第四章 . 【あめがやんだら】

 梅雨はもうすぐ開けてしまう。


 水溜まりを踏みながら雫石の元へと向かえば、いつものように傘を差して、ガードレールに寄りかかりながら雫石は待っていた。


 昨日喧嘩別れのように離れてしまった。


 なんて声をかければいいのか分からずに右往左往していると、雫石の方が柚希に気がついた。


「柚希?」


 何も変わらない様子で名前を呼ばれて、衝動的に雫石の肩を掴む。


「心中してくれませんか」


 不意に言葉になったのは、なんとも不思議な言葉だった。


 最初は一人で死ぬつもりだったのに、どうして今はこんなにも痛いのだろうか。


「雫石、お願い。連れて行って」


 願うようにそう口にすると、雫石は困ったように笑ってからいいよと呟いた。


 ーーーー


 崖の上から見る景色は、これから死ぬとは思えないぐらいに酷く綺麗だった。


「柚希、キスして」


 雫石は柚希の顔を見てしっかりとそう言った。


 イタズラなんてものでは無い、その言葉は本気だ。


 柚希はそれに応えてキスをする。


 数秒程度の触れ合いに、雫石は涙をこぼした。


「もうすぐ、時間だよ」


 雫石はそう言うと柚希の手を取って、ゆっくり顔を上げた。


 少しだけ涙のあとがついた雫石と、昨日泣き腫らした柚希はお似合いかもしれない。


「柚希、君のこれまでの痛みは全部貰ってあげるから」


 雫石はそう言うと柚希の胸に触れた。


「絶対に僕のこと忘れないで」


 雨は少しづつ弱まってきている。早く行動に出なければ、雫石は消えてしまう。


 そうは思うが、雫石の青い目が少しだけ潤んで光るのを目を離せなかった。


「あのね、僕は一つだけ嘘ついたよ」


「嘘?」


「なんだか分かる?」


 雲が少しづつ散り散りになっていく。


 雫石は柚希の頬に触れてゆっくり微笑んだ。


「柚希は生きて」


「……置いていくの?」


 声が震える。


 時間は無いのに、時ばかりは進んでいく。


「柚希はだって、もう、死にたくないでしょ?」


「そんなことないよ!」


 雫石とずっと一緒に居て、柚希は当初の目的を忘れかけていた。


 しかし、雫石がいなくなるのならば、話は別だ。


 雫石はそんな柚希を見て、笑顔を浮かべる。


「雨が降ったらきっとまた逢えるから」


「そんな保証ないだろ」


「信じてくれないの?」


「雫石のことは信じてるよ」


 柚希の答えを聞いて雫石は、柚希から手を離す。


「ずっと好きだよ、柚希」


 はじめて雫石から触れた唇は、塩の味がした。


 雲の隙間から光が刺して、雨が消えていく。


 柚希の目の前から雫石は消えていた。


 まるで元々存在しなかったかのように。


 一瞬触れた温もりだけを残して。


「ずるいよ、雫石」


 最後に雫石の手が触れていた頬に触れ、大声を上げて泣いた。


 雨がやんだら消えた初恋は、消えない痛みを残して行った。

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