第20話棘のある薔薇

「オスカー殿下の供は私がする。お前が王太子と顔を合わせるのは反対だ」


 今から城に行くと伝えに来たアラベラにイザークは強い口調で告げる。


「ですが、お兄様」

「お前は覚えていないが、長いこと毒の影響で王太子の言いなりになっていた」

「それは……」

「飛び降りろと言われて飛び降りそうだったとも聞いている。二度と奴に会って欲しくない」


 妹を案じる兄の言葉には苦悩が満ちている。

 オスカーが傍に居れば平気だという反論をアラベラは一旦飲み込んだ。


「だがイザーク殿、今のアラベラ嬢はその毒も一時的に無効化出来ている」

「しかしそれでも、私は妹をあの最悪な男に会わせたく無いのです」


 相手が宗主国の王子だと知っていてもイザークは一歩も引かない。

 ここまで己のことほ考えてくれている兄に感謝しながらアラベラは口を開いた。


「お兄様、わたくしはサディアス殿下を罠にかけたいと思っているのです」

「罠?!」


 妹から発せられた予想外の言葉にイザークは緑色の瞳を見開いた。


「罠とはどういうことだ?」

「簡単です。わたくしがまだ魅了にかかっていると誤解させるのです」

「それはサディアス殿下の傀儡を演じるということか? 今のお前はオスカー殿下の婚約者なんだぞ!」


 声を荒げる兄にアラベラは薄く微笑んだ。それは薔薇の様に美しいが棘のある微笑だった。


「だからです。宗主国の王子の婚約者になったわたくしに彼はどんな命令をするか……気になりませんか?」

「アラベラ、お前……」

「奴は俺に剣を向けようとした男だからな、暗殺命令ぐらい下すかもしれないぞ」

「きっとサディアス殿下なら、その後にわたくしが自害するように命じるでしょうね」


 にこやかに物騒な事を話すアラベラとオスカーを前にイザークは顔を青くする。

 そんな兄にアラベラは安心してくださいと優しく告げた。


「当然、そんな命令なんてわたくしは聞きません。その時点で暗殺は失敗です」

「失敗だろうが奴が俺の暗殺を画策した事実は消えないがな」


 それだけで表舞台からは消えるだろう。オスカーは悪い笑みを浮かべる。


「舞踏会の時、俺に殺意を向けた時点で罰することが出来れば早かったが」

「あの時のわたくしの行動は今考えると軽率だったと思います」

「気にするな、サディアスは帯剣していなかったし幾らでも言い逃れは出来ただろう」


 急に腰が痒くなって掻こうとしたとか言い出しそうだ。

 オスカーの冗談にアラベラはクスクスと笑った。

 本当にそういう幼稚なことを言いそうだと思いながら。


 婚約者だった頃のアラベラは彼の下手な言い訳のフォローを散々させられたものだ。

 彼は大人になるに従いどんどん増長しきって、最後には失敗や悪さをしても他人を責め言い訳すらしなくなった。


 サディアスは横で支えるのが非常に困難な男だった。けれどその分だけ陥れることは易そうだ。

 アラベラは昔の苦労を思い出しながら、正気の状態では一年ぶりに会う元婚約者の追い詰め方を考えていた。


 急遽登城することになり、オスカーや兄と軽い打ち合わせをした。

 そして侍女たちの手を借り王族に会うのに相応しい衣装を身に纏ったアラベラは鏡を見る。

 大きな姿見に映るのは濃いエメラルドグリーンのドレスを来た赤髪の貴族令嬢。

 アラベラにとっては見慣れた姿だ、しかし少し前まではそうでなかったという。

 毒のせいで心だけでなく姿形まで醜く変わっていたとアラベラは人伝に聞いた。


 その姿を絵に残すような悪趣味なことをする者はアンドリュース公爵家の中に居なかった。

 だからアラベラはその時期の己の姿を知らない。想像するだけだ。

 けれど今着飾った自分を背後から見る侍女のコーリーの目の輝きが教えてくれる。

 少し前までの己がどれだけ酷い有様だったのかを。


 アラベラはオスカーが自分を毒から救ってくれたことに深い感謝を改めて覚えた。

