7,8
7
「〈Theatre de l'Opera de la Lune(月のオペラ劇場)〉が、入選した」
ハーバートが息を切らせてウォルワースの〝城〟に駆け込んで、朗報を告げた。彼と私とウェミックは手を取り合って喜び、イライザはいつもより多めにトーストを焼いた。
〈Theatre de l'Opera de la Lune〉とは、私達が少し前に完成させたAI絵画。それを、王立芸術院が主催するサマー・エキシビジョンに応募していた。誰にでも参加資格があるが、選考がありそれを突破することは栄誉とされる。一七六九年から毎年開催されている有名な展覧会だ。この作品は完全なAI産ではなく、ハーバートに修正させたものだった。とはいえ、サロンはインドミツバチの絵画を認めたのだ。
この絵の内容としては、聖堂あるいは寺院の内部、その壁が大きな円形にくり抜かれており、そこから白飛びした外の景色が見えるというもの。しかしそれは、そのように我々が解釈した上で細部を加筆したからであって、生成された直後は意味が特定できなかった。その円形の部分は、暗い夜空に月が浮いているようにも解釈できた。
窓の周囲には人に見える物がその窓を見ているが、人体としてはかなり崩れている。これは初期の生成物としては仕方ないことだった。
後から思い返すと、このような蜂の誤解釈やパレイドリアから生まれる連想遊びや、人間には決して思いつかない発想の飛躍は、この時期をピークに減っていった。蜂が言葉と形状の対応関係を学ぶにつれ、精度は高まり、生成物の美しさは既存の画家にますます近くなっていくものの、それと引き換えになるように。とはいえ、この頃の私達が感じていたのは性能の向上に伴う高揚感だけだった。
ロンドン中心部にあるピカデリーのバーリントンハウスで開催された展覧会の開会セレモニーに、私はA.I.氏の代理人として訪れた。
我々の作品とは別に、ひときわ多い人垣があった。その中心にいるのは自作に対する称賛への応対をするエステラだった。彼女は社交界からの有り余る承認を受け、美しく成長していた。
彼女は私を見ると、私を子供時代の良き友人と紹介して輪を抜け出してきた。
「懐かしい顔が見えたものだから。久しぶり」エステラは微笑んだ。
私の身分を考えると常識外れの対応に思えたが、彼女は本心から子供時代を懐かしんでいるようで、私にも当時の気分がよみがえってきた。
「パリから帰っていたんだね。知らなかった」
「フィル、あなた一体どうしたの?紳士みたいな格好をして」
エステラは私の卸したてのスーツを見てからかった。
「〝遺産〟のことは、ミス・ハヴィシャムから聞いていないのかい?」
「何のこと?あなたはとうとう、虫たちの領土からの不労所得を得る郷紳になったの?」
彼女ははぐらかすつもりだろうか?ミス・ハヴィシャムが、本来正統な相続権を持つはずの彼女の親族連中を黙殺して、下層階級の私に莫大な遺産を贈与しようとしていることを。たしかに、それに大っぴらに触れることは不要な妬みを生むだろう。私は話をあわせた。
「そうだよ。今では誰もが貴族になれるんだ。少々の幸運があれば」
「では、あなたのオブリージュは何?」エステラはおどけて新しく身に着けた発音で言った。「伝統的な本物の紳士は、騎士のように戦場に赴き、治安判事のような仕事を引き受ける義務があった。少なくとも、そのように振る舞って領民を安心させなければならなかった。あなたは領民たちに何を負っているの?」
「ありがたいことに、僕の領民たちはそれほど多くを望まないから」
いくつかの冗談と思い出話の後で、エステラは絵について訊いた。
「ところで、まだ描いているの?」
「実は、まだ作っているんだ」私は生成物を指し示して言った。
「まさか」
エステラの顔から笑顔が消えた。彼女は驚きをもってまじまじと絵画を見つめたが、次の瞬間に全てを察して言った。
「自分が何をしたかわかる?あなたはロイヤルアカデミーを欺いたのよ」
「アカデミーには、蜂を使ったとちゃんと申告したよ。でも、信じてもらえなかったみたいだ。反応がなかった」私は弁明した。
「ええ、信じないでしょうね。でも私が言っているのは、フェアじゃないということ。フェンシングで銃を使ったり、学問の試験に辞書を持ち込んではいけないわ。それはたとえ可能でも、あえて誰もやらないことなの。競技において」
「ただの道具だよ。新しい画材さ。それに、ぼくは絵画を競技と思ったことはない。商品は効率的に生産されるべきだ」
私はこのとき、〝蜂は画材〟というキャッチフレーズを思いついた。いつか宣伝に使おうと決めた。
