第8話

「あきほさん」


知花の声が、秋穂さんを追いかけた。秋穂さんは振り返らなかった。

 散々泣いて浴室を出ると、そこにはいつも通りバスタオルと着替えがあった。そのことに知花は少なからず安堵し、鼻をすすりながら体を拭き、衣服を身に着け、居間に向かう。

 秋穂さんは何も言わなかった。知花も何も言わなかった。西日が居間の大きな窓から差し込んで、秋穂さんの表情を見えなくさせた。知花は秋穂さんを何も知らない。それでよかったはずなのだ。自分がどうしたいのか、わからなかった。


「秋穂さん、わたし」

「あのね」


知花の言葉を、秋穂さんの静かで落ち着いた声が遮った。知花は次の言葉が出なくなる。


「あなたはわたしなの」


秋穂さんは、つ、と首を傾げるようにして顔をこちらに向けた。床に座っている秋穂さんは、自然知花を見上げる形になる。逆光の中、光る秋穂さんの瞳は穏やかで静かだった。


「初めて会った時に、確信したの。この子はわたしだって」


けれど、いつもの熱が確かに込められていた。知花は胸の奥がぐっと熱くなった。それは、確かに知花も感じていたことだったと、秋穂さんに言葉にされて気付いた。


「わたしは、あなたで……あなたはわたし。わかるでしょう」


秋穂さんが、自分の胸に手をあてて、一音一音、ゆっくりと言葉を紡ぐ。知花は同じように、手を自分の胸にやる。そして何度も頷いた。自分達の間に、明確な答えをもらった気がした。答え合わせが済んで、知花の体は少し軽くなる。秋穂さんに近づこうと足がせっついた。


「秋穂さん、それなら」

「だからね。わたし、自分とセックスしたいとは思わないわ」


また、秋穂さんの言葉が知花を遮った。言葉と同じ強い視線が、知花をとらえた。知花の中を探って確かめるような目が、知花の頭の先から足先までをつかむ。知花は自分の体が、とても小さくなった気がした。それでも捕らえられた中で、まだもがこうとした。


「でも、わたしは」

「あなたはわたしだけど、まだ、子供だから。だから、かんちがいしているのよ」


またそれでも秋穂さんは、知花の心臓を、言葉でもって、ずぶりと刺した。大きな刃は深く沈んでいく。その冷たさに、知花は慄いた。


「ね。そうでしょう? 愛していても、自分とは抱き合えない。だって、気味が悪いもの」


傷口を開く様に、刃を横に引っ張りながら抜き出した。知花は下の瞼から涙が一滴落ち、頬を滑っていく感触を追いかけていた。秋穂さんは、微笑んだ。もうこの話は終わり、そういう笑顔だった。手を開いて、知花を招いた。髪を乾かしてあげる、そう仕草が告げた。知花は目を固く閉じ、その場にうずくまった。傷口が冷えた熱を発し出す。自分の名前を秋穂さんが呼んでくれたことがないことに、知花は気付いてしまった。



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