Once More, Grave
#1
誰かに呼ばれた気がして、重い瞼を押し上げる。
先程まで体の隅々に纏わり付いていた不快感や、腹部の痛みが消えていることに気付くよりも先に、炎のような紅い髪をした少女の顔が目に入った。
「ロゼッタ………?」
彼女の名を呼ぶわたしを見て、ロゼッタは表情を明るくし、後ろのメイド達は顔を顰める。
「お嬢様の名を敬称も付けずに呼ぶとは、不敬千万ですこと」
そう口にしたのは、クソ以下な性格をしている同僚達の間で、テンプレ陰険ババアと呼ばれていたメイド長だ。似合っていないメイド服姿で澄ました顔をしてみても、どうせ記憶にも残らないモブキャラでは滑稽なだけだというのに。
「おやめなさい、マリオン」
マリオン。そうだ、このテンプレ陰険ババアはマリオンという名だった。
確か、ロゼッタが学院を追放された後、ルージュ家の立場が弱くなったことが原因で、解雇されて田舎に帰ることになるのだったか。いや、それ以前にも一度、どこかで登場していたような気もする。
殆ど出番の無いキャラクターにまで名前があるとは、拘りが強い会社に就職してしまったものだ。
「怪我はありませんか、ミミ?疲れているのなら、今日はもう部屋に戻って、ゆっくり休みなさい」
ミミと言えば、八歳のロゼッタが父を亡くした遺跡の近くで拾った、アルカンシェル女王国ルートでのラスボスの主人格の名だ。
いや、あたしの可愛い操り人形だったか。
違う、メメの復讐に巻き込まれただけの子供に過ぎない。
そうじゃない、私は小さなゲーム会社のキャラクターデザイナーで、国一番の聖導師で、魔法にも手を出して裏切られて追い出されて、生まれた時からもう一人の自分に怯え続けて、辱められて犯されて殺されて、公爵家の男を殺して、気が付いたら遺跡の近くで倒れていて、お嬢様に助けていただいて、奪われ続けた人生で、初めから奪われることが決まっていたかの様な人生で、あたしが奪ったものなんて聖法と魔法の発展に比べれば大した問題じゃなくて────
「ミミ?………ミミ!?」
ぐるぐる、ぐるぐると、頭の中で記憶が絡まり混ざり合う。誰かがわたしの中に入ってくる。いや、私が誰かの中に入ってしまったのかもしれない。それよりも前にわたしの中にはあたしがいたけれど、今はまた私があの二人に入り込んでいてわたしとあたしと私が、ぽたり、ぺたり、と滲んで広がっている。
「ミミを部屋に運んで、早く!!」
ロゼッタがメイド達に、私かわたしかあたしを部屋まで運ぶように指示を出す。
マリオンの腕の中で揺られている間、視線が定まっていないのか見える景色は現代アートのように煩雑で、脳内はそれ以上に煩わしく会話と言葉と単語と風景に支配されていた。
神奈川県川崎市某所にある、小さなゲーム会社────シーブリーズゲームス。
山奥の生活訓練施設を出て二十三歳でそこに就職した私は、三年が経つ頃になって、漸くメインキャラクターデザイナーとして仕事を任せられる様になった。
男性向けのアクションゲームばかりを売り出していたこの会社が発表したのは、オープンワールドでの爽快なアクションとプレイヤーレベルを廃止した完全スキル制のシステム、そして男性キャラクターとの恋愛を楽しめる────という、近年のオープンワールドゲームブームに便乗した内容だった。
そのゲームの名は、リリカル・ディストーション。
乙女ゲームとしては点数を付けられないが、アクションゲームとしてはそれなりの出来が期待された────しかし、スポンサーからは評価されずに、開発中止となった作品である。
スポンサーや経営陣は、多少はアクション要素があるといった程度の、脚本重視の乙女ゲームを求めていたのだろう。
しかし、製作陣は乙女ゲームなど作ったことがない者達の集まりで、加えて小規模な会社だ。
乙女ゲーム要素は男性キャラクターとの恋愛だけで、その他はソロプレイ向けのオープンワールドゲーム────それも、スキルが豊富という点以外ではあまり目新しさのない作品ともなれば、スポンサーが離れて、資金が枯渇するのも時間の問題だった。
それでも、昔からアニメやゲームが好きだった私は、ゲームのキャラクターを自分で生み出せるという興奮を現実逃避の薬にして、母姉一家に給料の殆どを奪い取られながらも、仕事人間として、ただひたすらにキャラクターを描いた。