「冗談でしょ?蜂がただの道具じゃないのは、あなたが一番わかっているんじゃない?」
「そう、AIは普通の道具ではなく、感性を持った生物を使った道具なんだ。人間の画家のような感性をね」
ウェミックはAIの擬人化を批判していたが、私はまだ蜂の能力を感性と呼びたかった。私には、蜂が美を理解しているとしか思えなかった。
エステラは審問するように言った。
「それは本当に〝感性〟と言えるの?彼らは本能に従って営巣をしているだけで、美を感知したこともないのに。そして、あなたは道具に指示を出しただけで、自らは描いていないと言う。では、これらすべてのプロセスの中で、美を理解しているのは一体誰なの?あなたの巣箱に食べられた絵画の作者以外で」
このような批判を予想していなかった私は、たじろぎながら答えた。
「蜂は彼ら先人から学んだんだ。それに対する敬意は忘れていないよ」
「おお、領主様」エステラは嘆かわしさを誇張した。「過去の偉大な画家たちは、あなたの領民ではないのですよ。あなたに徴税されるために美を生み出してきたわけではないのです」
「君たちも、巨人の肩に乗って作品を生み出している。それとどう違うと言うんだ?人類の文化はそのように受け継がれてきたんだ」
「本気で言っているの?」
エステラは今まで相手と会話ができると思っていたのが信じられないという様子で、私に憐れむような視線を向けてから、取り巻きの中へ帰っていった。私達のおよそ五年ぶりの再会はそのように終わった。
ウォルワースの城に戻った私は、AIの存在を世間に公表するときが来たのだと言った。絵画やAIアーティストの名前ではなく、この技術自体を商品とするときが。
「しかし問題があるぞ、フィル」とハーバート。「それは、誰も蜂が絵画を描くと信じていないことだ」
ウェミックも同意した。「たしかに、毎日私達の話を聞くイライザさえ、私達のやっていることは何らかの計算を含む思考実験だと見なしている。人々に信じてもらうための演出が必要だ」
私の研究所の屋上に新聞記者を連れてくるのはどうだろうか?いや、もっとセンセーショナルな方法が望ましい。
その時、新聞のある一面に目を留めた私は、最適なお披露目の場が設けられることを知った。その年、つまり一八六二年の五月に。
しかしこの公開では、国内どころか世界中にこの技術が知れ渡ってしまう。そうなれば後戻りはできない。私は本当にこうする用意があるだろうか?蜂たちの王朝を離散させる用意が。私は本当に技術をシェアしたいと思っているだろうか?
私は再会したエステラとの会話を思い出した。彼女の纏ったパリの空気を。
エステラは蜂を画材とは認めなかった。そして、蜂の絵画をアートとは認めなかった。人間が描いたと信じこんだサロンは私達の作品を認めたのに。
〝美を理解しているのは一体誰なの?あなたの巣箱に食べられた絵画の作者以外で〟
あの絵を描いたのは蜂だし、監督したのは私だ。見て評価したのはサロンだ。しかしエステラは、その機序を、それが存在する理由を理解している人間の不在を問題にしたのだ。
私は彼女が少数派であることを示したいと思った。芸術家や評論家を除く大抵の人間は、絵画の描かれ方や作者に興味がない。それが美しければ用をなすのだ。私はアートの定義を変えたいと思った。
私は彼女を愛しているのか、乗り越えるべき論敵と見做しているのかわからなくなった。
8
第二回ロンドン万国博覧会は、サウスケンジントンの王立園芸協会に隣接する土地で開催された。
前述の展覧会の際、主催者であり王立芸術院の会長のチャールズ・ロック・イーストレイクに対して、私はゲーテの色彩論を引用してインドミツバチの芸術的色覚を説明する怪しい論文を送り付けていた。熱意に押された彼は私達の出場を推薦すると約束した。
万博の開催当日。私達の屋外ブースには人だかりができた。
私達の出し物は、ほぼすべての面をガラスで構成しなおしたSpiracle Diffusionだった。巣箱の全面をガラスで構築するというアイデアは、第一回ロンドン万博の象徴として名高い水晶宮(クリスタル・パレス)から着想を得たものだった。
王立園芸協会の庭園を望む健康的な芝生に置かれたそれはロンドンの灰色の屋上にあったときとは違い、巨人の臓物からひとつのテラリウムへと印象を変えていた。蠢く昆虫たちはガラスの宮殿の中では、トマス・マフェットの言う気高い王国の臣民として俯瞰できた。
