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12
三ヶ月後、言語AIはすでに巣箱ユーザーの間に広まっていた。私が巣箱の構成と、入力器材のレシピを公開したからだ。今や私の所有する言語AIの性能はウェミックのものと比べて格段に上となった。
言語コーパスの収集は、AIアートの力を借りて行った。AIアート用の巣箱の価格が落ちたとはいえ、それは型落ち品の話だった。依然として最新型は高価で、上流階級の庭にしかなかった。(そもそも庭が広くないと置けなかった)その中でも、常に最新の巣板に換装し続ける、最も強力な巣箱である私の研究所のオリジナルを使いたがる紳士は多かった。大型で高精細のキャンバスを高速で仕上げるために。私は彼らに使用権を貸し出す代わりに、対価として著作物のスキャンデータを要求したのだった。
〝ガージェリー問題〟(私の義兄ジョーが最初に提唱したことでそう名付けられた、学習素材の絶対量がこの時代には足りないのではないかという問題)は常に頭をよぎったが、なぜか実用に足る性能が発揮された。蜂は彼ら同士のコミュニケーション能力を、足りない部分の補完に使ってくれているのかもしれない。
著作物の収集を始めたことを知って、ウェミックが懸念した通り、反対運動はこれまでになく激化した。画家とその周辺だけだった反AI派の抗議活動の列には、いまや小説家を含む様々な種類の芸術家が続いていた。
とはいえ、まだ抑えきれない数ではなかった。ほとんどの芸術家は、自分の番が来るとは思っていなかった。蓄音機が実用化されていない状態で、歌手が自分の声を記録した媒体が巣箱に投入されて模倣される可能性に対して、危機感を持つことは難しかった。舞台俳優の顔写真はすでにAIによってフェイクブロマイドが作られていたが、彼らの演技が模倣されることは想像すらできなかった。だから、彼らの連携が取れているとは言い難かった。
産業革命を批判したロマン派生態学者たちは、最初は自然派の技術とみなしていたAI養蜂を、一転して批判し始めた。いわく、かつては公正で道徳的な社会的共同作業の象徴であったミツバチは、いまや工場での労働において機械の部品のひとつとみなされる不自由な人間のカリカチュアとしてしか捉えられなくなった。そのような作業と最も遠いところにいるとされた芸術家でさえ、今ではAIに焚べる石炭を採掘させられているに過ぎない。
これらの反AI的言説に対して、私も黙って見ていたわけではない。社員が増えた事務所で、私は世論を導くための執筆に追われた。AIの正当性と有益さを説く記事を各新聞社に寄稿し、論陣を張った。
私は建築家のエドワード・ペイリーが一八三一年に発表した反ラダイト的小論文の中の、ミツバチの寓話を使った主張を引用して、AIに対するネオラダイト運動に対する諫言とした。
その寓話の中で、ミツバチは素晴らしい蜂蜜作りの機械の使い方を間違え、暴動と経営不良によって窮地に陥ってしまう。しかし女王は、悪いのは労働者自身であって、機械に非はないのだと言う。「機械は友人であり、人間の敵ではない」
私はまた、道具の中立性を頻繁に説いた。包丁を使った犯罪が起きたからといって、犯人ではなく包丁を取り締まることが正しいだろうか?このような単純な主張も、私を支持するAI使用者の紳士たちは好んで多用し、その物量は効果的であるように見えた。
私はまた、蜂の清潔さと保存性に喩えて、言語蜂の公益性も強調した。Parnassi Puerperium (London,1659)の中の、「プラトン」と題された一七世紀の風刺詩(エピグラム)にも、こうあるではないか。
〝汝の甘き口を巣に選んだミツバチは、汝の著作から蜜を集めて生き続ける〟
作家の書くあらゆる文章は、そのエッセンスをAIのモデルの中に取り込まれて永久に保存される。本来は誰の記憶にも残らなかったであろう作品が、公益の一部となれるなら光栄に思うべきではないか?
