第5話アラベラの使命

 アラベラはサディアスを愛していない。

 彼女がナヴィス王太子の婚約者になったのは、ただ選ばれたからだ。決して自分から求めた訳ではない。


 国王が四十歳の頃に王妃の命と引き換えのように生まれた男児。

 それが現在この国で一人だけの王子サディアス。

 妻と瓜二つの外見をした我が子を国王は溺愛した。

 賢王と名高いバイロンだったが、一人息子のサディアスにだけはどんな我儘も許した。


 そして王太子が十五歳になった時、彼の婚約者を選定する運びになった。

 城に高位貴族の娘たちが集められ、当時十三歳のアラベラもその中に居た。

 サディアスは彼女を一目見ると言葉すら交わしていない少女の腕を強く引いた。

 アラベラはその時嬉しさよりも痛みと恐怖を感じたことを覚えている。


「父上、これがいいです!」


 まるで玩具を強請る幼児のように自分よりも二歳年上の王太子が笑う。

 国王は息子の暴挙を軽く窘めたが、結局その我儘を聞き入れた。


 王太子に挨拶することすら許されず退出する着飾った令嬢たちの憎しみに満ちた視線をアラベラは覚えている。

 そんな彼女たちを羨ましいと思ったことも。


 サディアスに捕まれた手首から暫く痣は消えなかった。

 アラベラの兄であるイザークも幼い妹のディシアも王太子の乱暴さに憤った。

 でも彼からの求めを断る権利はアラベラには無かった。


 父であるアンドリュース公爵はアラベラに「耐えられるか」と聞いた。

 それに当時十三歳のアラベラは「はい」と答えた。

 バイロン国王は「サディアスを支えてやってくれ」とアラベラに頼んだ。

 アラベラは「この命に代えましても」と優雅に微笑んだ。


 アラベラはこの国の貴族だ。王家を支えるのは当然のことだった。

 サディアスは年下のアラベラの目から見ても不安しかない王太子だった。

 だからこそ彼が国を傾けないよう、道を間違えないよう隣で目を光らせていようと決意した。

 それを父も国王も己に望んでいるのだとアラベラは理解していた。


 サディアスは語学も経済学も地政学も苦手だった。だからアラベラが彼の分も学んだ。

 外交も嫌っていたので、正式に王太子の婚約者になったアラベラが代理のような真似をすることも多々あった。


 サディアスは体調不良を理由に欠席することが多かった。

 どうしてもこの日だけはと王に命じられても当日姿を晦ました。結果「体の弱い王太子でこの国が心配だ」と他国の使者から嫌味を言われることもあった。

 それを本人に伝えれば激怒し後先考えない行動を取ることは予想できた。アラベラは痛切な皮肉を自分だけで飲み込み彼の代わりに深々と頭を下げ続けた


 王太子の婚約者という立場はアラベラにとって幸せでも誇らしい立場でもなかった。

 華やかなドレスと作り笑いだけを纏い一人で立たされた戦場だった。隣にサディアスは居なかった。


 そう、サディアスはアラベラを愛してはいなかった。だから守ろうとなど一度もしなかった。

 彼が求めたのは十三歳の若さで既に「ナヴィスの紅薔薇」と呼ばれていたアラベラの華やかな美貌だけ。


 そしてサディアスは己の十八歳の誕生日に当時十六歳のアラベラを汚そうとした。

 

 ナヴィスでは十八歳から成人とみなされる。

 サディアスの誕生日は近隣から王族や高位の貴族を招き盛大に行われた。

 アラベラは己は彼の婚約者ではなく通訳のようだと思いながら王太子の隣で賓客の相手をし続けた。

 それでもサディアスは珍しく上機嫌だったし、頭が痛くなるような癇癪も起こさなかった。


 沢山の贈り物と沢山の祝いの言葉、そして堂々と飲めるようになったワイン。

 それらが彼を喜ばせているのだとアラベラは思った。

 各国からの祝いの品の中でもヴエルデンから送られた宝石は特に見事なものだった。


 瑪瑙を削り作った樹木に薔薇の形にカットしたガーネットが大量に咲き誇るジェムツリー。

 宗主国からの贈り物を金に換えることなど出来ないが、この薔薇一つで小さな村なら三か月は暮らせるだろう。

 最初はつまらなそうな顔をしていたサディアスにそう耳打ちしてやると目を輝かせた。

 けれどアラベラは価値よりもその美しさに感嘆した。

 そして己はサディアスから一度も宝石を贈られたことが無いと気付いた。


 いや、宝石だけではない。

 誕生日だって、王立学校に入学した時だって祝われたことが無かった。

 王からはどちらも言葉と贈り物を受け取った。だから逆に言い出せなかった。


 きっとサディアスは常に与えられる立場に居て、自分が与える立場になるなんて考えたこともないのだろう。

 それでいいのだろうか。

 王は高齢で、きっと彼は後数年後には即位する。

 そして妃となったアラベラとの間に世継ぎを設ける。

 それなのに、いつまでも我儘な子供のままで居させていいのだろうか。

 先日十六歳になったばかりのアラベラの胸に不安がわきあがる。


 この国では国王を除きサディアスを叱れる者は居ない。

 そしてその国王すら愛息子に嫌われることを恐れ滅多に叱ることは無かった。

 けれどサディアスは能力面で無く人格面にも問題が多々あった。それを矯正する必要がある。


 大人たちはアラベラを仲介役として利用することを思いついた。

 サディアスはアラベラの美しさに好感を持っている。その声の愛らしさにも。

 自分が望んで得た婚約者の言う事なら癇癪を起さず喜んで受け入れるだろう。彼らはそう考えた。

 その結果はアラベラはサディアスに「可愛げのない生意気な女」として嫌われた。つまり目論見は失敗したのだ。


 国王やその家臣、そしてサディアスの教師たち。彼らはアラベラをやんわりと責めた。

 もう少し上手くやれなかったのかと。自分たちより何十歳も年下の少女が年上の婚約者のコントロールに失敗していることを未熟と責めた。

 それはアラベラを無意識に追い詰めていた。


 別に王太子妃の座なんて求めていない。サディアスを愛しているわけでもない。

 ただ、使命感が消えない。そして不安も。

 大きな子供のような彼をこのまま国王にしてはいけない。


 でも今のサディアスはアラベラの顔を見るだけで舌打ちをする程だった。

 彼ともっと信頼関係を築かなければいけない。しかし大人たちは自分をサディアスの叱り役のように扱い続ける。

 このままだと嫌われるばかりだ。どうすればいいのか思いつかない。

 アラベラは焦りを感じ、そして隙が生まれた。


「アラベラ、こんな石でつくった造花より本物の薔薇を見に行かないか?」


 実はお前の名前を付けた薔薇が昨日から見頃なんだ。

 王太子の生誕を祝う舞踏会が終わる頃、サディアスはアラベラに優しく囁いた。

 少しだけここから抜け出して二人きりで夜薔薇を楽しもうと。


「……サディアス様が、私の名前をつけた薔薇を?」

「ああ、恥ずかしいからこっそりとな。だから誰にも言うなよ」


 彼から初めて聞く甘い言葉に十六歳の少女の胸は喜びにときめいた。そして彼女はサディアスの手を取ってしまったのだ。 

  

 その言葉が造花などよりずっと偽りに満ちたものであるとも気づかずに。


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