怪談『這う煙』と、真相『いたいのいたいの』
こんな怪談がありました。
『這う煙』
駅から職場までの通勤途中に、大きい公園があります。
そこで、妙なものを見たんです。
遅番で出勤する時間は、子どもたちと保護者の人たちで賑わっています。
その中を通過するのは、ちょっと気まずいので。
滑り台などの固定遊具がある広場の、外側を周る通路を通っています。
大きなナマコのオブジェかと思いました。
灰黒色で横に長い
前日まで、あんなもの無かったのではないかと。気になって足を止めました。
木陰でスマホを見るふりなどしながら、横長の塊を眺めました。
初めは、上に乗ってバランスを取るような埋め込み遊具かと思ったんです。
でも、モクモクしてるんですよ。
輪郭がハッキリせず、煙のようにも見えました。
寒い季節にマンホールから、湯気が昇っているのを見たことはあります。
でも、灰色で横に伸びていて、煙ではなさそうなんです。
ゴミ袋が風で膨れているわけでもないし、大型犬が伏せているわけでもなさそうです。
モクモクと伸縮している煙という表現が、一番しっくりくるのですけど。
じっくりと観察しても、その正体がわかりません。
横に倒れた人間のような大きさなので、妙に気になりました。
周りの子どもたちも保護者の人たちも、その灰黒色のモクモクに目を向けていないんです。
ベンチに腰掛けてベビーカーを揺らしているお母さんの前に、モクモクは伸びています。
そのお母さんは、ベビーカーでお昼寝中の赤ちゃんのほかに、駆け回って遊んでいる男の子にも優しい視線を向けていました。
そのベンチの前に伸びる、人間大の煙の塊。
赤ちゃんやお母さんを狙うヤバいものではないかと……。
ヤバいものだとしても、何がどうヤバいのかもわからず。
誰か、アレが見えている人はいないのかと、キョロキョロしていました。
その内に、駆け回っていた男の子がお母さんの所に戻ってきて、盛大に転んだんです。
これには、周りにいた他の保護者の人たちも目を向けていました。
お母さんがすぐに駆け寄って、男の子は痛いのを我慢して立ち上がっていました。
泣かなくてえらいな、なんて呑気に思っていたら、人間大の煙の中から、人の腕が伸びていることに気付いたんです。
立ち上がったばかりの男の子の元へ、煙が這って行きます。
「いたいの、いたいの、とんでけー」
男の子の膝を撫でながら、お母さんが言いました。
すると煙の玉のようなものが膝から飛び出し、地面を這う煙に吸い込まれたんです。
這っていた煙は、ゆっくりと立ち上がりました。灰色の筒に人が入っているような屈折ですが、腕も見えなくなって長い煙の塊です。
ソレはお母さんと男の子に向かって頭を下げるように折れ曲がると、スーッと宙に浮かび上がりました。
すぐに曇り空に紛れて、ソレは見えなくなりました。
お母さんと男の子に、変わった様子はありません。
じっと見つめる自分の方が不審者に見えるだろうと、その場を離れました。
這っていた煙のようなものは、なんだったのでしょう。
『いたいのいたいの飛んでいけ』
という、おまじないに関わる存在だったのでしょうか。
それ以来、子どもたちのいる場所を見かけると、煙のようなものが這っていないか探してしまいます。
――――という、怪談の正体は?
『いたいのいたいの』
灰色の雲のような、細かい塵の集まりのような。
形容しにくいモクモクから痩せた人間の素足が伸びて、座布団に正座していた。
よく見れば両手もある。
行儀よく、正座する膝の上に揃えた手を乗せている。
しかし、手足以外は灰色のモクモクをまとっていた。
当然、顔も見えない。
円形に並べた座布団に座る、参加霊たちは目が点だった。
怪談会MCの青年カイ君は、恐らく顔があるだろうという辺りに目を向け、
「お話しを、お願いできますか」
と、聞いた。
モクモクをまとった存在は正座のまま、ゆっくりと屈むようにお辞儀した。
「……よかった。ここでは、私の姿も伝わるのですね」
モクモクの中から、中性的なハスキーボイスが聞こえた。
会話が成立するだろうかと心配していたカイ君は、ホッとした表情で、
「灰色のモクモクな中から、手足が伸びているように見えます」
と、見たままの様子を伝えた。
「はい……手足を生やすくらいしか、人間に近い姿に化けられなくて」
もう一度お辞儀し、モクモクの存在は話し始めた。
私は『いたいのいたいの飛んでいけ』という、まじないに依存する存在です。
昔からある、おまじないですね。
小さい子どもが怪我をした時に、大人が『いたいのいたいの飛んでけー』と、やってあげるやつで。
人間には見えていないのだと思いますが、そのとき本当に『いたいいたい』という痛みが飛ばされているんです。
それを飛ばされた怪我は、通常よりも痛みが少なく、早く完治するんですよ。
私は飛ばされた『いたいいたい』を捕まえて食べています。
飛ばされた『いたいいたい』は空へ昇ってくるので、私は雲のような姿で空に浮いているんです。
だから、こんな姿なのですけど。
最近は、そのまじないをしてくれる人も少なくなりましたね。
でも、このまじないが本当に効き目をもっていると、医学的に証明されたのだそうで。
おまじないをやってもらったから痛くないと、思い込むことで本当に痛みが軽減されていたという証明。
どのように証明したのか、わかりませんけどね。
子どもたちには先に、痛いの飛んでけとやってもらえば痛くなくなると信じてもらっておくことが重要だそうで。
元々、暗示の一種として始まったものでしたので……。
意味のない迷信と思っている人が増えていたことの方が、私は驚ろきました。
でもまあ、証明されたなら、まじないをしてくれる人も増えるだろうと期待していたのですけど。
あまり増えてはいませんね。
ひもじいものです。
お腹が空いて上空では待っていられず、子どもたちのそばに落ちてしまうこともあるくらいで。
最近は大人よりも、子ども同士でまじないをしてくれることもありますよ。
痛くなくなると信じていなくても、痛くなくなってほしいと願うことでも『いたいいたい』は飛ばされますから。
子どもたちにも感謝しています。
話しが終わると、カイ君は円形に並ぶ参加霊たちを見回した。
「今夜の怪談会には、生前の痛みから解放されている方々が多いようですね。ここで、おまじないが出来ると良かったんですが」
「いえいえ。本来は、それが一番なんです」
モクモクの中で、ハスキーな声が笑いを漏らす。
「最近の子どもたちも若い人たちも、意外に純粋ですよね」
と、カイ君が言うと、モクモクの存在は、
「ええ。思考の曇った大人には、ならないで欲しいものです」
と、答え、ゆっくりとお辞儀した。
「ありがとうございました。いたいのいたいの飛んで行けのおまじない、増えると良いですね」
「ええ。せめて消えずに、このまま続いていって欲しいです」
参加霊たちが拍手すると、モクモクから伸びる手もハフハフと拍手した。
幽霊による怪談会。
人と関わる様々な存在も、参加することがある。
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