第19話平民の聖女と王太子の恋

 イザークと話したオスカーはアラベラの自室に戻ると一通の手紙を書いた。

 それに自前のシーリングスタンプで封をすると後ろを振り向かず口を開く。


「いるか、アイン」

「はい」


 音も無く自分たちの背後に現れた黒髪の少年にアラベラは内心悲鳴を上げそうになった。

 彼とは初対面では無い。オスカーに腹心だと紹介して貰った。

 侍従、側近、懐刀、雑用係、その全てをアインという名の少年が担っているらしい。


 しかしオスカーがアラベラと居る時には滅多に姿を見せない。

 その為、オスカーの重要な臣下なのにアラベラはうっかり存在を忘れそうになる。

 確か彼は数日前に単身ヴェルデンに戻り婚約許可を貰い帰って来たばかりだった。


「この手紙をサディアス王太子本人に届けるように」

「わかりました」


 両手でオスカーから封筒を受け取ると黒髪の少年はすぐに姿を消した。

 扉を開けて出て行った形跡も無い。

 アラベラは首を傾げながら傍らのオスカーに尋ねた。


「あの少年も奇跡の力の持ち主なのでしょうか」

「いやあれは神聖力じゃなく努力の結果だな、気配が薄いのは生まれついてらしいが早足は特訓したそうだ」

「大変な努力家ですね、わたくしも見習わないと……」

「それならアラベラ嬢は頑張り過ぎない努力をした方が良いな」


 君は耐え切れなくなるまで平気な振りをしていそうだから。

 オスカーに優しく言われ、赤髪の公爵令嬢は曖昧に微笑んだ。

 サディアス王太子との婚約時代に無理をしていた自覚はある。

 ただあれは頑張り過ぎていたというより頑なになっていただけだ。

 アンドリュース公爵令嬢として、そして王太子の婚約者として完璧な自分を演じ続けていた。

 完璧な人間など存在しないことはわかっていたのに。

 事実、サディアスの心はアラベラから完全に離れていた。

 その時点で彼の婚約者としては失格だったのだ。


 きっと彼に相応しい相手は、サディアスを気持ち良くさせた上で掌で上手に転がせる女性なのだろう。

 潔癖でどこか不器用なところのあるアラベラには決して出来ない。

 そしてそれは今サディアスの傍らにいるエミリにも難しい気がした。


 彼女がサディアスに愛されているのは儚げな美貌と、病を癒す特別な薬を作れる能力。

 そして一切逆らおうとしないところなのだろうと元婚約者の立場で判断する。

 でもそれは女性として幸せなことだろうか、アラベラは目の前に居ない聖女に問いかけた。


 平民の立場から王太子妃になり、そして王妃になる。

 それはとても光栄なことだろう。奇跡と言っても良い。

 夢のある話で、平民の子供なら憧れるかもしれない。


 けれど相手はあのサディアスなのだ。それだけで夢物語は悲劇に代わる。

 彼はきっとエミリだけを愛し続けることは出来ない。


 ある意味彼女が自分をサディアスから解き放ってくれたようなものだ。

 だからアラベラは薬の聖女を心から憎むことが出来ないのだ。



 城に使いを出し、アラベラと餓狼病やナヴィス国について話をしていたオスカーは時計を見た。

 丁度二人が部屋に入ってから二時間が経過している。


「ふむ、そろそろいいか」

「オスカー様?」


 納得したように呟くオスカーにアラベラが不思議そうに名を呼ぶ。

 彼女を優しく膝の上から降ろすと銀髪の青年は不敵に笑った。


「そろそろサディアス王太子のところに行こうと思ってな」

「今からですか?」


 それは流石に急すぎるのでは。

 アラベラが口にしなかったその言葉を読み取りオスカーはだからこそだと返した。


「時間を置き過ぎると色々と悪さをしそうな相手だからな」

「悪さを……」


 サディアスは自国の王太子だがアラベラはそれを否定することは出来ない。

 一番有り得そうなのは仮病を使いオスカーとの対面を拒否することだろう。

 サディアスは自分が上の立場に居られない相手との会話を嫌うことを元婚約者のアラベラは良く知っていた。


 昔はそう言った時にはアラベラを矢面に立たせていた。

 今ならエミリの背中に隠れるだろうか。

 流石に聖女と呼ばれているとはいえ、平民を宗主国の王子のホステス役にはしないだろうとは言い切れなかった。

 何よりエミリとサディアスはまだ婚約すらしていない。


「そんな訳だから、アラベラ嬢と俺は数時間程は完全に別行動だな」 

「えっ」


 当然自分も彼に付き添い城に行くと思っていたアラベラは驚いた声を出す。


「大丈夫だ、先程までずっと一緒に居たのだから三時間程度は平気だろう」

「いえ、そうでは無くて……父の為の薬をお願いしに伺うのですからわたくしもお供した方が」

「だったらイザーク殿に一緒に来て貰うつもりだ」

「兄は帰って来たばかりで疲れています、それに餓狼病の父と接触したことを理由に避けられるかもしれません」

「成程、だがな……」


 相手の主張に納得を示しつつもオスカーは煮え切らない返事をする。

 先程までの豪快な決断力と相反する態度をアラベラは内心疑問に思った。


 もしかしたら彼は自分と外でも寄り添わなければいけないと思っているのかもしれない。 

 若干距離感が麻痺し始めた自覚のあるアラベラだが流石にそんなことはするつもりがない。

 兄の前でさえ、隣に座って手を握る程度の接触で済ませているのだ。

 当然サディアスの前では婚約者として適切な距離を維持するつもりだった。手を常時繋ぐこともしない。


 その点を口に出して説明しようとしてアラベラはオスカーの真紅の瞳を見つめる。

 すると彼は僅かに目を逸らした。そして、少しだけ躊躇った後で口を開く。


「今のアラベラ嬢は咲き誇る薔薇の様に美しいからな、あの女好き王太子に見せたくないんだ」

「オスカー様……」


 照れくさそうに言う年上の婚約者にアラベラも頬を染める。

 しかしオスカーはすぐに表情に不敵さを取り戻すと婚約者の華奢な肩を抱いた。 


「まあ、奴が欲しいと言ってもくれてやるつもりは無いけどな」


 もう君は俺のものだ。

 強気な台詞を口にしたオスカーだが、触れる掌は優しく拘束に力は入っていない。


「はい、今のわたくしはオスカー様の婚約者です」


 だからこそアラベラは笑顔でその言葉に頷くことが出来た。


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