人々はその目で、蜂が絵画を生成するのを見た。水晶宮の巣箱の中で起こる生成プロセスをすべて。私が調合したフェロモンを入力層近くの斥候蜂に嗅がせると、その伝令を聞いた群れが一斉に湧き立ち巣箱全体が唸りを上げて起動した。最終出力層で、人間の画家が描いたと言われても遜色ない傑作が、蜂がその口吻で塗りつける蜜蝋入り油絵の具によって、少しずつ描画されていく様子を人々は確かにに見た。
一部の人々は他の展示に行くのも忘れ、一日中私達の巣箱の前から動こうとしなかった。博覧会全体を見渡せば、電信、海底ケーブル、世界初のプラスチック、バベッジの解析機関など見なければならないものが限りなくあったにも関わらず。人々は日傘の下で、絵画の描画途中の部分にこれから何が描かれてくのかについて予想しあった。
私達はこうして生成された作品群を公式に、〝Apis indica(インドミツバチ)アート〟――略して〝AIアート〟と呼ぶようになった。
およそ六ヶ月に及ぶ万博の期間中にも、私達はSpiracle Diffusionの改良と増設をし続けた。二ヶ月後にはプロンプト常連の紳士の一団が、高品質な絵画を生成するためのプロンプトの分析を始めた。中には呪文のように長大なプロンプトを書いてよこす者もいて、私はフェロモンの調合に苦労した。呪文の中の良い出力に寄与していると思われる部分は切り分けて保存され、複製されて広まった。
このような実験は生成物の質の改良に望ましいものだったので、私達は予定より早く〝分蜂〟、つまり巣箱自体の販売とオープンソース化に踏み切った。
AIアートは流行した。貴族階級のみならず、いわゆる有閑階級の人々は、こぞって庭に巣箱を設置した。彼らが主に生成したのは写実的な人物画だった。風景は彼らにとって刺激が弱すぎた。画家の技量が感じられる大胆な筆のタッチより、細部まで描き込まれて「写真のよう」であることが彼らが絵を評価する最大の基準だった。
肖像画の人物の顔を美麗に出力するためのプロンプトは、ユーザー同士の情報交換によりある程度収斂していった。肖像画を生成するとき、みな一様にレンブラント・ライティングというタグをプロンプトに入れた。それは一つの照明の技法のことで、斜めからの光源が、鼻に遮られてレンブラントパッチと呼ばれる三角形の光となって頬に落ちるものだった。
AI肖像画ユーザーのほとんどがそういった描写を多用する画風に追従したので、この画風は見飽きた・陳腐化したとの誹りを受けた。元からそのような画風で描いていた人間の画家にとっては予想だにしない災難となった。彼らこそが人気の画風を生み出した第一人者であったにも関わらず、濫用されて希少価値を貶められてしまったのだ。
そういった画家たちの苦情を美術界から聞いたのはあとからで、そのころ私は熱狂に対処するのに忙しかった。
AIアートの流行を後押ししたと考えられる社会的・美術業界的理由はいくつかあった。
例えば、AIアートの登場の十年前に一時的に隆盛した、反アカデミズムの潮流。ルネサンスから続く伝統的絵画に反抗して、彼らラファエル前派が好んだコントラストと彩度の高い画面と細密描写は、AIアートにも引き継がれた。遠近法のわずかな破綻や不自然なアトリビュートの存在など、欠点とされる部分も継承されているのは興味深い。
また、一八四一年のチューブ入り絵の具の登場以来の、戸外制作ブームにも合致した。
産業革命による工場の中での疎外を批判したロマン派の詩人たちの目にも、この陽光の下で石炭を使わずに動くエンジンは、自然派で好ましい技術として映った。
「蜂は新たな画材。これからはApis Indicaアートで誰もが芸術家に」
この私の作り出したキャッチフレーズが、浸透した結果でもあるだろう。私は各種の宣伝に力を尽くした。
私達はすでに、より高性能な巣板(グラフィックボード)を販売するための会社を立ち上げていた。その株価は上昇し続けた。まだ大手の画廊がAI絵画を扱わないうちから。ちなみに、蜂の巣のような六角形の結晶を持つ黒鉛(graphite)と描画(graphic)が同語源であることは偶然だろうか。ピタゴラスが発見した平面充填の条件を満たす図形のうち、もっとも強度が高く、もっとも多くの蜜を保存できる六角形が、異なるスケールで我々の文化を支えることは。
こういったAIアートの流行に対し、大半の芸術家たちは冷ややかで、一部の芸術家たちは激しく反対した。しかし、彼らのパトロンがAIユーザーである場合、その機嫌を損ねない程度に抑えなければならなかった。学習元にされ露骨に画風を模倣されても、組合などが存在しないので対抗する力がなかった。
のちに反AI派は、「画家というのはAIによる大規模な情報搾取の最初の、しかも最も無防備で最適なカモに過ぎなかった」と述べた。
