第10話姉妹の再会

 アラベラが目覚めたことに気づいたオスカーの行動は迅速だった。

 彼は公爵令嬢が正気であることを確認すると、部屋に備えてある呼び鈴を使った。

 すると夜中だというのにすぐに侍女がアラベラの部屋に訪れた。

 茶色い髪にそばかすが素朴な印象の侍女はコーリーという名で昔からアラベラに仕えている古参の使用人だった。


 部屋に入り、暗い部屋を明るくしたマルシラは令嬢の瞳が穏やかさを取り戻していることに気づいた。

 一年前からアラベラの心身には狂気が棲みついていて、理知的な緑の瞳は常に禍々しく血走っていた。

 その変貌と獰猛を誰よりも間近で見てきたのはアラベラ付き侍女のコーリーだった。


 ああ、アラベラお嬢様が戻って来た。


 そう彼女は内心で喜びに咽び泣いた。けれどそれを表に出すことは無い。

 ただその茶色の瞳は僅かに潤んでいた。


 コーリーはアラベラに礼儀正しく用件を尋ねる。

 目覚めたばかりのアラベラは少し戸惑って、紅茶を二人分持ってくるようにと彼女に命じた。

 しかしそれにオスカーが横から口を挟む。


「どうせなら、四人…いや五人分用意した方がいいな。君の家族もまもなくやってくるだろうから」


 その言葉がアラベラの耳に届くと同時に、廊下を駆ける足音が複数聞こえる。

 真っ先に扉を開いたのは寝間着にふわふわとしたガウンを羽織ったディシアだった。


「アラベラ姉様、お元気ですかっ?!」


 汗だくの顔でふわふわしたウサギの縫いぐるみを抱えながらそう叫んだディシアに、アラベラはうっかり笑みを漏らしてしまう。

 ディシアは常に生命力に溢れていて無邪気で、見ていて微笑ましい。アラベラにとって大切な妹だ。

 それは常に変わらない筈なのに、随分久しぶりにそう感じた気がする。いや、気持ちだけではない。

 ディシアの顔を暫く見ていなかったような気持ちにアラベラはなっている。まるで一年ほど眠り続けていたように。


「わたくしは元気よディシア。貴女も元気そうで良かったわ」


 そう優雅に微笑む姉を見て良く似た顔の妹は涙をぼろぼろと零した。

 感情を表に出し過ぎるのは貴族令嬢として失格だが、この場でディシアを責める者は誰も居ない。


 アラベラは幼子を慈しむ母のように泣きじゃくるディシアを抱きしめた。

 そんな彼女の睫毛が僅かに濡れていることに気づいているのはオスカーだけだった。


 そしてディシアの嗚咽が治まった頃、扉の前で立ち続けていたイザークが姉妹に声をかけた。


「ディシア、そろそろ泣きやめ。いつまでも子供みたいではアラベラにもオスカー殿下にも呆れられるぞ」


 そう窘める彼も少しだけ鼻声気味なことをアラベラとオスカーは黙っておいてあげた。


  ディシアが落ち着いた後、流石に人数が多すぎるということで全員応接室に移動した。

 大きなテーブルを中央にそれぞれが席に着く。

 間もなく侍女のコーリーが人数分の紅茶と菓子を運んで来た。

 そして各々の前に湯気を立てる紅茶が配膳されたのを見てオスカーが口を開いた。


「改めて自己紹介しよう、俺はオスカー・フォン・ヴェルデン。ヴェルデンの第二王子だ」


 そう宣言され、アンドリュース公爵家の面々は立ち上がって礼を取ろうとする。

 だがオスカーがそれを止めた。


「先程も言った通りこの場で仰々しい態度は要らない。俺は私的な理由でここに上がり込んでいるんだからな」

「ですが……」

「くどい。全く、あの王太子とお前を足して割ってやりたいぞ」


 引き下がろうとするイザークにオスカーはそう告げる。

 サディアスの話題が出た瞬間アラベラの表情が少し固くなった。

 それを安心させるかのようにオスカーが彼女の右手を優しく握る。

 二人はオスカーの判断で席を並べて座っていた。


 アラベラはディシアと同じく寝間着の上にガウンを羽織っている。

 イザークだけは日付が変わったばかりの時刻だというのに身嗜みをきっちり整えていた。

 オスカーは舞踏会から退出した時の礼服のままだ。

 女性の方がラフな格好をしていることをアラベラは内心酷く恥ずかしがっていた。


 可能なら一時的に退出して、着替えだけでもしたい。

 けれどそんなことをしている場合ではないのだと勘が告げていた。

 公爵令嬢らしく着替えや身嗜みを整えることよりも優先すべきものがあると。


「その代わりと言っては何だが、俺が今アンドリュース公爵家の至宝に素手で触れている無礼についても許して欲しい」


 ついでに先触れも無しに公爵邸に上がり込んだこともな。

 そう言ってオスカーはニヤリと笑った。イザークはそれを見て複雑な表情をした。


「無礼も何も……殿下がそうして解毒の奇跡を使ってくださっているからアラベラは正気なのでしょう」


 寧ろ私どもが頭を下げて懇願する立場です。兄の言葉にアラベラが目を丸くする。

 隣に座る宗主国の第二王子を見上げると彼は先程と違い目元だけで柔らかく笑った。


「そうだ。つまりこの一年間アラベラ嬢の様子が変わったのは毒のせい……彼女の感情や気質が原因では無いということだ」


 彼の宣言にアラベラは頭を軽く殴られたような気持になった。

 それでもオスカーが大分言葉を選んでくれたことはわかる。

 この一年間自分の様子が変わったと彼は言った。簡単に言えばアラベラはおかしくなっていたのだろう。

 今の自分と会ったディシアが泣いてしまうぐらいに。

 未だ思い出すことの無い一年間、その間の自分の所業を予想するだけでアラベラは気分が落ち込んだ。


 しかし悲しんでばかりはいられない。

 覚えていないとはいえアラベラは一年間眠っていたわけではない。

 その間の己の行動を把握する必要がある。

 無意識にオスカーの手を握り返すとアラベラは血の気の失せた唇を開いた。


「……わたくしは一年間自分が何をしていたのか覚えていないのです」

「アラベラ……」

「なのでまずそれを教えて頂けないでしょうか、覚悟は出来ていますので」


 心配そうにこちらを見つめる兄の目を真っすぐ見返しアラベラは言う。

 瞬きせずこちを見つめる妹を前にイザークが気乗りしない様子で話し始めた。


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