過ちの決算

佐々井 サイジ

過ちの決算

 男は七十二歳でこの世を去った。突然の脳梗塞で痛みに悶えながら亡くなったため、自分の最期は覚えていない。頭に刺す痛みを感じて手で押さえたとき、自分が白装束を着ていることに気づいた。前後には同じ白装束を着用した人がずらりと並んでいた。

 行列の先に見えるのは顔が赤く髭で覆われた閻魔らしき生物がいる。行列の先頭の者が閻魔と何か話し終わると右か左の道に進んで行く。左に進む者はたいがい抵抗し、その度に牛の頭を持つ生物に押されながら姿を消していく。


 この様子を見て男は自身が死に、天国か地獄に振り分けられている最中だと理解した。男は天国に行ける自負があった。長年会社の社長として売上を堅調に伸ばし、慈善活動にも意欲的に励んでいたからだった。


 道脇の水たまりの水面には、現世での男の葬儀の様子が映っていた。葬儀はお焼香の段階のようで、男の娘婿がお焼香の台の前に立った。男は舌打ちをした。

 男は娘婿を娘との結婚を機に自身の会社に入れたのだが、「過去のご発言と言動が矛盾しておられます」や「それでは不誠実な対応で不信感を抱かれかねないと思います」といった指摘ばかりしてきた。社長である男に歯向かい続けたので、会社を追い出したわけだが、娘婿は新たに会社を興してまずまずの成功を収めていた。それが気に食わなかった。


 娘婿はお焼香を大量に握って、男の大きな遺影に投げつけた。僧侶の坊主頭にお焼香の粉末が降りかかった。男は脳梗塞で死んだことを忘れ、血が上った。


「何してんだお前! 殺したるからこっち来んかい!」


 とはいえ、男の怒号は娘婿には聞こえない。男の後ろに並ぶ者から「おいあんた、前に進んでくれ」と文句を言われるが「黙っとれクソジジイ」と娘婿への怒りをそのまま後ろの者に向けた。


 スタッフは二人がかりで娘婿の両脇を抱えた。「やっと死にやがったか。この糞野郎」娘婿は男の遺影に向かって叫び、口角をいやらしく歪ませている。親族や参列者が立ち上がって娘婿のもとへ近づいてきた。どうやら非礼極まる行為に鉄拳制裁を加えそうな雰囲気だった。男は顔に上った血が収まっていき、親族や参列者たちを応援し始めた。

 喪主である男の妻は娘婿の両肩に手を置いた。


「ありがとう。胸のすく思いだよ」


 は?


 男の妻の一言を皮切りに、ぎっしりとホールを埋め尽くす参列者からも同調する声が地響きのようにあがり、祭りのような賑やかさで僧侶の読経が全く聞こえなくなった。親族や参列者たちは次々にお焼香を握り、まるで節分のように男の遺影にぶつけた。


「さんざんあることないこと言いやがって。地獄に落ちろ」


 遺影に向かって叫び続けていたのは最愛の娘だった。喧嘩をしたことは数えきれないが、恨みを買う覚えはない。

 親族がお焼香を使い切ると、参列者たちはきれいに整えられた祭壇の花をちぎって投げつけた。それさえもなくなると参列者の一人が遺影を取り外し、床に叩きつけた。その参列者は男が懐刀として長年可愛がっていた部下だった。


「糞野郎。長年、自分勝手なことばっか言いやがって。死んでもまた死ね」


 遺影が靴跡だらけになると、ホールの端の方に蹴られた。男の妻、娘、娘婿は棺から遺体を床に投げ出した。


「皆さん、今までの恨みをすべてぶつけてやってください」


 男の妻が叫ぶと遺体の前に行列ができ、親族に握手してから踏み倒すことを続けた。男は水たまりの前で跪き、後ろの者に脇を抱えられながら前へ進んだ。なぜ、こんなにも近親者に嫌われているのか男には理解できなかった。


「次の方、ここまで来てください」


 声の方に目を向けると生前、本か何かで見てきた閻魔そのものの姿をした異形のものが男を手招きしていた。後ろの人が「あんただよ、早く行けよ」と背中を押すかたちで閻魔と対面した。


「まあ、ここで天国か地獄か決めてるんですけど、並んでる途中、ご自身で葬儀の風景をご覧になったからわかると思いますが……」


「ちょ、ちょっと待ってください」男は閻魔の言葉を遮った。「俺は生きているとき、会社の社長として売上を伸ばし、成長させてきました。売上が伸びたということはそれだけ周りの人を幸せにしてきたということですよね」


 閻魔は黄色く濁った目を男に向けた。


「誰かを幸せにしたかもしれませんが、あなたの近しい周りの人を不幸にしてきたからこそ、あんな葬儀になってるんじゃないですか?」


 閻魔は視線を下に逸らした。閻魔の視線の先を見ると、水たまりにさきほどの葬儀の様子が映っている。もう男の遺体の首、四肢は引きちぎられ、胴体からは内臓が飛び出している。参列者はその様子を見て屈託なく笑っている。


「私の元にもあなたの生前の情報が届いております」閻魔の声は不気味なほど穏やかだった。


「娘婿さんには、ご自身の過去の発言をなかったことにし、すべて彼のせいにして公衆の面前で土下座させた、娘と口論になったとき、娘から言われていないことまで脚色して娘の印象を悪くし、その町に住み続けることを困難にさせた、自分の失敗はすべて部下がやったことにした、部下の成功はすべて奪い取った、まだいろいろ載っていますが、全部言いましょうか?」


 男は反論の言葉を探したが、脳梗塞になった頭は満足に働かせることもできず怒りだけがこぶしの中で行き場を失っている。言われてみればそんなこともあったのかもしれないが、はっきりと思い出すこともできない。


「あなたは地獄ですので、どうぞこちらへお進みください」


 男は逃げようとしたが、人の身体に牛の頭を持った怪物に両脇を抱えられ、ぐつぐつと音のする方へ連れていかれた。

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