第一章 .【友達ができたら】

 雫石に借りた傘を片手に、自前の傘を差してガードレールの前で待っている。


 人通りのほとんどないと言っても過言では無いような裏道で、昨日のことを思い出す。


 知らない人だったから話しやすかったのだろう。


 突然、死にたいなんて言われて雫石はどう思ったのだろうか。


 人並み外れた雰囲気を持つ雫石が何を考えているのか全く分からない。


「ごめん待ってた?」


 道の駅の方から降りてきた雫石は、柚希にそう言うと微笑んだ。


 雫石は紫の傘を差していた。


「傘、持ってきたけど邪魔になる?」


「あー、それ? あげるよ」


 雫石は柚希に道の駅へと向かうように促すと、傘を受け取ろうとしなかった。


 仕方が無いので、雨が止んでから返そうと思い持って帰ることにした。


 昨日と同じ場所へ腰を下ろして、雫石の言葉を待つ。


「さて、柚希。君の生命を貰う約束覚えているかい?」


「もちろん」


「なら、君の事を聞かせて」


 雫石は柚希の隣に座る。


「なんのために?」


「全く何も知らないまま生命を貰うのは僕の主義に反するから」


「……そう」


 雫石の言っていることはよく分からなかったが、別にいいかと思った。


 どうせ元々捨てる予定だった人生だ。


 今までのことを雫石に話したところでなんの影響もないだろう。


四宮柚希しのみやゆずき、高二。この下の過疎ってる学校に通ってる」


「学校? ああ、あの人の集まるところか」


「え、雫石学校知らないの?」


 問いかけると雫石は困ったように笑った。


 もしかすると触れては行けないことだったのではないかと焦る。


 雫石はそんな柚希のことを気にせずに、続きを促した。


「学校、わかる?」


「……学校。僕、通えないからよくわかんない」


 触れてはいけないことだったと確信して後悔する。


 後悔先に立たずとはこのことだろう。


 雫石は気にしていないようで続きを促してくる。


 柚希はまた話を再開した。


「そっか。学校は、俺と同い年ぐらいのやつがたくさん勉強しに行くとこだよ」


「それって楽しい?」


 楽しい、と言われると楽しくない。


 なんて答えるべきかと悩んでいると、顔が引きつっているのがわかった。


 こういう風に表情が表に出てしまうことも、柚希の駄目なところである。


 そのせいで何人とトラブルになったのかは数え切れない。


「楽しくなさそう」


 柚希の返事にたえきれなくなったのか雫石はそう言った。


「俺、いじめられてるんだ」


「いじめ? 集団リンチとかいうやつ?」


「え、なんでそんなことは知ってるの?」


「本で読んだ」


 雫石はゆっくり目を閉じて本の内容を思い出しているようだった。


 集団リンチとか、そんな物騒なことが乗っている本が気になってしまったが、ひとまず触れずに置いた。


「なんでいじめられてるの?」


「なんでって、デリカシーないよね雫石って」


「デリカシー必要? 生命貰ったのに、今更?」


 不思議そうに言った雫石にそれもそうかと同意する。


 よく知りもしない相手に生命を上げたのに、デリカシーも何も求める方が間違っているだろう。


「周りとはちょっと違うから」


「周りと?」


「そ。他の人と同じように楽しんだりとか、行事に真剣に取り組んだりとかしないからハブられてんの」


 楽しくないものは楽しくない。


 それに無理に合わせられないのに、どうやって相手の望む反応をすればいいのだろうか。


 中途半端になってしまう反応の全てを受け止められないのならば、正しい反応を教えてくれればいいのにと思う。


 それもしないでただ嫌いとか言うだけなら意味なんてない。


 やはり、周りとは意見が合わないみたいだとため息を着いた。


「やめないの? 学校」


「辞められたならそうしてるさ」


 学校をやめてその先に何をしたいのかも分からない。


「柚希をいじめるやつは、柚希が好きなんだね」


 雫石が唐突に言った言葉に動きを止める。


「だって、好きじゃなきゃ、柚希のことそんな一つ一つ見てられないでしょ」


「そ、それはないでしょ」


「なんで? 言い切れるの?」


 雫石の疑問に俺がそう思っているからとは返せなかった。


「柚希は、僕のことをどう思ってるの?」


「え」


「今日が終わるまでにひとまずの答えを出してね」


 ひとまず、と言われても。


