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 小説家のチャールズ・ディケンズは一八四二年にアメリカを訪れた際、同国内で彼の作品の海賊版が横行していることを強く批判し、国際的な著作権法の整備について力説した。一八四三年、ディケンズは作家、出版社、印刷業者を集めて、著作権の濫用について議論する会議を開いた。

 当時の米国では海賊版がいまだ違法ではなかったこと、にも関わらずそれを批判したディケンズが米国のファンの怒りを招いたことは、現在のAIアートと画家の関係に似ている。

 反AI団体は、未だ法で規制されていない新しい剽窃の形を訴えた作家の前例として、彼を担ぎ上げたのだ。


 私がハーバートから渡された新聞内で、反AI派はディケンズの一八三九年の小説「ニコラス・ニクルビー」から次の台詞を引用していた。

〝あなたは存命の著作者の未完成の本――その手で書かれたばかりの、印字が乾かぬままの――を取り上げ、裁断し、切り裂き、切り刻む……すべて許可もなく、著作者の意思に反して。最後の仕上げに、潰れた印字の無意味な寄せ集めとなった彼の著作の抜粋を、粗末な冊子で公開する。さて、このような盗みと、通りで人のポケットに掏摸を働くこととの違いを教えてくれますか?〟


 我々がいくら〝切り貼りではない〟と強調しようが、彼らには通じないようだ。もちろん、養蜂学に詳しい計算機科学者の中にも、広義の〝切り貼り〟であることをを否定しない者もいる。それは、末端のユーザーは断言するが、専門家ほど言葉を濁す話題だった。画像生成AIに話を戻せば、形状をパターンとしてベクトル空間で合成して出力したものは、〝通常の意味での切り貼りではない〟とはいえ、結果的に形をそのまま再現することがあるのだから。その再現は、文章においては露骨になった。 


 だが私は、AIが持つそれらの性質を単純に悪として批判することは生産的でないと思った。すでに出回っている小説執筆AIの例を見るに、それは生成AIにとって長所でもあり短所でもある、不可避の振る舞いなのだ。

 例えば、新聞記事を書くことを期待されて訓練されたAIは、意図せず〝不正確な〟情報を出力することがある。それとは対照的に、小説を書くことを期待された訓練されたAIは、意図せず元の著作物を〝正確に〟引用してしまうことがある。

 不正確さは新聞生成においては幻覚(ハルシネーション)、小説生成においては創造性と呼ばれた。正確さは新聞生成においては信頼性、小説生成においては剽窃と呼ばれた。

 我々はいつのまにか、生成AIが持つ同一の本質的特徴を、使う場面に応じて別様に呼び分けるようになっていたのだ。それは二重思考とでも呼ぶべきものだった。

 私はこの思考法に習熟しつつあった。


 幻覚は創造

 複製は精度

 圧縮は学習


 私はこれを標語として、大きく印刷したものを我が社の壁に貼り出した。

 私は目が眩むように啓示的な洞察を得つつあった。圧縮が学習であるのなら。情報を削減する損失あり圧縮が、学習の本質なら。AIが、私の手に負えないこの世界の複雑さや不可解さを切り捨て、パターンを抽出し、甘美な蜂蜜酒として私に差し出すなら。

 言外の仄めかし、思わせぶりな仕草、謎めいた暗示、作品外の文脈、弱者のための偽善、曖昧な倫理、難解なアナロジー、ナラティブ。そういった冗長性を言語空間そのものから追放し、字義的な文意を要約できるなら?我々は新しい言葉(ニュースピーク)を手に入れるだろう。わずらわしい無駄な思考を可能にしていた過去の道具――不要な単語の剪定を経た言語は、もっと簡潔で、単純な形に圧縮されるだろう。圧縮は学習。それはつまり、言語が賢くなるということなのだ。それは、真理に近づくということなのだ。医学や科学においても、AIは新しい規則を見出すだろう。

 世界の簡潔な記述を得ることで、言語蜂は、千年王国の導き手となるだろう。

 人々は、グーテンベルクの銀河系を、私の作った望遠鏡を通して見るようになる。私が作った星図の中を航海することになる。決して読みきれない印刷物で溢れかえる現代において、その縮約版を作るという利便性に比べて、著作権という些細な権益の重要性はいかほどのものだろうか?芸術の競技性などという局所的な決まり事は?


