第43話 コングでトロル

 ダンジョンに響いた悲鳴、それは甲高い女性の声だった。


 きっと近くを探索していた探索者のものだろう。


 この事故率の低い≪再生の庭≫での悲鳴。きっと尋常なことじゃない。


 身の安全を考えるなら絶対に近づくべきではない。


 ここはダンジョン。


 容易く人が死を迎える魔の領域なのだ。


 リスクは、避けるべきだ。


 でも。


 ここで見てみぬ振りをしたとして、あとからあの悲鳴の主の訃報を聞いたとしたら、僕はどう思うだろう?


 もしそんなことがあったとして、この先僕らは心から冒険を楽しめるだろうか?


 答なんて決まってる。


 僕らの楽しい冒険譚に悲しい人死になんて邪魔でしかない。


 そんなものはさっさと排除してしまおう。


 そうだよね、壁尻さん。


「助けに行こう! 僕とわん太郎で先行する! 壁尻さんとてっちゃんは後から追いついてきて!」


 足の速いわん太郎と転移持ちの僕の二人だけで先を急ぐ。


「ピチ子は空から誘導して!」


 ぴちゅん!


 ピチ子が飛んでいる方角に合わせて転移を繰り返す。


 転移がクールタイムの間はがむしゃらに足を動かして前に進む。


 見えた!


 銀色のパワーコング!


 やっぱりイレギュラーだ。


 鑑定結果は——『シルバーバック・コングトロル』。


 ただの変異種じゃない。


 わん太郎と同じく上位種の希少種だ。


 たった一か月の間にこんなとんでもないイレギュラーに二回も遭遇するなんて、僕の引きはどうなってるんだよ!


 にたにたと厭な笑みを浮かべるコングトロル。


 その視線の先にはきっと、悲鳴の主がいるんだろう。


 ここからじゃ廃墟のがれきが邪魔で足先が辛うじて見えるぐらい。


 コングトロルが止めを刺さんと腕を振り上げた!


 マズい!


 慌てて転移でコングトロルの前に割り込む。


 コングトロルの太い腕が迫って来た。


 でも大丈夫。


 僕はコングトロルへと手のひらをかざす。


 放たれたパンチは僕の手のひらの少し手前で鈍い音と共に止まった。


 ≪空間障壁≫だ。


 今日の探索で新たに覚えたばかりの空間魔法。


 僕みたいなひ弱そうな人間に自慢のパンチを止められてコングトロルは苛立ってるね。


 でも僕なんかに意識を割いていていいのかな?


 横合いからわん太郎が飛び込んできた!


 猛烈な突進を受けてコングトロルが吹き飛ぶ。


 今がチャンスだ。


 要救助者を連れて離脱しよう。


「わん太郎! そのまま回避優先で釘付けにしてくれ!」


 わふん!


 僕は振り返り、要救助者に駆け寄ろうとして、固まってしまった。


 そこにいたのは——椎名さんだった。


 ドレスアーマーは胸元が砕けており、その他の部分もひび割れやへこみでぼこぼこの状態。


 だらりと不自然な方向に垂れ下がった腕は骨が折れてるのかも。


 大量に血を吐いたようで口から下は赤く汚れている。


 内臓が傷ついてるのかもしれない。


 開かれた目は既に焦点が定まっていない。


 まさか、手遅れなんてこと、ないよね?


「椎名さん!」


 慌てて駆け寄る。


「さわ、や、ま、くん……」


 よかった、まだ生きてる。


「にげ、て……」


 こんな時にまでこっちの心配をするなんて、やっぱり椎名さんはいい人だよね。


 でも心配しなくてもいいんだよ。


「そうでね。一緒に逃げよう。少し気持ち悪くなっちゃうけど、我慢してね」


 僕は椎名さんを抱きかかえて出来るだけコングトロルから距離を取れるように転移した。


 振り返るとまだわん太郎が頑張ってくれている。


 何度か攻撃を貰ったようだけど踏みとどまって指示通りに敵を釘付けにしていた。


 椎名さんの安全を考えるともう少し距離を取りたい。


 転移のクールタイムの僅か数秒がもどかしい。


 二度目の転移。


 身を隠せそうな石壁の陰にうまいこと転移できた。


「≪ライトヒール・プラス≫」


 光魔法で椎名さんを回復させる。


 ダメだ。


 僕の回復魔法では全然治療しきれないよ。


 そうだ!


 カバンを下ろして中を漁る。


 取り出したのは、紫さんがいつか持たせてくれた『ミドルポーション』。


 これなら!