 今のところ怪しい人であることしか分からない。


 でも、許されるのならば友達になってみたいと思う。


「とりあえず、友達になってよ」


「誰が? あ、僕?」


 当たりをキョロキョロと見回してから、雫石はそう言った。


「いいよ、んー、うん。いいよ」


「じゃあ、友達ってことで」


 とりあえず、どう思っているのかの答えになれそうなものを選択した。


 雫石は少し唸ってから、柚希に問いかける。


「友達って、何をしたらいいの?」


「え、多分遊んだりとか?」


 問いかけられて初めて友達とは何か考える。


 遊ぶこと、食事をすること、一緒にいること、色々と考えてみて、どれも違うような気がした。


 一般的な友達とは、一体どういうものなのだろうか。


 首をひねりながら考えていると、雫石が呟いた。


「わかんないね、友達って。ね、柚希は死のうと思ってたんだよね?」


 雫石と初めて会った時に言ったことを思い出す。


 初対面にもかかわらず内面の暗いところを見せた上に、生命まで上げてしまう変人をよく見捨てないでいてくれていると感心する。


 梅雨があけるまでには死のうと思っていたとは言いづらくて、曖昧に返事をする。


 柚希の言葉に納得がいかない様子の雫石が、柚希の顔の前に人差し指を立てた。


「うわっ! びっくりした……」


「柚希にとって死は怖いものでは無いの?」


 青い目が真っ直ぐ柚希を見ている。


 雫石は柚希の前から手を下ろして、柚希に近づいた。


 石鹸のいい匂いがすると思いながら、目を白黒させていると雫石はさらに柚希に近づいた。


 顔との距離はそこまで離れていない。


 それどころか、もう少し近付けばキスが出来そうだ。


 頬を朱色に染めて、目をそらす。


「雫石、近いって……!」


「ね、柚希答えてよ」


「だから、近いってば!」


 少しだけ身体を押して距離を開けるが、雫石は納得が行っていないようで、さらに近付く。


「答えるから、離れて!」


「……わかった」


 納得の行っていなさそうな表情を浮かべて、雫石が離れていく。


 ドキドキと高鳴る胸を抑えて、息を吐く。


 意味もなく呼吸が上がってしまって、恥ずかしかった。


「……死ぬのは怖いよ」


 息を整えながらそう返せば、雫石は静かに頷いていた。


「でも、それ以上にここに居たくない気持ちがあるんだ」


 このまま何にもなれないままここには居たくないと心が主張している。


 逃げるとか、離れるとか、それをするにはあまりにも子どもで、どうしようもなかった。


「柚希は怖いのに、死ぬの?」


「怖いから死ぬんだよ」


「意味わかんない」


 怖いから、生きているのも怖いし、未来を見るのも怖いからそもそもを潰してしまえばいいと思った。


 雫石は柚希から視線を外してどこか遠くを見ていた。


「僕は、死に対しての恐怖はよく分からないよ。死ぬことは既に決まっていることだろう?」


 なんの感情も含まない声で雫石はぽつりと呟いた。


「確かにそうかもしれないけど、怖いものは怖いんだよ」


「そうなんだ」


 何に対して恐れているのかは分からないが、と付け加えるのはやめて雫石と一緒に遠くを見つめた。


「こういうのが友達ってやつなのかもね」


 雫石の言葉がスっと入ってくる。


 遊ぶとか、出かけるとかではなく、色んな話をできる関係もまた友達なのかもしれないと思った。


「雫石はいい友達だよ」


「そう? ありがとう」


 最高の友達が出来たのだと柚希は心の中で喜ぶ。


 雫石はゆっくり立ち上がると、柚希の顔を見て言った。


「辛かったね」


 静かに掛けられた言葉に思わず涙がこぼれそうになる。


 振り切ってから雫石に対して笑顔をうかべた。


「なんで笑ってるの?」


「わかんないよ、もう」


「変なの」


「変でいいよ」


 不思議そうに顔を歪める雫石に、軽口で返しながら「また明日」と告げる。


 雫石はそれに頷いて、道の駅から離れて行った。


 雫石が居なくなった道の駅で息を吐く。


 一気に色々なことがあって疲れてしまった。


「あれ?」


 静かになった道の駅で、自分の心臓が高鳴っていることに気がついた。


 それが一体なんなのか分からずに、落ち着けと祈りながら帰路へとついて歩き始めた。

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