 そしてサディアスの己に対する仕打ちの酷さに静かに憤る。


 まだアラベラに毒を盛ったのがサディアス本人だという証拠はない。

 けれど何も知らないのなら、彼はアラベラの変貌に対しもっと狼狽えた筈だ。

 サディアスは傲慢だが小心だ。予想外の事態に弱い。

 突然自分へ執着し激しく求めるようになった婚約者を人前で馬鹿にして笑う様な余裕など無い。

 しかもアラベラは醜く変貌している。面食いの彼からしたら化け物に襲われるようなものだ。

 サディアスが何も知らないのなら怒りながら怯え、兵を使ってでも決して自分に近づけようとしないだろう。


 しかし彼一人ならアラベラを毒で狂わせて評判を落とし己の有利に婚約破棄をしようとは考えつけない気がした。

 そこまで回りくどい策略が出来る男ならアラベラに外で襲い掛かったりなどはきっとしない。

 だからサディアスを手助けして悪知恵を授けた者が必ずいる。

 考えられるのは彼が寵愛している聖女エミリ。薬に精通している彼女なら毒にも詳しいだろう。

 それにアラベラの評判を落とすことは、エミリにも益がある。

 

 王太子の婚約者が酷い女であれば、婚約破棄も当然と考える人間は増える。

 そして同時にサディアスがアラベラでなくエミリを選ぶのも仕方ないと考える人間も増えるだろう。

 婚約者がどれだけ酷い人間でも浮気は浮気だ。

 だがアラベラの狂態はそれすら薄れさせる程の凄まじさだったと聞く。

 結果アラベラの評判は地に落ち、婚約破棄が行われても誰にも同情されなかった。

 後は空いた席に聖女エミリが座るのを待つだけだろう。

 王太子に見初められ平民の少女が王太子妃になる。絵物語のような玉の輿だ。

 でも現実はそこでは終わらない。彼女の苦難の道は寧ろそこから始まるだろう。


 この国では王ですら側室を持つことは許されていない。だから王妃の地位と責任はとても重い。

 高位貴族の令嬢たちは幼い頃から礼儀作法を厳しく躾けられた。王妃に相応しい女性になる様にと。

 その中から選ばれたのがアラベラだ。それでも色々と陰口は言われた。

 それも仕方のないことだと思っている。婚約者選定の方法が不味すぎたのだ。

 

 だが、聖女とはいえ平民の立場のエミリがサディアスの正式な婚約者になった場合アラベラよりずっと厳しい目に遭うだろう。

 サディアスのような人物が己が婚約者とはいえ他者を誠実に守るとは思えない。

 守ろうとする気が有っても、見えない場所で虐められることは十分に考えられる。そして聖女とはいえ後ろ盾の無い彼女はサディアスだけだ頼りだ。

 彼からの寵愛が無くなれば王宮内でまともに生きていくことさえ難しくなるだろう。

 それでもエミリは彼の婚約者に、妻になりたいと願うのだろうか。


「……わたくしには、わからないわ」


 エミリだけではない。アラベラの立場を羨む者は今までだって大勢居た。

 婚約者候補として集められた娘たちの中には未だアラベラを許さない者が存在する。

 何の選定も受けず、顔だけで王太子の婚約者の座を勝ち取った卑怯者だと陰で誹りを受けたこともあった。


 変われるものならいつだって変わるのに。

 サディアスの婚約者だった頃、何十回何百回と思った言葉だった。

 

 しかしその結果国が傾き民が困窮するのは駄目だ。

 自分だけがオスカーに救われたのでは駄目なのだ。


 美しく化粧を施された己の顔を見つめると、アラベラは鏡を背に部屋を出た。


  

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嫉妬深いと婚約破棄されましたが、どうやら惚れ薬を飲まされていたようです 砂礫レキ@無能な癒し手発売中 @RoseMaker

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