「椎名さん、ポーションだよ。飲んで」


 ポーションを飲ませたら少し顔色が良くなってきた。


 痛みのせいで寄っていた眉間の皺も薄れている。


 一先ずは大丈夫そうだね。


「椎名さんはここで隠れていて。僕はわん太郎に加勢してくるから」


「ダ、ダメ! 行っちゃダメ! 沢山くんが死んじゃう!」


 幼子のように泣きじゃくり縋りついてくる椎名さん。


 心配させちゃってごめんね。


 でもきっと大丈夫だから。


「僕はちょっと時間稼ぎするだけだから。ちゃんと無事に戻って来るよ」


 どうにか椎名さんを宥めて、僕は戦場に舞い戻った。





 何故か今、僕はアイツを倒そうと考えている。


 危険だ。止めるべきだ。


 そう思ってはいるんだけど。


 てっちゃんと合流するまで脱出結晶が使えないから、とか。


 たとえ死んでもスキルで蘇生できるからってわん太郎を囮にしたくない、とか。


 散々痛めつけられた椎名さんの復讐だ、とか。


 アイツを倒す理由はいくらでも思いついてしまう。


 でも一番の理由は、だ。


 ここで逃げずにアイツを倒す方が大冒険っぽいからだ。


 アドレナリンがどばどば出ているのを感じる。


 戦闘狂なんかじゃない筈なのに、それでも僕は今、強敵を前にして昂っている。


 でも冷静さを欠いたわけじゃない。


 むしろ脳みその一番大事な部分はきんきんに冷えている。


 トロルコングを、殺す。


 そのための冷徹な計算を目まぐるしく思考していく。


 これから自分がどう動くべきか、みんなをどう動かすべきか。


 その全てが僕には手に取るように理解できる。


 戦場の支配者にでもなった気分だ。





 舞い戻った戦場で、まずはわん太郎を回復させる。


 僕の光魔法に反応したのかコングトロルがぎろりと睨みつけてきた。


 やつもわん太郎の攻撃で傷を負っていた筈なのに、すっかり傷が塞がってしまっている。


 やはりトロルと名がつくだけあって再生もち。


 元がパワーコングだからきっとバインドやシールにも耐性があるだろう。


 僕や影魔法が弱体化している状態のわん太郎ではきっと倒しきれない。


 でもこちらには切り札がある。


『ピチ子、指定の場所まで壁尻さんを誘導』


『壁尻さん、指定の場所まできたら≪真価解放≫。あとはわかるよね?』


 テイマースキル≪伝達≫で矢継ぎ早に指示を送る。


 ああ、切り札の到着が待ち遠しい。


 飛びかかってきたコングトロルを障壁で受け止めて、死角へと転移。


 振り向く隙にわん太郎が≪キラーバイト≫で噛みつき攻撃。


 しっかりと転移と障壁のクールタイムを稼ぎながら、わん太郎にヘイトを移したコングトロルに≪ファイアボール≫で嫌がらせ。


 ダメージは必要ない。


 ただヘイトを分散させながらここにアイツを釘付けにするだけ。


 ああ、ピチ子の鳴き声が聞こえた。合図だ。


 射線の通る位置に壁尻さんとてっちゃんがたどり着いたみたいだ。


 今、壁尻さんが≪真価解放≫して目の前に魔法陣を出したのがちらりと見えた。


「てっちゃん! 三分釘付けに!」


 それだけ言えばきっと伝わる。


 ほら、走りながらバフを準備して≪シールドチャージ≫で突っ込んできた。


『ピチ子は椎名さんのところで≪癒しの唄≫を使いながら周囲警戒してて』


 これでアイツを倒す算段は整った。


 計算外の横やりが入りそうになったらピチ子が知らせてくれる。


 あとは三分の間、ここに奴を押し留めておくだけ。


 コングトロルがてっちゃんの盾を殴りつける。


 吹き飛びこそしなかったけど、地面を削るように後ろに押し出されていく。


 追撃は、させない。


 転移で割り込んで障壁でブロック。


 次の攻撃は防げないけどわん太郎が≪シャドウランス≫で援護してクールタイム開けまで時間を稼いでくれる。


「≪ウォークライ≫! うおおおおおおおおお!!」


 再びてっちゃんが前に出る。


 僕らは立ち位置を入れ替えながらトロルコングを翻弄していく。


 ≪感覚同調≫でマーガレットさんの進捗が流れ込んでくる。


 あと十秒。


 魔法でヘイトを奪取した僕に殴り掛かってくる。


 九秒。


 障壁で受け止めて、転移で離脱。


 八秒。


 隙だらけの背中にてっちゃんが≪ヘヴィスマイト≫。


 いつの間にか鈍器に持ち替えていたみたいだ。


 七秒。


 反撃のパンチに合わせて≪シールドチャージ≫。


 思わぬカウンターにコングトロルはのけ反った。


 五秒。


 追撃を掛ける様にわん太郎が飛びかかる。


 四秒。


 怒れるコングトロルは暴れ回っている。


 おっと、わん太郎は殴らせないよ。


 ≪ファイアボール≫を召し上がれ。


 一秒。


「全員退避!!」


 僕が転移で、わん太郎は影潜りで、てっちゃんは≪シールドチャージ≫の突進で。


 壁尻さんの射線から全力で逃げ出した。


「マーガレットさん! ≪カオスブラスター≫!!」


 空気を切り裂く轟音とともに、破壊の奔流が解き放たれる。


 その黒く恐ろしい光の濁流は、過つことなくシルバーバック・コングトロルを貫いた!


 光が止み、静けさを取り戻したとき、胸元から上を失ったコングトロルの体がゆっくりと地面に倒れ込んだ。


 残された体はゆっくりと魔石とドロップアイテムに変わった。


 戦闘終了。


「僕たちの勝利だ!!」


 僕らは腕を突き上げて、ダンジョンの空に高らかに吼えた。

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