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 地平線まで見渡す限りの綿花畑、それと交互に設置された膨大な巣箱群。雲一つない空の下の広大な土地を領土とする我が蜂は、これまでで最大の性能を発揮していた。

 私はアメリカの南部にある巨大養蜂農園に拠点を移した。著作権の問題はこの国ではまだ議論中で、ブロマイドを学習されてフェイク写真を作られたことに対して舞台俳優たちによる訴訟などが起きていたものの、まだAIの無許可学習は規制されていない。

 あの盗人がプランテーションと奴隷でやっていたほど効率的ではないが、テキストと絵画の紐づけは小作農たちにやらせている。実際この技術は、蜂だけではなく、画家の脳と注釈者の脳にかけた負担の産物なのだ。


 イギリスではAIによる著作物の無許可の学習を規制する法案が可決された。研究目的のものだけが存続し、商業的なものはオプトイン方式で許されるのみになった。予想通り、許諾済みの素材だけを与えられたモデルは性能を大きく落とした。

 議会はこの蜂に後天的に付加された機能を取り去って考えた。インドミツバチは、「その起源にまで遡れば、複製と復元を目的とした道具」であり、人間の起源的な本質が複製ではないことから、人間による創作に関する法を一切変えずにAIだけを規制することに成功したのだった。エステラはそれまでの年月、作品と発言の両方で、その潮流を後押しした。


 エステラはAIによる学習を単なる情報の削減だと言った。新しいものは何も生み出さなかったのだと。私はそうは思わない。AIが提出した絵画のバリエーションの中からひとつを選ぶとき、私は新たな組み合わせを発見している。それが創造でなくて何だろうか。例えるならば、私が斥候を多様な土地に送り出すと、彼らの何人は徒労のうちに倒れ、何人かが成果を持ち帰ってくる。それは一種の淘汰だ。私は失敗を経験することなく、最終的な生き残りをこの手で選別する。そのようにして文化はよりよい形に導かれていくのだ。 美の選別による全能感と、美そのものを取り違えながら。いや、選別は創出だ。私は二重思考を復活させた。


 私は最高傑作の予感を胸に、キャンバスと調合済みのフェロモンを持って農園の中央にある巣箱に向かった。これから生成するのは新しく登場した〝印象派〟の画風とエステラの画風を組み合わせたものだ。私はAIによる人間の限界の超越という夢を諦めていなかった。

 私はキャンバスをセットし、巣箱の蓋を閉めた。

 途端、警報のように羽音が響いた。蜂たちが騒ぎ出している。排熱用の排気孔から飛び出して、私の周りを飛び始めた。

「ヴェスポイデアか。検閲したはずなのに」

 Vespoidea(スズメバチの学名)は反無断学習派の養蜂家が開発した学習妨害コード。学習されそうな絵画の表面に微細なテクスチャの形で予め刻印することで、それを読み込んだインドミツバチに大量のスズメバチの姿を幻視させる。最少でもデータセットの汚染、最悪ではハードウェアの破壊に至らせる効果を持つ。(この脆弱性に気づいたのは、開発の様子を見ていたエステラしかいない)今では検閲AIといたちごっこのすえ、毒性が強まっている。

 周囲の巣箱にも混乱は伝播し、群れは視界を遮るほどの暗雲となった。渦巻く大群は私に殺到して熱を発し始めた。私を熱死させるべき天敵と見なしたのだ。彼らは針さえ使っており、激痛が走る。

「助けてくれ」

 農園で働く労働者たちが見たのは、雲なき空の下に突然現れた黒い竜巻の中心にいる自分たちの雇用主だった。


 私は包帯に顔を覆われてベッドの上で目覚めた。顔が痛む。顔の皮を剥がされたと言っていたエステラについて思い出した。これはその報いなのだろうか?芸術家の利益ではなく、尊厳を奪ったことの。

 今からやり直せるだろうか?著作物でない写真などを取り込むなら、何の問題もない。例えば、自然物や、建築家による個性がない町並みなどだ。芸術家たちが背景を描くときの補助ツールになるかもしれない。果たして、そんなにたくさんの写真を取り込むのにどれだけの手間がかかるだろうか。そして、立体構造を真の意味では決して理解しない蜂たちが、建築物を正確に生成できるだろうか。

 しかし私はAIの発展に取り組むだろう。たとえ危険を冒しても。一生をかけても終わらなくとも。人間が自然物のみを見て洞窟に壁画を描いたときのように、AIが自力で世界を見て絵を描くようになるその日まで。暗箱が光を入力ではなく、網状構造に対する受苦として扱うときまで。無断学習を封じられたそれは、全く別の原理で動作するものになるかもしれない。

「私は怪物ではない」

 わたしはうめいた。最初に善意はなかったかもしれないが、悪意もなかった。あったのは好奇心だけだ。しかし、ならば何者なのだろう?私は紳士ではなく、画家でもない。画商でもなく、学者でもないのだ。

 私がそれらを声に出していたのだろうか、包帯を取り替えてくれた農家の女性が、南部訛りで答えた。

「私にはわかりませんが、旦那様は間違いなく立派なお方です。あんなにも広い領地をお持ちなのですから。旦那様は偉大な、大いなる養蜂家です」




〈了〉

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