10.その後

「……息はある、心臓も脳も動いている。問題なのは、目覚めないことだ。」

 セイジさんはソファにどっかりと座り、重々しく話す。

「植物状態ってやつなの?」

 彩芽がそう答えると、セイジさんは首を振った。

「植物状態というのは、大脳が働かない、つまり死んだ状態のことだ。陽美の容態は全ての機能が働いている。正確にいうと、大脳は休んでいるだけで、死んではいないということだ。」

「つまり……。」

 颯が呟くと、セイジさんは頷いた。

「これは、。だから、俺はこれに名前をつけた。」

「その名前って?」

 彩芽が聞くと、セイジさんは答えた。

「『無魂状態』だ。」

 無魂――つまり、魂が無い。全ての機能は働いているのに、体は動かない。それは魂が無いからだと。こんな科学が発展した現代なのに、そんなスピリチュアルなことを言うのは馬鹿馬鹿しいが、それでしか説明出来なかったのだ。

 光はそっと目を逸らした。

 陽美が死んだのは自分のせいだと、自分の選択ミスなんだと感じていた。いや、原因はまだまだあるかもしれないが、その一つには入っているだろう。

「そういえば、翼は?」

「翼なら、自室で休んでいるよ。」

 彩芽の疑問に颯が答えた。陽美の死を間近で見てしまった翼は、恐らくショックを受けたのだろう。

「様子見に行った方がいいのかな」

「そっとしとこう。」

 勇気がボソッと呟くと、颯はそれを聞いていたのか、勇気の行動を止めた。


 考える時間が欲しかったが、翌日は学校だった。休むのも気が引けるのでみんな行くことにした。

「光ちゃん、顔色悪いよ。どうしたの?」

 クラスメイトがちら、と顔を覗き込んでくる。

「いや、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。」

 光は笑うと、クラスメイトは心配そうに笑った。

 だが、給食の時よくおかわりしに行くのに、今日は逆に給食を減らしていたので、友人はもっと心配した。

 かく言う光は、陽美が死んだときから、本当にこのままでいいのかと感じ始めていた。

 本当に、『metatual』を守っていいのか?

 あの世界は、やっぱり、現実世界と一緒なのでは?

 セイジさんは、このことを気づいてなかったの?