 本来はあと百年は待たなければ訪れないであろう、新しい言葉による統合の時代の到来を、私のAIは早めたのだ。

 言語の進化において語彙の減少は基本的に不自然で、意図的に人工言語を設計することでしか起こり得ない現象だ。しかし、AIはそれを全く別の方法で可能にする。

 それが完成すれば、私の敵対者はいないも同然となるだろう。

 言語の支配に、そしてそれによる言論と思考の支配に、検閲や焚書は必要ない。それそのものの縮約された複製を無料で、大衆に提供してやればよいだけなのだ。


 私は啓示を得つつあった。あるいは、二重思考によってもう一つの側面を見るならば、単に狂い始めていた。




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 わが盗人は結局捕まった。彼との共犯関係を取り沙汰された私は事情聴取の末勾留されたが、しばらくして釈放された。彼の支援が一方的なもので、私の指示がなかったことをジャガーズ氏が証言したからだ。

 しかし、私は原罪に悩まされた。この技術の、その起源が窃盗から始まったという思い出したくない事実、幼少期のトラウマが、かつてのどのフラッシュバックよりも痛烈に襲ってきた。私が罪人?そんなはずはない。しかし、人々は公然と私を盗人呼ばわりし始めていた。


 自然科学者の中にも反AI側につく者がいて、ある計算機科学者は言った。「拡散モデルは、過学習のような限界まで突き詰めたケースでは決定論的な複製機となり、これはその生来の本質が複製機械であることを示している。これがSDではなくても、別の生成モデルでも、彼らのやることは同じだ。彼らはいつも機械学習を使うだろう――訓練データを固定パラメーターとして使った最適化問題として。訓練データに対するこの純粋に機械的な使用は写真のスキャンのようであり、その画像のすべての画素を利用した使用であることから、人間の芸術家が着想を得るのとは違う。言うなれば、それは創作ではなく、盗作の一形態である」

〝生来の本質が複製機械〟――この技術を発見したまさにその起源を思い出した私には、否定しがたい形容に思えた。


 世論が変わり、AIに対する法規制の可能性が現実的なものとなってきた。私はもはや、批判を躱すよりも、AIがもたらす未来の利益を喧伝することに努めた。多少の犠牲を払っても、AIとともに理想の千年王国の実現を果たすことが、長期的には人類の幸福になるのだと熱弁した。

 私はAIユーザーが使った〝才能の民主化〟という言葉も肯定的に取り上げた。技術の大衆化という言葉から連想されたその言葉は、AI業界からは産業革命以降繰り返された当然の流れを表す用語として受け止められたが、芸術家からは失笑を買った。それはむしろ、権力の民主化によって才技が王侯に捧げるものから個人のものになったことへの逆行と評された。その所有権は、商品(コモディティ)化されて、今度はAI企業に移ろうとしているのだ。

 技術者と芸術家の間で、同じ物に対する見方がかくも違うものかと私は驚き、ときには呆れた。思えば、インドミツバチはその交易網の中で、遠く離れた異なる人種を出会わせた。同じ国に住み隣同士で暮らしていながら、本来出会うはずのなかった、まるで世界観が違う人々を。そしてそれは、不幸な出会いとなったと言わざるを得ない。


 私のことをロバート・オーウェンのような空想的社会主義者と呼ぶものもあったが、私自身は同意しかねた。私は格差の是正に興味があるわけではなかった。それが物質的な財産であれ、知的財産であれ、持たざるものに再分配するつもりなどなかった。ハーバートに言われて、初めて気づいた。弱者の救済は、私の使命ではない。私自身が、弱者の地位から這い上がったにも関わらず。なにしろ実際、私を救済したのは、高貴な身分からの慈善的施しなどではなかったのだから。

 私は単に、AIのある世界における、人類の限界を拡張したかったのだと思う。AIを利用した人類に何ができるのか示したかった。私のAIの能力を証明したかった。AIは、能力の不足を補うものではなく、その限界を引き上げるものなのだ。

 これからはAI利用者と非利用者の間に大きな格差が生まれるから、早く利用し始めるべきだという助言を私は大衆に繰り返し発信した。そうしなければ生き残れないと。状況が日毎に変わる中で、今から何かのスキルに習熟し始めるのは無意味に近い。唯一有効なスキルは、時流を見極め、AIを利用するための総合的な判断力だ。私が持つような。


 既存の個人的スキルは完全に無意味化するというより、AIを利用する技術に流用できると言ったほうがいいだろう。

 現に、AI画家は他のAI画家との差別化に困難を覚えていた。一方で、圧倒的に高い評価を得ているのは、ある程度の技能を持っていたが挫折した元画家が、AI利用を隠して発表している作品だった。それは美術界からは疑惑の目を持って遠ざけられているが、大衆からの人気は一級と言えた。それは皮肉にも、画家こそが、絵画AIをもっとも上手く使えることの証明ではないか?

