二人の朝 2

「ちょっと、こんなところにいたの。パン焦げるよ」


 いつの間にか侑が背後に立っていた。侑はちょっと前に、このことが紗奈にバレてからは、それ以降、隠しもしない。むしろ今や目の前で保存しだす始末だ。


「私、これ結局一枚しか読んでないんだよね」


「読まなくていーの」


 同じ柔軟剤を使っているはずなのに、侑独特のミルクっぽい香りがふわりとかぶさってくると同時に、紗奈は侑の上半身の重みに包み込まれた。


 紗奈は侑と向き合うように身体を反転させ、ぎゅうと抱きしめ返す。


 そして徐々に視線を侑の顎あたりまで持っていくと、急に唇を塞がれた。冷たいのに、ふわふわしていて気持ちいい。


 そのまま二人は、何度も何度も、角度を変え、唇を重ね続けた。

 







「あっ、パン!」


 その瞬間、ムゴ、という鈍い音が聞こえ、焦って目を開けると、侑が唇を抑えてしゃがみ込んでいた。


「侑? 大丈夫?」


 その様子に慌てた紗奈が覗き込もうとすると、今度は両手で顔を引き寄せられる。ものすごく近い距離で、目が合った。


 とんでもなく悪い顔をしているではないか。


「もう一回しよ?」


 そう言う侑に、されるがままになってしまった紗奈も、最初こそ焦げたパンのことを心配していられたのだが、気が付けば自分から侑の首に手を回し、一所懸命、侑のやわらかい舌の先を探していた。


◇ ◇ ◇


 それから二人は広いテーブルの片側に椅子を並べて座り、だいぶ冷めて固くなってしまったパンをかじっていた。


「もしかして今朝聞いてたのってあの録音?」


 紗奈はパンに反比例するくらい温かく香りがいいコーヒーをゆっくりと啜ってから答える。


「そう」


 すると侑の表情がふっと緩み、


「『試奏はいつもキラキラ星』さん」


 と言う。


「私、今でも不思議な気持ちなんだよね。こうして一緒にいられるの」


 侑はコーヒーカップを静かに置くと、たった今まではそのまま齧りついていたパンをひとかけだけちぎって口にいれた。


 紗奈は、今このタイミングで?と少し思ったけど、黙ってそれを飲み込み終わるのを待った。


「俺はそうは思わないな」


「そりゃそうだよ、侑は芸能人で、選ぶ立場の人なんだから」


 さらに侑は考え込む。こういう言葉選びは、作曲のときだけじゃなくて普段から真剣なのだ。


「あのね、俺はそれ相応の努力をしたと思ってるよ。音楽のことだけじゃない。紗奈と出会うための努力」


 侑が楽器や歌だけでなく、人一倍生きることに向き合ってきた人間であることは、紗奈も理解していた。


 だけど、どうやっても一般人には分からないこともあるのが現実である。


 返す言葉に迷っていると、


「じゃあ紗奈は、何もしないでここにこれたの?」


 侑が、この話がただの会話ではなく、紗奈にとっては深い悩みだということを分かっている口調で問う。


「努力したよ。侑の曲に支えられながら。すごくすごく努力した」


「同じ。俺も誰かを支えたいと思って頑張ってたんだから。だからね、俺が言いたいのは、もっと甘えなさい!!」


 今度は、紗奈から侑のほっぺに軽い口づけをした。


 ああ、こんなに幸せでいいのだろうか。


 侑、ありがとう。


 ねえ、ずっと近くにいたくて、並んで朝食をとってるなんて言ったら、みんなに笑われちゃうかな?


 でも笑われてももう平気だと思った。侑がとなりにいてくれれば何でもいい。


「そういえばさっきね、思ったんだけど」


 侑は何かを期待しているのかキラキラとした目でこちらを見てくる。


「侑の字って本当にアートだよね」


「ありがとう!」


「いや、褒めてないのよ」

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