 授業中も、休み時間もそのことばかり考えていた。

 放課後、勇気のことを迎えに行こうとすると、隣の教室から怒号が聞こえてきた。

「お前のせいで陽美が死んだんだぞ!」

「知らねぇよ!死んだってなんだよ!」

 その内の一人から見知った声が聞こえてきたので、急いで様子を見に行った。

 そこには、陽美をいじめていた人たちの一人に殴りかかっている翼がいた。

 周りは騒然としており、その様子を遠巻きから見ていた。

「ちょっと翼君、どうしたの!?」

「ちょっ、離せ!」

 光はいじめっ子の胸ぐらを掴んでいた翼をいじめっ子から羽交い締めにして剥がす。翼は既に激昂しており、ただただ目の前の人を殴ろうとする事しか頭に無かった。

「お姉ちゃん、どうしたの!?」

 隣のクラスの騒がしさに釣られてきた勇気はその様子を見て大声を上げた。

「勇気、先生呼んできて!」

「わ、わかった……。」

 光は迫真の表情をしながら勇気に頼み事をし、それを聞いた勇気は戸惑いながらその場から離れた。

「お前らが、お前らのせいで……!」

 翼がいじめっ子を睨みつけながらぶつぶつ言っていた。いじめっ子たちは臆することもせずに翼を見下ろしていた。そのうちの一人――リーダー格だろうか――が口を開いた。

「……あのさぁ、お前らお前らって言ってるけどさぁ、お前も一緒なんじゃねぇの?」

「……は?」

 翼は理解が出来ないと言った様子でいじめっ子たちを見上げていた。

「あーあ、お前もアイツのこと嫌いだと思ってたのに。お前も、うざいと思ってたんじゃねぇの?すぐに癇癪起こす奴とかさ。」

「な、なんだよ、なんだよそれ……。お前、そんなこと……!」

 再びいじめっ子に殴りかかろうとする翼を光は止めた。

「離せよ!光!おい!」

「ダメだよ!今殴ったら大事になっちゃう!」

「そんなのどうでもいいだろ!」

「よくない!」

 光と翼は押し問答状態になり、埒が開かなくなってきた頃に、ようやく先生がきた。

「お姉ちゃん、先生呼んできたよ!」

「だ、大丈夫!?」

「先生!」

「また貴方たちなのね、反省はしなかったの?」

「違うよ!コイツから吹っ掛けてきたの!」

 先生がいじめっ子たちに叱ろうとした時、いじめっ子の女の子が翼を指差した。

「は、はぁ?」

「翼くん、陽美ちゃんの件はもう終わったことでしょ?」

「なんだよ、まだ終わってねぇよ……。」

「何かあったの?」

 先生はイラつき混じりで、しかし優しく問いかけると、翼は答えようとした。

「だって、陽美は――!」

「翼君。」

 光は小さく、でも確かに響く声で翼を呼んだ。

「まだだめだよ。言っちゃだめ。」

「そ、そうだけどさぁ。」

 翼は眉を下げ、言い訳を言おうとしてやめた。

 光は自然と羽交い締めの体制を外し、翼を自由にした。

 その瞬間、翼は何処かへと去っていった。

「ああ、ちょっと……!」

 先生は急いで翼の後を追った。

 しん、と場が静かになる。暫く経った後、光が口を開いた。

「……勇気、帰ろう。」

「え……うん。」

 光は勇気の手を掴み、そのまま去っていった。


 光達が帰る少し前、セイジさんは相変わらずノート型パソコンの画面と睨めっこしていた。

「……セイジさん。」

「は――」

 セイジさんは樋口さんに呼ばれ、後ろを振り向いた途端、ぱしん、と頬を叩かれた。

 セイジさんは無言で痛みの余韻に浸っていた。

「……貴方がこうやって待っていたから、斉藤陽美は死にました。」

「死んではいません。」

「ほぼ死んだと言っていいでしょう?子供達にも悪影響を及ぼしています。こんなこと、しない方がよかった。」

「しかし、こうしなければ『metatual』は守られず、より多数の人が死んでしまう可能性がありました。」

「それは貴方が『bug』と『IE』の戦いを見せ物として見せたためであり、最初から『bug』だけであれば危険な存在として『metatual』には人が居なくなる……ああ、そうか。貴方は目先の利益の事しか考えられないんですね。そうでもしなければ、子供達を使って命懸けのことなんてしないですもんね。」

「違います。俺は『metatual』は皆がより良い生活を、平等に過ごせる為にあります。利益の為ではありません。」

「平等?よくそんな綺麗事を言えますね。平等なんてない。だって、人はみんな違いますからね。幸せと感じる度合いも、不幸だと感じる度合いも違います。それで、平等なんて、無理ですよ。」

「だからこそ、それを叶えるために『metatual』が――」

「『metatual』は何も叶えてなんかない。ただただ現実世界の焼き増しです。」

「……!」

「早くここから出ていってください。この寄生虫が。それとも、まだを引きずっているんですか?」

 樋口さんがそう吐き捨てると、ガチャ、とドアが開いた。

「ただいまー。樋口さん、ご飯は……。」

 彩芽が二人の方を見ると、ただ事ではないことがあるとわかった。

「ああ、おかえりなさい。彩芽ちゃん。ごめんね、ご飯はちょっと待ってね。」

「まだご飯の時間じゃないからいいけど、え、どうしたの?喧嘩?」

「ううん、なんでもないの。ああ、そうだ。ちょっと聞きたいんだけどね。」

「え、なに?」

 樋口さんからの質問に少しおどおどしながら聞いた。

「セイジさんことなんだけど……。」

「え、なに?」

 彩芽は少しだけドキッとした。なんで、そんなこと聞くんだろうか。

「セイジさん、ここからいなくなった方がいいと思う?」

「……え?」

 すると、彩芽から表情が無くなった。唖然としたのだ。なんでそんなこと、いや、心当たりはあるが。

「えっと……。」

「樋口さん、もっと聞き方があるだろう。」

「このくらいストレートじゃなかったら、本当のことも言えないでしょ?で、彩芽ちゃん、どうなの?」

 樋口さんがそう言うと、彩芽は引き攣った笑みを浮かべ、言い淀んでいた。

「あっ、と……、私……。」

 二人はただただ、彩芽の返答を待っていた。

「私、は……、セイジさんにいて欲しいかなぁ……なんて。」

「……なんで?」

 樋口さんは驚いた様子で、彩芽を見ていた。

「だって、みんなに人気でしょ?それに、私個人でも、髪いじれるのセイジさんくらいしかいないし……。いて欲しいかなあ、なぁんて……。あ、私、部屋に戻るね!」

 彩芽は、そのまま急いで自室へと帰っていった。

「……セイジさんって、意外と人気なんですね。」

「まあ、それなりに交流してますからね。」

 セイジさんは、再び画面と睨めっこしていた。

「……まぁ、今回は言及はやめます。でも、次、こんなことがあったら、苦しむのは貴方ですからね。」

「わかってますよ。」

 樋口さんはその返答を聞いた後、キッチンへと向かった。

 セイジさんはこのままではダメだとわかっていた。

 明日、みんなを収集しよう。そう思い、帰宅の準備をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る