第11話アラベラの決断

 まずイザークとディシアがこの一年間の事をアラベラに話す。

 かなり言葉を選び、相手に衝撃を与えないよう配慮した様子だったがそれでもアラベラの顔色は白くなった。

 けれど彼女がその顔を覆うことは無かった。

 背をしゃんと伸ばしたまま、理知的な表情を崩さず兄妹たちの話を聞き終わる。

 そしてオスカーが舞踏会での出来事を話し始める。


「本当に……最低」

「王太子殿下……どこまで、貴方は」


 サディアスが大勢の前でアラベラに行った仕打ちを聞いたイザークとディシアは表情を歪ませた。

 だが彼に侮辱され婚約破棄され、更に自害を命じられたアラベラは沈黙している。

 テーブルの下に隠された指先が僅かに震えているのを知るのはオスカーだけだった。


 三人の話を全て聞き終えたアラベラはゆっくりと息を吐く。

 そして少しの沈黙の後、静かな瞳をオスカーへと向けた。


「オスカー殿下、わたくしの体から毒は完全に消え去ったのでしょうか?」


 隣に座る公爵令嬢に尋ねられ銀髪の青年は首を傾げた。

 二人の手はまだ繋がれたままだ。


「俺の勘だと、魅了の方の毒は完全に消えていない……辛くなるかもしれないが、試してみるか?」

「お願い致します」


 相手の提案をアラベラは即了承する。

 その返事を聞くとオスカーは慎重に彼女から手を離した。


「どうだ?」 

「……少し、ぼんやりと、します」


 言葉を発している間もアラベラの緑色の瞳から輝きが減っていく。

 耐え切れずディシアが叫んだ。


「アラベラ姉様にオスカー殿下、早く手を繋いでください!早く!」


 必死な声に応えるようにオスカーは再びアラベラの指先を掴む。

 すると虚無を宿しかけた公爵令嬢の瞳にすぐさま意思の光が戻った。


「大丈夫か、アラベラ嬢」

「はい……大丈夫です、今は」


 問いかけに応えるアラベラは額に汗を滲ませていた。

 小刻みに震える彼女の肩をオスカーはそっと支える。


「もう大丈夫だ、俺が触れている限り毒がその心と体を蝕むことはない」

「有難うございます、ですが……」

「……アラベラ嬢?」

「いえ、オスカー殿下。恐れ入りますがわたくしが蝕まれている毒について何かご存じでしょうか?」


 蒼白な顔で問いかけられオスカーは少し考えた後答えた。


「恐らく中毒性のある媚薬に呪いをかけた物だと思う。その呪いが邪魔をして毒を祓い切ることが出来ない」

「……そうですか。解毒薬に心当たりなどはございますでしょうか」

「いや、今は思い浮かばない。力不足で本当にすまない」


 宗主国の王子が従属国の公爵令嬢に詫びる。

 有り得ない光景にイザークとディシアは言葉を失った。

 アラベラは奇妙な静けさでその謝罪を受け入れた。


「いいえ、わたくしは殿下の慈悲に心から感謝しております。ひと時でもこの身を狂気から解放して頂けたのだから」


 そして正気に戻れた自分なら父に遺書をしたためることが出来ます。

 軽やかに告げると優雅にアラベラは微笑んだ。


「アラベラ姉様!」

「アラベラ、何てことを言うんだ!」


 冷静さを維持していたイザークも思わず声を荒げる。

 だがそれも仕方のない話だった。

 アラベラが遺書を書くと言い出したのは、万が一に備えてという理由ではない。

 彼女が自害を決断したからだと、ディシアもイザークも瞬時に理解したのだ。

 アンドリュース公爵家長女の誇り高さを兄妹はよく知っていた。


「自害だと騒がれると思いますので表向きの扱いは病死が妥当かと思います」

「そういう事を問題視している訳じゃない!」

「ですが、ここまで質の悪い狂毒に蝕まれたわたくしを生かしておく理由はありません」


 まるで他人事のようにアラベラは口にする。

 だが正気に戻った今、彼女の感性も常人と同じものになっている。死への恐怖が皆無な訳ではない。

 それでも、隣に座るオスカー王子の助けが無ければ正常を維持できないなら死を選ぶべきだと決断を下した。


 狂っている間のことをアラベラは覚えていない。

 しかし、ここにいる皆から聞いた話で凄まじい醜態を晒し続けていたことは理解した。

 そして先程、解毒の効果を確かめる為にした実験で狂気に蝕まれる片鱗があった。

 オスカーが手を離した僅かな時間でアラベラの頭と心はモヤがかかった。そしてその瞬間ディシアは悲痛な声を上げた。

 すぐさま手を握られ正気に戻ったアラベラは妹のその声を聞いた。


 毒に支配された己は、明るく気丈な妹がそこまで恐怖を覚え、戻って欲しくないと願うような化け物なのだ。


 実際かなり柔らかい表現をしてくれたが兄妹の話すアラベラの行動は盛りの付いた凶獣でしかなかった。

 サディアスだけを何時でも求め、彼に近寄ろうとする女性を口汚く罵る。

 身嗜みも身分も考えず、餌を求める獣のようにサディアスに近づこうとする。

 そしてサディアスの言うことなら何でも即座に叶えようとする。それが自分の死を招く行為でも。


 アラベラはぶるりと震えた。

 もしかしたら己の体は、知らぬ内に彼に汚されているかもしれない。

 ディシアが教えてくれた、毒の副作用で自分の容色が著しく衰えていたと。

 彼女は悲しそうな顔をしていたがアラベラは寧ろそれを唯一の救いだと感じていた。

 サディアスは醜いものを嫌う。だから狂った上に容姿まで醜くなったアラベラに触れようとすることは無いだろう。

 そう祈る様に信じている自分に気づいてアラベラは内心笑った。今から死のうとしているのにそんなことに拘っているなんてくだらないと。

 


  

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