第20話 運命
雛田千鶴にとって小田勇気と同じクラスになれたのは本当に幸運だった。
あれは忘れもしない、中学三年の冬の事。千鶴がまだシンガーを目指して路上でライブをしていた頃の話。
千鶴は自分の容姿がとても良いことを自覚している。しかし路上ライブをするときは歌だけで勝負したかったので眼鏡と帽子をかぶり、服装を地味にして変装をしていた。
正直、活動の方はあまり上手くいかずチラホラと足を止めてくれる人はいたがすぐに何処かに行ってしまうそんな日々だ。そんな中、一人の男の子だけは週一くらいで千鶴の歌を少し離れた位置から聴きに来てくれているのに気付いた。
どうせならもっと近くで聴いてくれればいいのにと思いながらも千鶴は気づかないふりをした。
千鶴が路上ライブを始めたのは中学二年の終わりの頃からだ。昔から歌手になるのが夢だった千鶴は親に小言を言われながらもこの活動を続けていた。
――はぁ、難しいのは分かってるけど、高校は音楽科のある学校に通いたいな……。
本当なら高校も音楽学校に通いたかったが名家の出であるため親に反対されていた。
それでも、受験を控えた中学三年に路上ライブを奇跡的に許されていたのは千鶴の成績が良かったのと、家族が千鶴に現実をみせて夢を諦めさせるためだったのだろうか。
路上ライブをする準備を終え、何時ものように歌っていた時の事だった。
「下手くそが! 止めろっ!!」
突然、サラリーマンと思われる男性が数人の女性を連れて千鶴に向かって暴言とゴミを投げつけてきたのだ。
投げられたゴミは千鶴にあたり小さく悲鳴を上げる。
それを見た男性と女性たちは笑い、更に暴言を浴びせる。
そして言いたいことを言った彼らは笑いながらそのまま去っていく。
千鶴はとても悲しい気持ちになったが、彼らの言ってることも正しいと思った。なぜなら、千鶴は自分の歌が誰にも見向きされていない事を分かっていたからだ。それでも、千鶴が歌うのを止めなかったのは歌うのが大好きだからだ。
もう、今日で路上ライブは止めよう。やっぱり家族の言った通り自分に歌手は向いていなかったのだと思った時だった。
「大丈夫?」
千鶴が顔を上げると毎週歌を聴きに来てくれていた、同い年くらいの男の子がそこにいた。
「えっ……?」
千鶴は優しく声をかけられたことにより思わず涙が零れてしまう。
「ご、ごめんなさい、私……」
「ううん、ごめん。俺も近くにいたのに何もできなかった」
その少年はとても申し訳なさそうにそう言った。
「そんな事ないです。こうやって心配して声をかけてくれました。それに私は歌手に向いていないようです」
そう言って千鶴は今できる精一杯の笑顔を作る。
「……そんな事ないよ」
「えっ?」
「君の声は芯があって良く通る。それに、とても繊細で美しい声だと思う。だから……俺はキミの歌声がとても好きだよ」
少年は千鶴の目を真っすぐに見つめながら真剣な表情でそう言った。
きっと彼は千鶴の為に感想を言ってくれたのだろう、その優しさがとても嬉しかった。
「実は結構前から聞いていたんだ、キミの歌。……半年前くらいから毎週……それで、俺は作曲が趣味でね、キミに歌って欲しいって思ってずっと前から曲を作ってたんだ。でも勇気が無くて渡せなかった。俺の名前は勇気って言うのに」
そう言って苦笑いを浮かべる少年――勇気は数枚の紙の束を鞄がから取り出し千鶴へと差し出す。
それは楽譜だった。
「これは……」
呆気に取られてる千鶴に勇気は更に声をかける。
「うん……俺が作った曲。気に入ってくれたら嬉しい。それで、良かったら歌って欲しい」
そう言って千鶴に楽譜を押し付ける勇気。
楽譜からその曲がとても難しい曲だとすぐに分かった。
「ら、来週までには歌えるように練習してきます! だから、来週この時間にもう一度きてくれませんか?!」
千鶴は楽譜を受け取り勇気にそう答える。
そして、勇気はその答えに満足したのか笑顔で帰っていった。
千鶴は嬉しさから駆け足で自宅に帰ると、玩具を与えられ待ちきれない子供のようにすぐに楽譜の曲をギターで演奏しながら歌唱する。
――すごい、こんな曲聴いたことない。でも、とても複雑なメロディ。一週間でこれを弾けるようにするのは少し難しいかもしれない、けど、やらなくちゃ!
千鶴の為だけに作られたその曲は千鶴が今まで生きてきた中で一番大切な物になる。そしてその曲は他のどの曲とも比べられない程、素晴らしいメロディだった。だから、千鶴は思った。この曲に釣り合う歌手になりたいと。
「勇気くんか……すごいなぁ。それにカッコよかった……」
千鶴はその日から少年との約束の日に向けて猛練習をした。
そして、約束の日。路上ライブに行こうとする千鶴を母親が呼び止めた。
「千鶴、最近勉学を疎かにしていませんか?」
千鶴は母親のその問いに答えることが出来なかった。曲の練習に必死だった千鶴の成績は一週間で明らかに下がっていたからだ。
「ごめんなさい、お母さん。でも今日だけはいかせてください。とても大切な約束があるんです」
「千鶴……今までは成績を維持できていたら許していましたが、この成績では行かせることはできません。それにもうすぐ受験も控えているのです。自分が受験生だと言う自覚を持って――」
母親の小言が続くなかそれでも、千鶴は母親に頭を下げ懇願するも終ぞ許可が下りる事は無かった。
約束の時間に千鶴は一人暗い部屋の中ベッドの上で涙を流す。
彼は、勇気はこの寒い中、外でずっと自分を待ち続けているのではないかそう考えるととても怖かった。
そして、千鶴は高校受験を終え、高校に合格してからも約束を破ってしまったという後ろめたい思いから路上ライブを一度も行っていなかった。正直に言うなら、勇気に会うのが怖くてできなかったのだ。
そのまま時は過ぎてとうとう高校に入学する日がやって来た。
そして、千鶴は高校で再び彼に出会う。
校門を少し過ぎたあたり、桜が舞い散る中に彼を見つけた。一目で彼だと分かった。
思わず、その場に立ち止まってしまった千鶴の胸がトクンと大きく跳ねる。
「勇気……くん」
震えるその小さな呟きは誰にも聞こえていなかった。
それでもその時、雛田千鶴は確かに運命を感じた。
まさに運命と言うべく、偶然にも勇気と同じクラスになる。
教室に入り一番最初に彼を探す。
お目当ての人物はすぐに見つかった。
しかし、千鶴は見てしまう。
天才的とも言うべき作曲の才能を持った少年と、アイドルデビューを目指す可愛らしい少女が出会う瞬間を。
二人は数秒間見つめ合う。
まるで、ドラマや映画のワンシーンの様な運命的な出会いの瞬間だった。
それから、二人はぎこちなくではあるが会話を始める。
すぐに理解した、自分が運命のヒロインなんかではなかったことを。
それでも、千鶴は止まれない。
――やっと会えたんだ、私はもう勇気くんから逃げない。
意を決してその一歩を踏だす。声が震えない事を祈りながら。
「あの……――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。