく付け加える。葵は、休日はともかく平日は帰りが遅くなることも多い。妹が誰かと一緒に帰ってきたり、遊びに行ったり、家に誰かを呼んだり。そういう姿を見ることがあまりないのだ。夏休みは学校もなく、宿題をして過ごしていることが多いので、尚更交友関係が掴めない。


「だから、こういうのって本当に大事なんだなって身に染みてます。可愛い妹です。それくらい心配して当たり前ですよ」


 最近の葵は本当に妹に手を焼いているらしい。それがなんとなく気に入らなくて、乙芽はムスッと頬を膨らませて葵の腕に抱きついた。ビクッと大袈裟に見えるほど反応した葵は、しばらく停止した後戸惑いながら頭を撫でる。


「私も葵お姉ちゃんの妹だもん」

「……そうやって葵ちゃんを巻き込んだのね? 乙芽。今日はちゃんと日焼け止め塗ったの? 外の日差しは強かったでしょ」


 こっちに来なさい、と貴根は隣の椅子をポンと叩く。言われるまま席を立ち、貴根の隣に座る。


「バッグには入れてるんでしょ? 出して。お姉ちゃんが塗ってあげるから」


 にこにこ笑顔でされるがままの乙芽と、口ではいろいろと言いながらも楽しそうに世話を焼いているように見える貴根。


「あの、もしかして私が求められてるのってこんな感じですか?」


 少し遅れて隣に座った姉妹の母は、葵にほんの少し口元を緩めた。それ以上何も言わず、正解は分からない。


「今日水着を買いに行くんでしょ? 葵ちゃんはりんりん学校に行くの?」

「はい。行きますよ」


 ちらりと機嫌を伺うように母親を一瞬見たあと、貴根は真剣な目をして言った。


「乙芽は2日目を特に楽しみにしてるらしいの。私も星花だったからすごく危ないのは分かってるのよ。葵ちゃん、乙芽についててくれない? それとも、相手がいるかしら」


 今年入学したばかりでよく分かっていない乙芽と違い、今年で4回目の参加となる葵はその心配を理解出来た。

 2日目は、りんりん学校の中でも1番のメインイベント肝試しが行われる。そしてこれには別名があり、「悲鳴と嬌声の夜」という。

 暗い中を2人1組でゴールに向かって歩いていくのだが、スムーズにたどり着く生徒は少ない。いい雰囲気になってコースを外れる生徒ばかりだからだ。

 星花女子学園貸し切りの保養所で、教師陣も約半数がOGということもあって多少ハメを外しても見逃されている。

 そういう場に、特定の相手もいない純粋な乙芽のような生徒は、肉食獣の格好の餌食だ。


「……分かりました。一緒にいますよ。私に相手はいないので大丈夫です」

「ありがとう。知らない人について行っちゃダメって言ってるんだけど、よく分かってなさそうで心配なのよ」


 仕上げにもちもちむにぃっと頬を捏ねられて、すっかりご機嫌になった乙芽を満足そうに撫でる貴根。


「これ以上引き留めたら、寮に帰りつくのが遅くなっちゃうわね」


 連絡先を教えて、と言った貴根に、葵は快くスマホを取り出した。隣で母も同じように構えている。

無事に交換を終えると、2人に見送られて家をあとにした。


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