第8話 音無プロダクション
音無プロダクション社長 side
雪乃をオーディション番組にだして数週間がたった。
雪乃は人見知りであがり症のコミュ障だし歌も笑顔も苦手だけれど……ここぞと言う時だけは誰よりも度胸がある。
雪乃の数少ない長所だ。だが今回はそれが悪い方に働いた。
――まさか、自分のまだ始まってもいないアイドル生命を掛けて来ちゃうなんて……。
その事で雪乃と少し言い争いになったが、今はその事はいい。私に相談もなくその場で勝手に判断したことは本当は良くないけれど。
最近は、雪乃のメンタルが心配だ。雪乃はいつも通り振る舞っているが……楽曲が手に入らない事が負担になっている。最悪楽曲が用意できないと雪乃のアイドル生命が始まる前に終わってしまう。
どんなに難しい事だろうがそれだけは、私のプライドが許さない。楽曲は絶対に手に入れて見せる。だから私は諦めない。諦める訳にはいかない。
そして今も、雪乃の曲の為の作曲家を探しているが一向に見つからない。
正直に言うと、うちの様にお金もコネもない弱小プロダクションの、デビューもしていないアイドル候補生に曲を書いてくれる作曲家などめったにいない。
しかし、それでも私はまだ諦めたくなかった。今日も曲を作ってくれる人を探して電話を掛け続ける。私にはそれしかできないから。
「はぁ……なかなか見つからないわ。でもまだ諦めるものですか!」
そう、諦めない。私は諦めが悪いのだ。雪乃の才能を埋もれさせるわけにはいかない。
私は次の作曲家へと電話を掛ける。
◇
十件以上あった作曲家のリスト全てに電話をかけたにもかかわらず結果は全滅だった。
「もう、ダメなのかな……」
心が折れそうになる。
ふとそこでパソコンのメールアイコンが光ってることに気が付いた。
(そういえば、ネットで募集かけてたんだ……もしかしたら)
ネットで募集してから今まで誰もまともな曲を送ってくれる人はいなかった。悪戯としか思えないメッセージも送られてきていた。しかし、それでも確認しない訳にはいかない。1%でも曲を提供してくれる人がいる可能性があるなら私はそれにかけるしかないのだ。
マウスに手をかけメールの受信欄を開く。
するとそこには、いくつかの添付ファイルがついたメールが送られてきていた。
「あっ、やっぱり曲が送られてきている……!!」
私が思った通り添付ファイルには楽譜と音源ファイルが送られてきていた。
一体どんな人物がこれを……?
作詞、作曲……No name? 名無し?
もしかしたら、また悪戯かもしれない。でも、まずは音源ファイルを確認しなくては。
音源ファイルはサンプルのオンヴォーカル、オフヴォーカルの二種類があった。
オンヴォーカルを急いでクリックして再生する。
数秒のイントロを聞いただけ体に電流が走るような感覚に陥る。
――この曲、すごいわ………数秒聞いただけで人を惹きつける魅力がある。
そして数秒で歌が始まる。
声に違和感がある、今流行りの音声合成ソフトだろう。
でも誰がこの曲を? いや、曲さえもらえるなら男性だろうと女性だろうと関係ない。
最初はいろいろな思考が渦巻いていたが、すぐにそれすらも忘れて曲に聞き入ってしまう。
今まで名曲と言われてきた曲が霞んでしまうほどの名曲、曲を聞いただけでヒットする光景が目に浮かぶ、それほどの名曲、いや、神曲。
そんなあり得ないことまで考えてしまうほど圧倒的に今まで聞いてきた曲とはレベルが違う。
――これは歴史に名を残す名曲だわ……。
これが本当の音楽、まるでそう言ってるかのようだった。
それにこの曲は雪乃に合っているように思えた、何故かはわからないが自然とそう思えたのだ。
曲が終わったことに気付くのに数秒かかってようやく我に返る。
そしてもう一度最初からリピートする。そして曲が終わりリピートする、そしてまた終わり最初からリピート……それを何度か繰り返し、ようやく添付されてるファイルがこれだけではない事を思い出す。
そういえばテキストファイルもあったんだった。
拝啓 貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます――。
さて、先日の音楽オーディション番組を拝見させていただき是非、有沢雪乃様に歌って頂きたいと思い――。
挨拶などはいい。大切な部分だけをさっと見る。
手紙の最後にメールアドレスが書かれていた。
急いでメールアドレスに連絡を取らなくては、これから忙しくなる。
◇◇
有沢雪乃 side
今日は学校が終わった後、社長に呼び出さた。きっと、今日が楽曲募集の最終日なのでその話だろう。
――私の夢はここで終わりなのかな……そんなの嫌だな。
足取り重く、そんな事を考えながら事務所へ向かう。
なんだか何時もの社長と違ってすごく慌てている様子だったがなんだろう。
とにかくすぐに来てほしいみたいだったけど。
「こんばんわ、社長――」
社長とは結構付き合いが長く普通に話せる。いつか、学校の友達ともこれくらいスムーズに話せるようになりたい。
「雪乃! これをすぐに聞いて!!」
社長にイヤフォンを渡されて耳に付ける、流れてくるのは軽快な音楽。
今まで聞いた事がないアップテンポな、それでいて元気が出てくる、体の中が熱くなってくるようなイントロだ。
そして歌が流れる、しかし歌声は何処かおかしい。多分、機械で出している声だ。
それが最初は気になっていたがすぐに曲に引き戻される、ずっと聞いていたい曲だ。
目を閉じて曲に集中する。
曲が終わり、ふと疑問に思う。社長は何故この曲を私に聞かせたのだろう。
確かにすごくいい曲ではあった。今まで聞いてきた曲とはレベル――いや、次元が違うとすら思わせる曲だった。
「あの、社長……これは?」
「これが貴女の楽曲よ! この曲でオーディションに勝負をかけるわっ!」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
楽曲? 私の……?
なかなか楽曲を提供してくれる作曲家が見つからなかった、そんな時にこんなすごい曲を聴かされて、それが私に提供された楽曲だと言われて唖然としてしまうのは仕方がない事だとだ。
社長から楽譜を印刷したものを渡されそれに目を通します。
一番に気になったのはいったい誰がこの曲を作ってくれたのか。
作詞:作曲:No name
「ノーネーム……?」
「えぇ、さっきまでメールで少しやり取りをしてたのだけどすごい作曲家だわ。だってこんな曲聞いたことないもの!」
社長はとても興奮している様子でした。
「……私、この曲で本当にオーディションに出ていいの?」
「えぇ、そうよ! 本当に凄い曲でしょう? ノーネーム先生とはもう少し話をする必要があるけど、もうこの曲以外には考えられないわ!」
「社長、……ありがとう」
社長は感極まって私に抱き着いて涙を流します。
本当に……小田くんの言った通りでした。私にも、まだ私を応援してくれる人はいたんだ。私の為に楽曲を作ってくれる人がいたんだ。
その事を小田くんにすぐにでも伝えたいと思いました。小田くんの言った通りだったよって。だって、あの時の小田くんはなんだか私より辛そうだったから。
きっと、彼なら楽曲が見つかった事を一緒に喜んでくれるはず。明日学校に行ったら話してみよう。
こんな私を応援してくれてる人達がまだいる。そう思うだけでやる気がどんどん出てきます。
この曲で絶対にオーディションに勝って私はアイドルに――ううん、それだけじゃない、この凄い楽曲に見合うだけのアイドルになってみせる。
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