 ならば、もっと優秀な、最も高い能力を持つ画家がAIを利用したら?

 AIと人間が協力すれば、人間の限界を超えられる。AI以前の人類が、不可能だと思いこんでいた壁を。このことを証明するための最適なユーザーとは?

 エステラ!

 AIという洪水によって淘汰されるであろう芸術家の群れから、彼女のような上位層だけを私が方舟に乗せて救い出してやろう。そして私は彼女に最も強力な武器を与えよう!私の作った知性ある筆を振るう彼女の作品を見た人々は、人類がAIという最良のパートナーと共に、進化の新たな階梯を登ったことを否が応でも感得するだろう!

 あいにく、彼女は今精神を病んで故郷へ帰ったということだった。同業者たちのために思い悩んだ末に。


 私は懐かしい田舎町へ馬車を走らせた。

 領主館へつくと、外観は当時よりもさらに荒れ、ほとんど見るも無惨な廃墟となり果てていた。スペインゴケは枯れて庭全体が黒く沈んでいた。

 ミス・ハヴィシャムはすでに亡くなっていた。親族のみでひっそりと行われた葬儀に私は招待されなかったのだが、そうでなくとも私は連絡を怠っていた。私の大いなる期待を裏切った、ニューラルネストの真の考案者の名前は歴史の表舞台には残らないだろう。彼女は最後まで、誰にも理解されない罪でその身を焦がし続けた末に死んだのだろうか?

 燭台の灯りだけを頼りに、かつてエステラが得意げに説明した大広間を通り過ぎ、ミス・ハヴィシャムのアトリエへ足を踏み入れた。アトリエには変わらず、固まった絵の具がこびりついたパレット、空のイーゼル。そして、切り裂かれたキャンバスが散らばっていた。

 窓からの弱い光の中、ミス・ハヴィシャムの椅子にエステラは一人で座っていた。まだ若いエステラは、今はなき哀れな老婦人のパロディを演じているだけではなく、やつれて実際より老いて見えた。

「エステラ?」

 私の呼びかけに返事はなかった。しかし、彼女は暗闇の中で私を見たようだった。私は持ってきたキャンバスの覆いを取った。そこにはエステラが描いたように見える油絵があった。

「きみがスランプだと聞いて、きみの画風を集中的に追加学習させて、きみの未完成の作品を完成させた。タイトルは『LoRA』だ」

 エステラはしばらく生成物を見ていたが、やがて冥界の船の漕ぎ手のように上体を斜めに傾げながら立ち上がった。そして無言で近づいてきた。私は続けた。

「もちろん、この美の生成に、学習素材として貢献してくれた見返りは十分に払う。君が死んだ後も残る財産だ。世界に美がまたひとつ増えたんだ」

 エステラは絵を手に取り、地面に力なく落として、それを踏みつけた。そして、千回のキスよりも激しい熱烈さで私の頭部を両手で鷲掴みにし、私の眼をまっすぐ見て言った。

「贈り物をありがとう。わたしの顔の皮を剥いで作った画布に、わたしから抜き取った血を塗りたくって描いた素敵な贈り物を」

 呆然とする私に彼女は続けた。

「わたしはあなたに本当に、本当に、滅んでほしいと思っている。ずっとそう思ってきた。科学に法が追いつくタイムラグによって生まれた間隙でまんまと稼いだこそ泥でしかないあなたが、科学そのものを盾にできると言い放つのを見たときから。あなたには、古来からデーメーテールやペルセポネーに捧げるべき蜜を収穫するはずだったのに、今では哀れな囚人となった小さな生き物の詰まった箱と一緒に、消滅してほしいと思っている」

「な、なぜだ」私は唖然として言った。「君も、僕を盗人と呼ぶのか?」

 私は正気を取り戻すと彼女の手をはねのけて言った。

「僕は君を救いに来たんだ。君は絶望と怒りで、我を忘れている」

「いいえ、もっと早くこうしていればよかった。仄めかしや暗示ではなく、はっきりと言えばよかった。そうでなければ、あなたには伝わらないのだから」

 私は無名の画家たちのこのような過剰な拒絶反応を、ヒステリックで非論理的だと文書上では非難してきた。しかし、今のように影響力のある相手を味方につけたい場面では別のアプローチを取るべきだろう。