何人かの画家やその支援者は、私の事務所を訪れて直接抗議した。しかし、私の事業の妨害にはならなかった。私は彼らにかけてやる魔法の呪文を心得ていたからだ。
「AIの学習と人間の学習は仕組みが同じ」
「著作物から学習することは昔から人間に許されてきた」
「ならば、AIの学習を禁止する正当性は何もない」
この単純明快な三段論法を言い聞かせると、画家たちは大人しくなった。それらの前提を真とするなら、AIは「絵を描く能力を持った新種族」として分類される。「著作物になんらかの統計処理をして再利用する機械」ではなく。そもそも後者の機械の違法性を正確に表現する言葉を、我々はまだ持っていないだろう。
AIは新しい知性なのだ。例えるならば、絵を理解する妖精、天使、ゴーレム、未開人――どれでもよいが、そのように人間としての権利はないが能力だけがある生物を奴隷として所有するユーザーは、それにどんなものでも学習させる権利がある。ただし、偶に本当の盗作を出力してしまったときだけはユーザーが責任を負う。まるで、外付けで追加された脳が悪さをしたように。そう、これは脳機能の外注なのだ。ただし、他人の所有する脳ではないので依頼料は発生しない。
ウェミックはかつて、AIを擬人化すべきではないと言ったが、私はその忠告に背いたことになる。きっと彼も、計算機としてのAIをよく理解するために便宜的に言っていただけだろう。対外的には、私はAIが愛すべき生物であり、知性を持った隣人であることをアピールした。奇しくも〝I〟は、〝Intelligence〟の頭文字だったではないか?では、〝A〟については?……それは、今まで通り〝Apis(蜂)〟でよいだろう。蜂自体は人工物ではなく、神による被造物なのだから。
蜂は古来から神の恵みを運ぶ、神聖な生き物として扱われてきた。
ラムセス三世は膨大な量の蜂蜜をナイルの神に捧げており、その治世のヒエログリフに発見される蜂の象形文字は、大地と下エジプトの統治者のシンボルだった。
古代インドでは、ヴィシュヌ、クリシュナ、インドラといった神々を「マーダベッタ(Madhava=ハチミツから生まれた者たち) 」と呼んだ。
アリストテレスは蜂蜜が天から降ってきたと信じていたし、プリニウスはそれを星々の唾と呼んだ。
ギリシャ神話の牧神パーンと酒神ディオニュソスはミツバチに育てられた。ゼウスも母レアーによって残忍な父クロノスから匿われたとき、ディクテー山の洞窟でミツバチに世話された。このことからゼウスはメリッサイオス(ミツバチの人)とも呼ばれる。
聖ヴァレンタイン、聖アンブロジウス、聖ベルナルドゥス、アイルランドの聖モドムノクなど養蜂家の守護聖人たちはカトリック教会のイコンにおいて、ミツバチとともに描かれてきた。
教皇ウルバヌス八世は、家紋である蜜蜂の紋章を、バロック美術の巨匠ベルニーニに命じてローマのいたるところに刻み込ませた。
最後に、現代においてヴィクトリア朝の感傷主義は、この小さな生き物が再び愛されることを許した。人類学者ならばアニミズムとでも呼ぶかもしれない擬人的な共感能力によって。AIが大衆に受け入れられるための土壌として、私はそれを最大限利用した。
自ら「AIとの共存を目指す」と公言する画家も増えてきた。
争いを嫌う彼らは、蜂を新しい友人として好意的に描くことに協力しさえした。心優しい芸術家が、なぜ自分たちの業界に参入してきた、小さいが優秀な新参者を排斥できるだろう?
それでも、依然として彼らは、彼ら画家たち自身が感じる不条理の原因は説明できないようであった。何かが不当に侵害されているという感覚を。私達はその感情に、「新技術への恐れ」「自分より絵が上手い存在への嫉妬」という名前をつけてやることにした。
彼らがなすべきことは、その感情に折り合いをつけて絵を描き続けるか、静かに筆を折ることしかなかった。
適応か死か。私は意図的にダーウィンを誤読し、変化を迫った。まるでAIの存在が動かしがたい自然環境であるかのように。
私は画家たちを攻撃して学習素材の供給源を枯らすほど愚かではなかったが、AIユーザー達の中には自分たちの権利を妨害する画家たちを敵視する者もいた。彼らは画家たちに、その画家自身の画風を模倣した生成物を送り付け、代替を宣言した。
私は身内であるが不作法な彼らを公然と批判した。大切な人間の血を吸い尽くしてしまう考えなしの吸血鬼たちを。
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