第4話公爵令息の困惑

 撫でつけた髪を乱しながら青年は三人の元へ駆け寄る。

 しかし何かに気づいたような顔をすると次の瞬間には膝を折り最上級の礼を取った。


「ヴェルデンの貴き御方よ、無礼を御容赦ください」


 その言葉にオスカーが愉快そうに口端を吊り上げる。


「良く俺がヴェルデンの王族だとわかったな」


 ヴェルデンがナヴィスの宗主国といえ、ナヴィスの貴族がヴェルデン人の全てに頭を下げる訳は無い。

 赤髪の青年は礼服を脱いでラフな格好をした今のオスカーを自分より上の存在と一瞬で見抜いていた。


「その輝く銀の髪と、神秘的な赤い瞳はヴェルデン王家の一部の御方だけが有すると存じ上げております」

「違いない、貴様はアラベラ嬢の……年齢と顔から見て兄か?」

「はい、私はアラベラ・アンドリュースの兄のイザーク・アンドリュースと申します」

「やはりそうか。俺はオスカー・フォン・ヴェルデン。ヴェルデンの第二王子だ、オスカーと呼べ」

「では、オスカー殿下と御呼びいたします」

「歩きながら話したい、立ち上がっていいぞ」

「有難うございます、その……妹は」


 許しを得てイザークは立ち上がる。

 そして礼を言うとオスカーの腕の中のアラベラに視線を移した。


「今は気を失っているだけだ、怪我もしていない」

「そうですか……しかし、どうして」


 イザークは整った安堵を浮かべたが、すぐにそれは困惑に曇った。


「彼女は靴も履いていなかった、王太子は自分の意思でここに来たように言っていたが」

「自分の意思……ですか」


 妹と同じ緑の瞳に深い苦悩が宿る。否定したいが出来ない、そう言いたげな表情でイザークは黙った。


「……妹は本来、このような振る舞いをする人間では決して有り得ないのです」


 弱り切った声でイザークは告げる。


「ああ、わかっている」


 それをオスカーはあっさりと肯定した。

 立場を忘れイザークは銀髪の青年の顔を凝視する。オスカーの真紅の瞳には一切の偽りも含まれていない。


「この国の王太子が俺に持っても居ない剣で切りかかろうとした時、止めたのはアラベラ嬢だけだった」

「アラベラが……」


 貴族も衛兵も幾らでもあの場には居たのにな。

 侮蔑を隠さず笑うオスカーと彼の胸に抱かれる妹をイザークは交互に見た。

 ナヴィスの王太子が宗主国の第二王子に危害を加えようとした。

 その情報だけでナヴィスの貴族であるイザークは叫びそうになったが、狂女と呼ばれる妹がそれを止めたという。


 絶望と希望が混ざり合い混乱するが、イザークはそれを顔に出さないよう努力した。

 ただアラベラならそうするだろうという確信と、そんな妹を誇りに思う気持ちは確かに彼の胸を温めていた。

 そして今更ながら妹がオスカーに抱かれたままなことが気になりだす。


「オスカー殿下、妹は私が連れて帰ります」

「アンドリュース公爵邸にか」

「はい、ここまでは馬車で来てますので……なので今ここで御渡し頂ければと」

「なら、俺もアラベラ嬢の付き添いとしてついていくことにしよう」

「は?」

「だから貴公に彼女を渡す必要は無い」

「で、ですが……」

「それに俺がアラベラ嬢に触れているのはちゃんとした理由がある」


 それについては公爵邸で話そう。

 宗主国の王子に言われてはナヴィスの公爵令息であるイザークに断る術は無かった。



 アンドリュース家の馬車には先客が居た。


「イザーク兄様!」


 そう車内から呼びかけるのはアラベラに良く似た少女だった。


「待たせたな、ディシア。アラベラは無事保護できた」

「それは本当に良かったです、では早く家に帰りましょう」


 ディシアはオスカーにちらりと視線を送ったが何者か問うことはしなかった。

 兄がここまで連れて来たということは少なくとも敵ではないという判断を下したのだ。


「ここに居てはいつギャレットの連中が戻って又嫌がらせを始めるかわかりませんもの」


 末妹の言葉にイザークがそうだなと頷き、オスカーを車内に誘う。

 間もなくしてイザークはディシアの隣に、そしてその向かいにオスカーとアラベラが座った。

 アインは自分は走ってついていくと良い同席を断った。

 少しの振動と共に動き出した馬車の中に束の間沈黙が訪れる。

 その空気を破ったのはオスカーだった。


「ギャレットの連中というのは……ギャレット公爵家のことか」

「そうです。未だに長女のドロテアが王太子の婚約者になれなかったことを恨んでアンドリュース家に嫌がらせをしてくるのです」

「おい、ディシア」

「この国の貴族なら誰でも知っていることですわ。ドロテア嬢は既に別の婚約者が居るというのに、まだ逆恨みを止めないのですから!」


 恨み言ならアラベラ姉様に一目惚れして色々な過程を全部飛ばして婚約者にした王太子にぶつければいいのに。

 ギャレット公爵家への不満なら幾らでも話し続けられそうな様子のディシアをオスカーは興味深そうに見た。


「ナヴィスの王太子がアンドリュース家の紅薔薇に一目惚れしたという話なら俺も聞いたことがある、そうかあれから五年も経つのか」

「そうです、なのに聖女が出てきたらすぐにそちらに熱を上げて、その心労で姉様の容色が少し衰えただけで……最低の男ですわ!」


 自国の王太子に対し堂々と最低男と言い放つ末妹を前にイザークは苦り切った顔をする。

 窘めたところで口の達者なディシアは倍言い返してくる。アラベラが心を病んで以来その舌を止められる者は居なくなっていた。


「心労……つまりアラベラ嬢は婚約者の浮気が原因で心を病んでしまったというのがこの国の見解か?」


 オスカーの質問にイザークとディシアは顔を見合わせる。

 少しの間をおいて二人は同時に否定の言葉を発した。


「皆はそう言っていますけれど私は違うと思います。アラベラ姉様はそんなに心の弱い方ではありません」

「私も妹と同じ意見です。王太子の不実な態度に心を痛めたことは確かでしょうが、正気まで失うというのは考えにくいです」

「大体アラベラ姉様は別にあの王太子のことなんて愛していませんでした、婚約だって王命だから……」

「ディシア!」


 イザークが叱るとディシアは不満を顔に出したまま口を噤んだ。

 オスカーが軽く笑うと代わりに口を開く。


「その婚約だが先程王太子が破棄していた。国王の承諾は取ってあるそうだ」


 赤髪の兄妹は同じ表情で驚きの声を上げる。


「なっ!」

「まあ、なんてことでしょう!」 


 一方的に婚約を破棄したサディアスへの怒りと、そういった不実な人間と大切なアラベラの婚約が解消された安堵。

 混ざることの無い二つの感情をイザークとディシアは抱えながら、静かに眠るアラベラを見つめた。

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