私は連日、論戦に追われた。新しく参加した反抗者たちは画家よりも饒舌だったからだ。
そんな中、私達とは別の企業が翻訳AIを開発した。その巣箱は英語を他の言語に、実用的な精度で翻訳した。
私は怒りを感じた。理由は、その抜け駆け自体ではなかった。反AIたちが、翻訳AIや図書館司書AIには何も文句を言わないどころか、そのAIを使用して私に反論を送ってきたからだ。なんという恥知らずな二枚舌だろうか。
彼らの言い分によると、再現性がある――誰がやっても同じになる、あるいはそれが期待される技術はAI化による個性の侵害が起こりにくいとされるので、許容される。AIに対する命令文も同じジャンルに分類される。一方、訳者の個性が発揮される文学作品の翻訳への使用は控えるとのこと。
再現性と一回性、それが彼らが言いたい違いなのかもしれない。その境界線がおぼろげに見えてきた。
13
嵐が続き、その夜も執務室の窓を風雨が叩いていた。通りにガス灯が灯ったころに、ハーバートが私のデスクに新聞を置いて言った。
「あまり根を詰めるな。まだ今日の分を読んでいないだろう?」
「AIに要約させておいてくれ」私は書類から顔をあげずに言った。
「連日のこの天気だ。屋上の筐体は稼働していない」
私は自分の迂闊さに気づいて顔を上げた。
「そういえば、そうだったな」
長い間、巣箱の世話を他人にまかせて忘れてしまっていた。このエンジンの稼働率は天候に左右される。人工的に材料を供給する、閉鎖型の巣箱も考えていたものの、実用には至っていなかった。どこか雨が少ない国にでも移ることを考えることもあった。この国は騒がしくなりすぎた。
私の目は、新聞の見出しに著名な小説家の名前を見つけて驚いた。
「チャールズ・ディケンズだと……?彼が寄稿を?」
「いや、反AIが彼を引用しただけだろう。宿でゆっくり読むがいい。少し休むんだ」
「ハーバート、君はなぜまだ私につきあってくれるんだ?」
私の友人は少し考えてから、こう答えた。
「できないことをできるようにしてくれるからだ。歩けない人に義足を作ったり、目が悪い人に眼鏡を作ったり。君がやっているのはそういうことじゃないのか?」
暴風雨の中を歩き宿の部屋に帰ると、何者かの気配があった。床がすでに濡れていた。
窓から差す雷光が、低い椅子に身体を沈めた侵入者の影を床に映し出した。
「何者だ」
私はランプを向け、牽制した。そして闇へ向けて言った。
「あなたが反AIだとしたら、こんなことは無意味だ。私を脅して黙らせても、技術自体はすでに地球の裏側にまで拡散しているんだぞ」
「そのとおり、お前は賢い。昔からだがな」
男は言った。その地の底から響くような声は素朴な善良さとはかけ離れていた。私の過去を知っているからといって、ジョーではありえなかった。
「それに、身体も大きくなったな。うれしいよ」
「誰なんです」
男は近づいてきた。雨に濡れた黒いコートの両手を鷹揚に広げて、白髪だらけの髭面には笑みさえ浮かんでいた。
「まだわからないか。それなら、こうしたらどうだ?」
男はその機械的で汚れた手で私の口をふさぎ、首を鷲掴みにして、私の頭をガクガク揺らしながら言った。
「動くな小僧!さもないと喉を掻っ切るぞ!」
私はランプを取り落とした。
私の心を襲った衝撃と恐怖を表す言葉を、まだ若い学問である心理学に求めても見つからないだろう。あえて喩えるなら、私の喉元につきつけられた脅迫という刃が雷光を照り返し(フラッシュバック)、それによってつけられた深い傷(トラウム)が開いたとするべきだろうか。
私はわが盗人と再会したのだ。
彼は復讐に来たのだろうか?私が秘密を拡散させた罪で、子供の私を一晩中怖がらせた脅しを実現させにきたのか?
