第7話

「それは、かんちがいよ」


秋穂さんは知花にそう言った。秋穂さんを知りたい、知らなくてもいいを繰り返して、ただ秋穂さんに触れたいに欲求が変化した時、知花は正直にそう言った。秋穂さんは言った。それは、未熟さゆえの性的欲求のはき違えだと。

 十五のころ、何気ない会話の中で、知花の友達が彼とキスをした、と言った。他の友達が、甲高い声を上げて、場が盛り上がった。知花は、唯一空気に乗り切れず、乗ったふりをして、顔を赤らめる友達の顔を見た。恥じらいながらも、溢れる笑みを抑えきれないといったその子の顔は、いつもと違うものに見えた。特別な何かを手にした、そんな顔だった。知花は、その表情を、不思議なものを見る目で見つめた。心の閉じた部分にその子の指がひっかかり、開こうとした奇妙な感覚に気付かなかった。

 秋穂さんの家で、知花はお風呂に入る。秋穂さんの家には、知花の服が、たくさん用意されていた。ここに置いてあるだけなら、構わないでしょう、いつだったか、クローゼットの中を見せていたずらっぽく知花に確認した。知花は何も言えなかった。秋穂さんの用意する服を着るのは楽しかった。お風呂に、一緒に入ってくることもあった。知花がシャワーを浴びていると、背後の扉が開く。冷えた外気と一緒に、秋穂さんの体が滑り込んでくる。秋穂さんは、背後から知花の腕をとって、その形を手のひらで確かめるようになぞった。小さな玉になり、すぐ肌から落ちていく水を、秋穂さんの手がまた知花の肌に戻していく。秋穂さんの肌は、知花とは水の弾き方が少し違い、するりするりと水滴は流れていく。毛穴がなく、鱗のない蛇のようなぬめらかな肌で覆われた秋穂さんの腕は、知花より柔らかい。


「きれい」


かたちを確かめるように、知花の肌を秋穂さんの手が撫でていく。その手つきは、大切な陶器を慰撫するものととても似ていた。

 知花は慣れない接触に、最初の内は体も心もくすぐったく、時にわざとらしい笑い声をあげ、秋穂さんに甘えるようにもたれかかった。秋穂さんもやっぱり笑いながら、「暴れないの」と諭した。落ち着かなくなったのは、ブレザーのネクタイを結びなれた頃だった。秋穂さんの息をうなじに感じ、いつだって温かく冷たい手で、自分の腕を掴まれると、どうしようもないほど、胸の奥が暴れた。心臓の刻む音が、肌を突き破って、自分自身が破裂してしまいそうな、破裂してしまいたいような、そんな気持ちになった。

 シャワーから生まれる蒸気と熱気に満たされた浴室で、互いに何も纏わない姿。熱に思考もぼやけ自分が曖昧になっていく中で、知花は一番秋穂さんを自分と別のものに感じた。今まで感じていた中で、一番強くそう感じた。

 その瞬間、知花は秋穂さんに触れたいと思った。知花の中で何かが開いて、何かが溢れ出ていくた代わりに、焦燥や不安、そう言ったものが知花を満たす。彼女に触れなければいけないと叫んだ。


「あきほさん」


知花は秋穂さんの手を取った。こうされるようになって、初めての反抗だった。秋穂さんは、はじめは「どうしたの」と笑っていたが、知花が振り返ると表情からそれを消した。


「あきほさん」


知花の声は、泣き出す前の子どものように頼りなかった。手を伸ばして、秋穂さんの肩を掴む。しかし秋穂さんは、目を伏せて首を横に振った。


「出ましょう」


その声は今までで一番温度がなく、残念さと落胆が混じったものだった。秋穂さんは、シャワーも止めず、浴室を出ていく。


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