第6話婚約解消の願い

「アラベラ姉様、少し魘されているみたい……」


 ディシアが向かいの席で寝入る姉を見つめて言う。

 馬車内には現在四人の男女が居た。

 その内三人は名門アンドリュース公爵家の子供たちだ。

 今年二十三歳になる長男のイザーク。そして十八歳になったばかりの長女アラベラ。


 そして末娘で十六歳のディシア。

 華やかな赤い髪と緑の瞳を持つ美形の兄妹はナヴィスの貴族の間でも評判だった。

 その評判もアラベラの変貌で悪い意味に変わったが、妹が姉を慕う気持ちは変わらなかった。


「起こして差し上げた方がいいかしら」

「止めておいた方が良い、ディシア嬢」


 悩む少女を銀髪の青年が止める。


「今このような状態で夢から覚めても、彼女は苦しむだけだろう」


 オスカーの言葉にイザークが頷く。

 乱れた髪に着つけられていないドレス、そして素足。

 誇り高いアラベラが今の自分の姿を認識すれば深く恥じらうだろう。

 しかし馬車内では着替えることも身を隠すことも出来ないのだ。

 それに、眠っているアラベラが苦しげなのはいつものことだった。 


 王太子サディアスが聖女エミリを寵愛し始めてからアラベラはずっと嫉妬に苦しみ続けた。

 それは最早病とも呼べる程で、けれど病気ではないから薬も存在しない。

 辛い思いをしてきたのはアラベラだけでなくその家族もだ。

 アンドリュース公爵家は笑いものになり、イザークは王太子の側近から外された。

 ディシアも王立学院で陰口を叩かれている。

 しかしイザークもディシアもアラベラを恨むつもりも恥だと思う気持ちも無かった。


「よりにもよって舞踏会で、大勢の前で、婚約破棄、ですか……」


 噛み締めるようにイザークは呟いた。

 目の前にサディアスが居たなら殴りつけていたに違いないと思わせる程の怒りがその声には込められている。

 先程オスカーから聞かされた王太子の言葉が彼に火をつけたのは明白だった。


「婚約を解消して欲しかったのはこちらの方だ……!」


 隠し切れない憎悪がイザークの瞳を暗く濁らせる。

 普段は冷静な兄の激高にディシアはびくりと肩を震わせたが、その通りだと同意した。


「アラベラ姉様は王太子殿下にずっと振り回されてきました、それが度を過ぎることが何度もあって……」

「十六歳の時に一度、そしてあの聖女とやらを王太子が侍らせるようになってから一度、最低でも二回父から国王陛下に婚約の解消を願い出ています」



 イザークは煮えくり返る怒りを堪えながらオスカーに語る。

 十六歳の時、アラベラはサディアスに城の中庭で襲われた。

 サディアスが泥酔していたこともあり、アラベラは何とか逃げ出すことに成功したがそのドレスは乱れ肌は薔薇の棘で傷ついていた。

 

 国王は謝罪こそしたものの息子が慣れぬ酒に酔っていたこと、そして求めたのは接吻だけであることを強く主張した。

 そしてアンドリュース公爵からのアラベラとサディアス王太子の婚約解消の嘆願を拒んだ。

 ならばと、アンドリュース公爵はアラベラの心の傷を原因に彼女をサディアスと二人きりで会わせることを強く拒否した。

 それさえも拒めば彼は他国への亡命も辞さないと判断した王は渋々その要求を飲んだ。


 流石に王に叱られ婚約者との接触を禁止されたサディアスは、当てつけのように他の令嬢たちと浮名を流すようになった。

 そしていつしかアラベラの代わりに聖女エミリを傍に置くようになったのだ。


「つまり、アンドリュース公爵は王太子と娘御の婚約を解消したい、バイロン王は継続させたいという意向だったということか」


 オスカーは納得したように言う。

 ならそこで王と王太子は衝突し、今回ばかりは父親が意見を押し通したのだろう。

 普段から甘やかされてばかりと聞くサディアスには我慢ならないことだったに違いない。

 しかしその怒りを王に向けるわけには流石にいかず、アラベラにぶつけることにしたのだろう。

 だからといって大勢の前で婚約破棄を宣言し、更に飛び降りろとけしかけた所業に同情の余地は無かった。


「はい、国王陛下はサディアス王太子を支えることが出来るのはアラベラだけだと言い張って……」

「そして、それに納得しなかったサディアスはバイロン王が体調を崩したのを良いことに婚約破棄を企てたのだろう」


 ヴェルデンの第二王子は整った精悍な顔に苦々しい表情を浮かべた。

 賢王と名高かったバイロンは親馬鹿を通り越して馬鹿親に成り下がり、息子のサディアスは愚かなだけでなく確かな邪悪さを持っている。

 そしてそんな息子を体を壊し寝込んでいるバイロンは御することが出来なくなっている。この国の将来を憂いてオスカーは溜息を吐いた。

 

「一つ確認したい。婚約の解消自体はアラベラ嬢も望んでいたことなのか?」


 銀髪の青年の問いかけをディシアは勢い良く肯定した。


「はい、アラベラ姉様は城の者たちからサディアス様のお目付け役代わりにされることに疲弊しきっていました」


 兄のイザークも横から補足する。


「そして王太子殿下からは疎まれ、それなのに欲をぶつけられそうになって……上下関係に厳格な父が王に婚約解消を申し入れたのはそういった事情からなのです」

「国王陛下は逆に婚姻を早めるよう望んだそうですが、アラベラ姉様は恐怖で王太子殿下に近づくことが出来なくなっていたので諦めたみたいです」


 オスカーは兄妹の言い分を聞いて釈然としない表情になる。


「だから、婚約だけは続けさせ落ち着くまで両名の距離を置くことで妥協したということか。理解できないな」

「ええ、本当に理解できません。何故こんなに嫌がっているアラベラ姉様を王太子殿下の婚約者に縛り続けるのか……!」


 強く同意してくるディシアにオスカーは、そういう意味では無いと苦笑いを浮かべる。


「あの舞踏会の場でアラベラ嬢はサディアスにひたすら愛して欲しいと繰り返していた」

「それは……アラベ姉様は、心を病んでしまわれて……」

「襲われた恐怖で近づけなくなった男に縋りついて愛してくれと願うようになったと?」


 オスカーに指摘され、ディシアは押し黙った。

 代わりに兄であるイザークが口を開く。


「医師からは元平民の聖女が王太子の寵愛を得たことで公爵令嬢としての誇りが傷つき心が乱れたのではと説明を受けています」

「それで、兄としてアラベラ嬢と接してきたお前の見解はどうなんだ?それに納得できるのか」


 厳しい声で問いかけられイザークの表情が固まる。そして重苦しい沈黙の後疲れ切ったように言葉を吐いた。


「アラベラは誇り高い人間です、確かにプライドは傷ついたでしょう。しかしだからこそ相手に縋りつく真似など絶対しない……そう思っていました」

「ならば」

「けれど、アラベラは毎日王太子の名を呼び愛してと叫び続けるのです、別人のような姿、扉越しに聞こえるあの亡霊のような声……心が壊れてしまったとしか思えない……!」


 そう両手で顔を覆ってイザークは苦悩を吐露する。その横ではディシアが目に涙を溜めていた。

 疲弊し病んでいるのはアラベラだけでない、その発作に付き合わされている家族もなのだ。


 オスカーはそんな二人に今のアラベラを見るようにと告げた。

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