第16話薬の聖女
「もう、お客様の前でまで子ども扱いしないでください!」
頬を膨らませたディシアが抗議しながら部屋から出る。
それを扉の前まで送った後イザークは己の席に戻った。
「妹御には聞かせたくない話をするつもりかな?」
兄妹の気の置けないやり取りを楽し気に見ていたオスカーは言う。
アラベラも穏やかな表情で兄を見ていた。
「そうですね。ディシアは嘘は吐けますが隠すのは苦手な性格なので」
「成程」
「しかしバイロン王といい宰相といい、この家の当主と良いい体調を崩し過ぎじゃないか?」
どんな病でも治す聖女が現れたという噂なのに。
オスカーの言葉にイザークとアラベラは顔を見合わせる。
「それは、エミリ嬢のことでしょうか?」
「ナヴィスで他に聖女と呼ばれる娘が居なければ、そうだな」
アラベラの問いかけにオスカーは答えた。
その後にイザークが少しだけ不機嫌そうに続ける。
「ならサディアス王太子の妃候補の女性で間違い無いでしょう。個人的に聖女と呼ぶのは遠慮したいですが」
「その理由を聞いてもいいか」
「婚約者が居る相手に擦り寄るような人間を清らかとは思わないからです」
「御兄さま、それはサディアス殿下が望んだ結果であって彼女の意思では無いかもしれません」
「……お前は何も覚えていないかもしれないが、あの女はかなりの女狐だぞ」
エミリを庇うアラベラに対しイザークは言う。
そして過去の事を思い出したのか忌々し気に眉を顰めた。
「あの女は正気でないお前を挑発して激怒させ、同情を買う真似を散々して来たんだ」
「それは……中々強かだな」
オスカーの言葉にイザークは力強く頷く。
「それはもう。アラベラが視界に入った瞬間サディアス殿下に腕を絡ませるんですよあの悪女は!」
「……それは確かに聖女と呼びたくないな。淑女ですら無い」
「淑女どころか、そういう職業の者かと疑いましたよ。一度調べてみようかと思ったぐらいです」
大暴れするアラベラを抑えるのに大変でそれどころでは無くなりましたが。
イザークが遠い目をしながら言う。
「お兄様……その節はご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません」
「あっ、いやいいんだ。寧ろお前が一番被害者だろう」
アンドリュース公爵令息は妹からの謝罪に慌てた顔をする。
そして何かに気づいたような表情を浮かべた。
「思い出しました、オスカー殿下。エミリは我が国では薬の聖女と呼ばれている筈です」
「薬の聖女か」
「はい、伝染病を治す薬を調合し王家に献上したことが切っ掛けでサディアス殿下に見初められたと」
「わたくしもそのように教えられました。彼女は国王の命を救った素晴らしい人物だと……サディアス殿下から」
アラベラの言葉にイザークが苦々しい表情をする。
妹がどのような状況で婚約者である王太子にそう言われたかを察したからだ。
婚約者が居る立場でエミリばかりを構うサディアスの様子は異常だった。
最初は婚前交渉を拒むアラベラに対する当てつけかと思っていたが。
「アラベラ嬢は薬の聖女とやらに嫉妬はしたか?」
オスカーの問いかけにアラベラは少し考え込み、そして静かに首を振る。
「もしかしたら、それで毒を使おうと考えたのかもしれないな。しかし薬の聖女……薬、か」
「オスカー殿下」
赤髪の公爵令嬢に名を呼ばれ、ヴェルデンの第二王子は皮肉気に笑う。
「いや、薬に長けているなら毒にも長けているだろうと思ってな」
今の段階ではただの邪推だ。
そう告げるとオスカーはそろそろ休むかと二人に提案した。
アラベラとオスカーが寝室に戻ると、短時間の間に部屋は随分と変わっていた。
一番の変化はベッドが二つに増えていたことだ。
確かにアラベラの体から毒が消え去るまで二人は傍に居なければいけない。
それは睡眠時だって例外では無かった。
しかし公爵令嬢であるアラベラのベッドは元々大きく男女二人で眠ることも問題ない。
オスカーは一瞬目を丸くして、その後楽しそうに笑った。
「成程、君の兄も考えたものだ」
アラベラのベッドは天蓋付きだったが、そのカーテン部分がレースから厚手の布に代わっている。
それが上手い具合に横付けされたベッドの間に仕切りを作っていた。
「お兄様ったら……」
アラベラは恥ずかしそうに溜息を吐く。
イザークが自分のことを考えて手配してくれたことは知っている。
先程わざわざディシアを先に部屋に戻したのだってそういう理由だった。
結婚するまでは絶対アラベラを汚さないで欲しいと彼はオスカーに懇願した。
もしその願いが破られたなら自分は死ぬと。ある意味脅迫だった。
アラベラは死を持ち出した兄に怒ったが、オスカーは真剣な顔でイザークの願いを聞き届けた。
「安心しろ、俺はどこかの猿と違ってそんなことはしない」
その言葉にイザークは感激したが、やはり対策は講じたようだ。
「これは、隣り合わせで手を繋いで寝るようにということかな」
カーテンの切込みの位置を考えればオスカーの予想通りだろう。
確かに未婚の男女が寄り添って眠るならこれが一番良い方法かもしれない。
けれどアラベラは不安そうな表情になった。
「けれどその場合、眠っている間に互いの手が離れてしまう可能性がありますね」
「ならリボンか何かで二人の腕を縛っておくか?寝返りが難しくなるかもしれないが」
「そうですね……」
「だが一番良いのは俺がアラベラ嬢を抱きしめて眠ることなんだがな」
「えっ」
適した寝方を考えていたアラベラの耳にとんでもない発言が入る。
自分をオスカー王子が抱きしめて眠る。
言われたことを想像して、アラベラの白い頬に朱が走る。
「やりたくない気持ちはわかる。だが密着して寝た方が俺の神聖力がアラベラ嬢に浸透しやすい」
「それは……確かにそうかもしれませんが」
「勿論手を繋いだだけでも瞬間的な解毒は出来る。だがその場合君の体に神聖力が蓄積されない」
「蓄積?」
「そうだ、余剰分が君の体内に留まる。そしてそれが十分な量になれは魅了毒を完全に消せるってわけだ」
ついでに言えば、解毒の神聖力が体に貯まっている間は俺から離れて行動できる。
オスカーに説明され、アラベラは難しい顔をして黙った。
しかし数秒程で決断を下す。
「わかりました。オスカー殿下、今夜からわたくしを抱いてください」
「えっ」
「……あっ」
真剣な表情で告げたアラベラだったが、言い終わった瞬間自身の失言に気づく。
熟れた林檎の様に顔を真っ赤にし発言を訂正する公爵令嬢を前に年上のオスカーは笑いを堪えるのに必死だった。
その間も二人の手はしっかりと繫がれていた
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