妄執

喜丹凛

嚥下

今日もまた錠剤を、舐めて、飲み干した。いつしか私の頬は痩せこけ、荒れ、そして目元は黒ずみ窪んでいた。錠剤は私の心の中にぽっかり空いた『穴』を埋めてくれた。



『穴』はいつも突如として現れ、私を吸い込もうとしてくる。ただでさえ暗闇の心の中を、全て吸い尽くして私そのものごと取り込もうとしてくる。私が不安定になると『穴』は現れる。だから私は錠剤に手を染めた。

この『穴』が孵った時の私の心も同じ様に、黒く、荒んでいたのだけは覚えている。いや、忘れてはならなかった。私がこの手で産んだのだから。


『穴』が現れても錠剤を飲むと私の心の中は晴れて『穴』は気づけば無くなっている。しかしそうしていると、日に日に『穴』は大きくなっていった。極彩色と暗闇を行ったり来たりしているうちにそんなことはどうでも良くなり、また今夜も潰れるように眠りにつく。そうした生活を続けて1週間ほどが経った。




昨日の夜は酷かった。母が死んだ。実際、そのこと自体にはなにか強く哀しんだりはしなかった。ただ母は“彼”への償いを済ませていなかった。それに対する憤りだけが私の心を煮えくりかえさせた。滾った末に行き場の亡くなったこの気持ちを鋭い金属片に乗せて私の熱と絡め合わせる。そうすると気持ちが落ち着くようだった。


確かに彼はだめな人だった。すぐに有り金を使い果たし、私の知らない女を何人も取っかえ引っ変えしていた。しかし“最後”には決まって私の元に帰って、甘えに来てくれた。

その“最後”が誰にとっての最後かは、私にすら、彼でさえもわかりえなかった。


母は彼を気に入っていなかった。彼が家に帰るといつも決まって私に愚痴を零した。私に夜の世界で働くように仄めかしてきた時の母の怒り様は今までに見ないほどであった。出口の塞がれたホースのような、ありとあらゆる感情を溜めて、溜めて、溜めて。少しでも気が緩めば全てを吐き出してしまう。毎回そう懸念するも、必ず決まって全て吐き出してしまう。彼女から吐き出される言葉の波に、いつも足元を掬われ一度地面に手を着いてしまえばその渦中に飲み込まれ溺れ死んでしまうのだ。


私が家を出て数日間、よく母から着信が来ていた。対応することは無かったが。電光板が光り、騒音を鳴らして自分の存在を主張すればいつもそこには母の名前と幼い頃の私の写真が映し出される。その写真は私が小学校入学前に母に連れてもらった遊園地で私がメリーゴーラウンドに乗っている写真だった。こちらに人差し指と中指を立てていて、煌びやかに、笑っていた。今ではもう、その私を拝むこともできなくなったが。


手にこびり付いた『赤』を洗い流すために洗面台に赴いてふと自分の顔を見た。とても気持ちが悪い顔をしていた。怒りながら、笑っていた。妖怪か化け物の成れの果ての私はまた、大切な何かを失ってしまっていたのだ。

今夜、『穴』がふたつに、増えていた。

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妄執 喜丹凛 @Ryu-gu

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