「巣箱を開けて、お宝が増えていたときのお前の顔は見ものだったな。俺も同じくらい間抜けな顔をしていたに違いない」
男は親しげに笑った。私の顔からようやく手を離すと、我が物顔で私の書斎を歩き回りながら、聞いてもいない身の上話を始めた。
「あれから俺がどうしていたか?お前のおかげでまんまと国外へ逃げて、いわゆる拠点を変えて、海外で仕事をし始めたのさ。絵画の〝移送業者〟をね」
私は平静を装って、相手を刺激しないように言った。
「それはよかった。あなたの事業が上手くいって」
「お前ほどではないさ。すばらしいスーツ、豪奢な部屋だ。紳士の部屋には立派な装丁の本がたくさんあると思っていたが、本当のようだな。これを全部読んだのか?」
「要約させたものを」
盗人は歩くのをやめると暖炉の炉棚に肘でもたれながら、私に言った。
「ときに、俺みたいな下卑た人間が、ひとつ聞いてもいいかな?お前のこの大層な財産はどこから来た?」
「AIアート作品と、学習済みAIを搭載した巣箱の売上からです」私の声は震えた。
「そのようだ。だが、その学習元となるデータセットは、どこで手に入れた?」
「それは……寄贈されたのです」
「寄贈?誰から?十二万四千点の絵画と、およそ三十七万枚の写真、すべての所有者が寛大にも無償で提供に同意してくれたのか?」
私の心臓は早鐘のように鳴り、忌まわしい宣告を待った。
「医療写真のような絵画が出力されたことは?存命の作家の、著作権が切れていない絵画は?違法で猥雑なモチーフや、出回るはずのない一般人の私的な写真は?」
「まさか……」
「そのような〝大いなる遺産〟を構築できるのが、規制の甘い海外を拠点とする絵画の移送業者だったとしたら?」
わたしはよろめいて、後退りながら、椅子の背もたれに手をかけた。
遺産の寄贈主、わたしの後援者はこの盗人であり、ハヴィシャム婦人ではなかったのだ。彼女がエステラに見合う相手を育成しているという大きな期待も、私の思い込みだった。
「アノテーションは手間だったよ。奴隷や子供達を使って画像とテキストを対応させた。この技術の根底にあるのは、太陽の直接的な恵みなどではなく、マンパワーだ。まあ、おれを助けてくれた子供に恩返しするなら、奴隷の子供を何人使おうが問題ではなかったがな」
私は耳を覆いたかったが、男が私の両肩に手を置くのでそれもできなかった。
「わが子よ。おれはあのときお前に、おれと同じ才能の片鱗を見出した。この世が騙せること、美がハックできることを期待しているお前の眼に。おれがお前を紳士にした。おれがお前を創ったのだ」
虚脱状態の私に男は背を向け、戸口に立った。彼は、単に〝わが子〟に会いに来ただけなのだった。はるばる海外から危険を冒して。
「おれは追われている身でな、このことを表沙汰にはしないし、お前がそうしないことも知っている。お互い得にならない。だが、近くにいて、わが子を見守っているよ」
わが盗人が去ったあとも、私は動けなかった。
データセットに著作物が紛れ込んでいるのは知っていたが、これほど広範囲のものが、初期からとは。しかし、このデータセットを放棄することは考えられない。そうすれば、〝大いなる遺産〟そのものを破棄してしまえば、モデルの性能は初期のレベルまで退化してしまうだろう。
こう考えて気を取り直す。たしかにデータセットに問題はあるが、致命的なものではない。追跡を徹底し、希望があればオプトアウトできるようにすればいいのだ。著作物のオプトアウトは著作者の手間になるが、申告制にするほかない。
起源の違法な画像は保持したまま、気づかれないうちに、徐々にクリーンなデータセットに変えてくしかない。AIアートの〝原罪〟を背負ったまま。
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