 私は画材の残骸だらけのアトリエを、猛獣と対峙するように歩きながら説得を始めた。

「たしかに最初は無許可だった。でもそれはもはや、重要な問題ではないだろう。君たちの作品と、それを含むすべての情報が、AIの進歩にとって必要だと、今や皆が知っているのだから。もはやAIは我々の生活に欠かせない。なのに、なぜ自分だけは提供を拒めると思うんだ?」

「わたし達が必要?でも、わたし達はあなたを必要としていない。著作物を無許可で収集しなければ、この技術は成り立たない?ならば、成り立たなくていい。あなたがたの機械的で汚れた手は、絵画だけではなく、いずれは人々の顔や声にまで及ぶでしょう。そして、それらを他人のものと混ぜて、辱めるでしょう。メアリー・シェリーの書く怪物のように、呪われたあり方に貶めることで」

 かつてのダンスホールで、お互いを周回しながら議論する私達の姿は窓からの青白い光によって廃墟の床に落ちて歪な影となった。

「どんな技術にも、悪用する者はあらわれる。しかしそれを理由に技術そのものを捨て去ることは馬鹿げている」

「この技術の起源が、すでにその悪用から始まっているの。中立的なのは、ニューラルネストや、拡散モデルといった理論まで」

「どこまで時間を戻せと言うんだ」

「まだ無垢だったころまで」

 遺産を受け取る前まで?それとも、子供のころまで?ここで彼女とお互いを描き、覚束ないダンスをしていたころ?屋敷の窓枠に這う美しいツタに彩られた、私の思春期を収めた本の表紙。琥珀色、枯れた灰色、緑。色相の離れた二色のグラデーションの中間はスペインゴケの掠れたグレーでなじませられる。常に私の画角に映り込む黄金色は、箔押しの装飾として渦巻く葡萄のツタと調和し、付きまとった。

 私の思い出は長い年月の間に圧縮されて情報が削減され、美しい部分しか復元できなかった。

「君の認識は偏っている。なぜ良い面を見ない?千年王国のビジョンを共有しろとは言わない。だがなぜ、蜂が運んでくる恩恵を見ようとしないんだ?」

「この数年間で、あなたの蜂がもたらしたことを見た?詐欺と虚業には強力な武器となった。でも、芸術と文化に対しては、それ自身の矮小化され、平準化された類似品を氾濫させるに終わった。当然だわ。蒸気機関は自然から、つまり人類の外部から活力を収奪することで、少なくとも人類のことは豊かにした。でも、あなたのエンジンは著作物という人類の内部に存在する資源に目をつけた。まるで自身の尾を飲み込もうとする蛇のように。それは、文化全体を、情報が削減された空間に縮退させる。それがニューラルネストが行うパターン抽出という名の不可逆圧縮の定義なのだから!」

 彼女は私の発言や記事を読んで、仮想的な議論を繰り返したようだった。所々ガラスの割れた大窓からの月明かりの中で、彼女は私の夢想を破壊するための言葉を紡いだ。

 彼女は千年王国へ至る言語の進化を否定した。

 彼女は私の二重思考をひとつずつ破断した。

 彼女は、幻覚は創造ではなく、複製は精度ではなく、圧縮は学習では無いと言った。

「……もういい。十分だ」私は耐えきれずに言った。

「君とは相容れないようだ」

 積み上げてきたもの全ての崩落を迎えた後の沈黙が訪れた。私は踏みにじられた贈り物に目を落とした。

「なぜこうなってしまったんだ?すべては君のためだったんだ。僕が最初に贋物のレンブラントをここに持ち込んだのも、不吉な遺産を受け取ってロンドンへ向かったのも。君を愛していたからなんだ」

「私も愛している」

「なぜ今それを言う!」私は声を荒げた。

「あなたが、私の敵になってくれたから。私が生涯をかけて戦う相手を教えてくれたから。

あなただけが教えてくれた。あの老女が私に教え込んだ相手とは違うけれど、もっと巨大で、これから大きくなり続ける敵の姿を」

 エステラの目は、いまや生気を取り戻したように見えた。私を盗人ではなく、敵と認識したことで。

 私は後退り、その目に背を向けた。私は振り返らず、逃げるように領主館を出た。それだけではなく、実際に国外へ逃げることを計画し始めた。

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