そうでもしないと、あのクソ以下の環境に圧し潰されてしまいそうだったから。
私は、キャラクターを生み出すことに依存して、どうにか自分を保っていたのだ。
────どうせ、あのセクハラ親父に体で取り入って、それで仕事を貰っただけのくせに
煩い。
黙れ。
死ね。
誰が男なんかに取り入るか。
誰が男なんかに抱かれるか。
あんな感触、あんな感情、あんな時間は、もう二度と味わいたくない。
私の実力だ。お前達ゴミは私に負けたんだ。
黙って雑用でもしてろ、カス共が。
そうやって周囲を呪いながら生活を続けていたら、カスの様に、ゴミの様に、クズの様に死んだのは、私の方だった。
人を呪わば穴二つ、などとよく言うが、二つの穴では足りない程に、私は恨み深い人間だったらしい。
でも、仕方がないじゃないか。
だって、私は何もしていない。
何も悪くなかった。
理由も無く奪われ続けた上で、恨み言すら奪われる。憎悪の念すら否定される。
この子たちは私の欠片だ、と生み出したキャラクターも、結局はゲームの開発中止と同時にお蔵入りになって、また奪われた。
両親も。
尊厳も。
未来も。
財産も。
人権も。
心の拠り所も。
結局は、命までも。
奪われて、奪われて、奪われて、奪われて、奪われて、奪われて、奪われた。
奪われ続けた私には、もう、何も、何一つとして、残っていない。
私を構成する全てを、私は失ってしまった。
知らない天井だ────などと在り来たりな感想を口にする暇も無く、ロゼッタが真紅の髪を揺らし顔を近付け、わたしの手を握ってくる。
「まだ起きないで。今日はもう仕事はいいから、しっかり寝て体を休めなさい」
質素な木目に囲まれながらも貧しい雰囲気など欠片も感じさせないここは、使用人達が暮らす、ルージュ家邸宅内にある別館の一室だ。
ルージュ家はアルカンシェル女王国の王室を支える五つの公爵家の一つで、その歴史は建国時期にまで遡ることができるという、名家中の名家である。
五大公爵家はそれぞれの分野の最高統括者という立ち位置で、ルージュ家は街道整備や都市開発、科学分野を担っている。つまり、国の発展の柱の一つを支えている家、ということだ。
日本は華族制度が廃止されて久しい為にこれと言って喩えることは難しいが、強いて言うならば、内閣府の一角あたりになるだろうか。
或いは、イギリスの公爵家のようなもの、と喩えた方が適切かもしれない。
────わたしは、何を言っているのだろう。
日本やイギリスなどという国は聞いたこともない筈だ。この世界に、この大陸に存在している国は、ここアルカンシェル女王国を含めて八つと、未承認国家が一つしかないのだから。
いや、それこそ何を言っているのだ。
私は正真正銘の日本生まれ、日本育ちで、海外どころか本州から出たこともない。
先程の様に私と誰かと誰かが混ざり合っている所為で、この記憶が誰のものなのかということすら分からなくなってしまいそうだ。
「やっぱり、顔色が悪いわね………。治癒師を呼んだ方がいいかな………」
「い、いえ、問題ありません。少し緊張しているだけですから」
ロゼッタにそう答えて、再び頭の中を掻き回し、私を構築し直す作業に戻る。
十六歳の夏休みのある日、家に借金塗れのギャンブル狂が押し入って。
両親は殺されて、私は左腕と背中に消えない傷を負わされた。
引き取られた先の母姉一家には疫病神と言われ。
単位を落として高校を中退して、友人達とも疎遠になって、変な手紙が届くようになって。
外出ができなくなった私に、母姉一家の一人息子は関係を迫った。
避妊なんてしてもらえず、堕胎もさせてもらえなくて。
精神病院に入れられて、一年半後に山奥の生活訓練施設に送られた。
なんとか施設内の二年で社会復帰を目指せるまでに心身が回復して。
高卒認定試験に受かって、やっとの思いで就職が決まった時には、成人から三年も経過していた。
でも、施設から出るには身元引受人が必要で、結局また母姉一家の世話にならなくてはいけなくなって。
施設時代に貯めていた生活保護の受給金は、気付いたら母姉一家に盗られていた。
独り立ちを目指して仕事を始めたら、事件のことも、何故か十代で出産してその子供を捨てたことまで知られていて。
同僚の視線は冷たくて、嘲笑されてばかりで、上司には体を触られて。
引っ越し資金にしようと思っていた給料の殆どは、昔の食費だ、家賃だ、光熱費だ、水道代だ、迷惑料だと言われて母姉一家に奪われて。
