第23話 気持ち悪かったでしょ

 改めて彼の顔を見てみると、汗だくになり、苦痛で表情が歪んでいる。あんな怖い霊が、今柊一さんの体内にいるのだ。苦しくないわけがない。


 私はだらりと垂れている彼の手を取った。汗ばんだその手をしっかり両手で握る。ひんやりとした手だった。


 柊一さんの胸元からは、どんどん黒いもやが出現しだしている。ここから出せと佳子さんが言っているような気がして、恐ろしくなった。


「頑張ってください!」


 食べた直後なので、浄化は上手く行くはずだ。そう思いつつも、不安になる。この前はたまたま成功しただけで、今日はちゃんと出来なかったら……。


「大丈夫、効いてますよ」


 私の不安を感じ取ったのだろうか、暁人さんが小声で言ってくれた。じっとモヤを見つめてみると、確かに広がっていく感じはない、ように見える。私は精神を集中して祈った。


 さっきの様子はなんだか怖くて呆気にとられたけれど、柊一さんがいなくては、西雄さんが解放されることもなかった。やっぱり彼は凄い人だ、こんな苦痛を請け負って誰かを救うんだから。私は今日、守ってもらってばかりで何も役に立ってないんだから、今こそ彼を助けたい。


 長く時間がかかった。だが、黒いモヤは確実に小さくなっていった。しばらく経ち、柊一さんの表情も和らぎ、うっすら彼が目を開ける。


「柊一!」


 彼はぼんやりとした目で私たちを見上げる。そして、小さな声で言った。


「ごめん……」


「え?」


「気持ち悪かったでしょ、食べるところ」


 私に謝っているんだ、と気が付き、絶句した。


 私があの時、恐れていたことに気付いていたんだろうか。確かに、あの光景は言葉に表現できない、不思議な恐ろしさがあった。佳子さんが溶けていく様もだし、それが柊一さんの体内へ戻っていくところも、とにかく凄かった。


 でも、一番辛かったのは柊一さんのはずなのに、ここで私を気遣ってくれるなんて。


「柊一さんは凄いです!」


 私はきっぱり言うと、彼が少しだけ目を見開いた。


「あの、実はちょっと怖かったんです、食べるところ。私、今までこういう世界を見てこなかったし……でも、西雄さんが穏やかな顔になったところ、すごく感動して、ああよかったなあ、って。それは柊一さんがあの悪霊を食べてくれたからなんですよ。だから怖いより、今は感動が勝ってます。柊一さん、すごいです!」


 私はぎゅっと彼の手を握る力を強めた。


 嘘はこれっぽっちもついていない。柊一さんも、それから西雄さんを安らかにした暁人さんも、二人とも凄い。私には到底出来ないことだ。


 私の言葉を聞いた柊一さんは、ふわっと微笑んだ。その綺麗な顔に、少しだけどきっとした。


「よかった」


 そう一言だけ言うと、彼はまた目を閉じて静かに眠っていった。疲れが出ているのだろう、当然だ。


 柊一さんの体を覆う黒いモヤはほんのわずかにまで減ったところで、暁人さんが私に声を掛けた。


「井上さん、ありがとうございます」


「柊一さん、大丈夫でしょうか?」


「ここまで小さくなっていれば大丈夫ですよ。ほら、顔を見ればわかる」


 言われて見てみると、確かに柊一さんの表情は穏やかなものになっていた。心地よさそうにすら見える。私はほっと胸を撫でおろした。


「車に戻りましょう。柊一、行くぞ」


 暁人さんは柊一さんの肩を抱え、立ち上がる。私も慌てて柊一さんの肩を支えてみるが、身長差もあるし役に立っているとは思えない。でも、少しでも手助けしたくて頑張った。


 そのまま二人で柊一さんを連れ、ホテルを後にした。








 車の後部座席に柊一さんを横たわらせ、私は助手席に乗り込んだ。冷え切った車内に入り、座ると、自然と長いため息が漏れた。


 すごい時間だった。まず怖すぎたし、疲れた。現実だとは思えない出来事ばかり。


 そんな私に気が付いたのか、暁人さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「大丈夫ですか」


「あ! はい、大丈夫です」


「あなたをこんなことに巻き込んですみませんでした。怖い思いもさせてしまって……ただ、おかげで柊一が本当に楽になったので、感謝しています」


 丁寧に頭を下げてくれる姿に、言葉が詰まった。礼儀正しくて、柊一さんを大事に思っているからこその態度だ。やっぱり推せる二人だなあ。


「いえ、二人とも気遣ってくださりありがとうございました! 色々心配かけてごめんなさい」


「とんでもないです。とりあえず、場所も場所ですから、車を出しますね」


「お願いします」


 暁人さんは車を発進させた。ちらりと後ろを見ていると、柊一さんが心地よさそうに寝息を立てている。


 ハンドルを操作しながら隣で彼が言う。


「後ほど謝礼はお渡しします」


「あ、どうもすみません……」


「そういう約束ですよ」


 廃ホテルが遠ざかっていくのをサイドミラーで見ると、体の力が抜けてどっと疲れが襲ってきた。私はぼんやりと思いを馳せる。


 とても大変なお仕事だった。危険も隣り合わせだったし怖かった。ただ、あれで悪い霊はいなくなり、囚われていた霊は自由になったのだと思うと、とてもやりがいがあるように感じた。


 謝礼目当てで参加を決めたけれど、少し見方が変わったなあ。想像していた除霊とかとはだいぶイメージが違ったし。


……今回は、二人の仕事内容を試しに見てみる、という約束で参加した。今後も柊一さんは悪霊を食べ続けるのだろうし、苦痛を繰り返すのだろう。


「……あの。お仕事が凄くやりがいがあるっていうのは伝わりました。でも、やっぱり体を張りすぎだとも思うんです。お二人なら、他のお仕事も選択肢はたくさんあるだろうし……どうしてあえてこの仕事を続けているんですか?」


 私が質問すると、暁人さんが黙りこんだ。まっすぐ前を見ながら運転している。


 すぐに返答が返ってくると思っていた自分は少し焦った。もしかして、訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうか。


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