漸く手にしたメインキャラクターデザイナーの仕事も、ゲームの開発中止と会社の倒産で失うことが決まって。
せめて最後にとキャラクターデータを整理していた年の暮れに、解雇されたセクハラ上司の八つ当たりで何度も何度も腹を刺されて。
セクハラ上司は私の服を脱がせたあたりで出血量に気が付いたらしく、何かを叫びながら逃げた。
窓の外では有害物質を含んでいそうな綺麗な雪が降っていて。
そうして、私から奪い続けた世界を憎みながら、死んだ。
それが私の人生だ。
自我が明確になるにつれ、鳩尾のあたりに怒りと憎悪が溜まっていくのを感じる。
特別目を引くような顔立ちをしていた訳でもない。寧ろ、特徴のない地味な顔だと、自分でも理解していた。
身長だって平均的だったし、運動も勉強も、良くも悪くもなかった。
私は間違いなく、どこにでもいる極々平凡な女だった。
そして、奪われるのはいつも、そういう普通の人間だ。
腹立たしい、などと言う度合を遥かに超えて、いっそ涙さえ出てきそうだ。
そう思っていると、いつの間にか本当に泣いてしまっていたらしく、ロゼッタが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「本当に大丈夫なの?やっぱり誰かに診てもらった方が………」
「少し、昔のことを思い出してしまっただけですから」
私の言葉にロゼッタは、成程と何かを納得した様子を見せる。
「心配ないわ、ミミ。あれからもう二年近くも経つんだし、私も貴女も、もう大丈夫。見極めの儀が終われば、ミミの好きな様に生きればいい」
私の過去など知らないロゼッタは、彼女が父親を失い、ミミを拾った日のことを思い出している様だ。
この状況を、私自身の現状を、どう解釈すればいいのだろう。
室内に広がる、微かな木の匂い。
シーツの感触。
窓辺を触れて去っていく、風の音。
ロゼッタの手の温度。
気が狂ってしまったのか、臨死体験か、或いは現実なのか、私には判断ができない。
ただ一つ分かることは、ここは私が勤めていた会社が製作していたオープンワールド乙女ゲーム、リリカル・ディストーションの世界らしい────ということだけだ。
私は、自分が作った中でも最も気に入っていたキャラクターであるロゼッタ・ルージュのメイドにして、アルカンシェル女王国ルートでのラスボスの主人格である、ミミに転生した………ということに、なるのだろうか。
「………ミミ?どうかしたの?」
無意識に笑みを浮かべていたらしい。
だが、それも仕方のないことだろう。
奪われるだけの人生に、突然好機がやってきたのだから。
「いえ、問題ありません。わたしのことはお気になさらず、ロゼッタ様はどうぞお戻り下さい」
ロゼッタは、私が生んだキャラクターの一人だ。
彼女はデフォルトのメインストーリーであるアルカンシェル女王国ルートで魔剣の所持者となって学院を追われ、聖剣の所持者となった
つまりロゼッタは、主人公に充てがわれた、所謂悪役令嬢というやつだ。
「何かあったらすぐに私を呼んでね。ミミはもう、私の妹も同然なんだから」
彼女はそう言って、部屋を後にした。
一人室内に残された私は、窓辺に立って、ルージュ公爵家邸宅自慢の庭────ではなく、そこから続く芝を眺める。
ここが本当に、開発中止になったリリカル・ディストーションの世界なのか。
或いはただのつまらない、臨死体験か。
そんなことはどうでもいい。
全くもって、心底どうでもいい。
このまま進めば、ロゼッタは数年後に破滅する。
正当化された物語の犠牲として、死ぬ。
だが、もう二度と、誰にも、私から奪わせはしない。
何一つ、奪われない。
何をしてでも、ロゼッタの死を覆す。
彼女は私の欠片だ。私のものだ。
前世の様な奪われ続けるだけの人生など、死んでも送ってやるものか。
奪われる前に、奪うのだ。
相手が誰であろうと。相手が何であろうと。
家族も。
尊厳も。
未来も。
財産も。
権利も。
心の拠り所も。
命すらも。
私から奪おうとするのなら、例えそれがこの世界そのものであろうとも。
奪って、奪って、奪って、奪って、奪って、奪って、奪い尽くして、今度こそ、奪われない人生を送ってやる。
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