第3話銀狼の怒り

「お止め、くださいっ……!」


 サディアスの動きを止めたのは苦し気に叫ぶ声だった。

 それを発したのは狂女と呼ばれたアラベラ・アンドリュース公爵令嬢。

 彼女は蒼白な顔をしながらそれでも強いまなざしで前婚約者を見つめた。


「サディアス殿下、そのようなことをすれば、この国が終わってしまいます……!」


 息も絶え絶えに吐き出したアラベラの体を逞しい腕が支える。

 ヴェルデンの第二王子オスカーの物だった。


「大丈夫だアラベラ嬢、奴は今日帯剣をしていない」


 労わるように告げるとオスカーはサディアスを指差す。

 そこには指摘されて気づいたのか顔を真っ赤にして二人を見つめ返すナヴィス王太子の姿があった。


「では……」

「この件については貴女に免じて父に黙っておこう」


 最もあんな小僧の鈍ら剣で傷つく俺ではないがな。

 悪戯っぽく微笑む銀の美男子にアラベラは安堵の微笑みで返した。

 次の瞬間その体から力が抜ける。

 オスカーはそれを難なく抱き留めた。


「……魅了の呪毒に無理やり抗ってまで王太子を止めようとしたのか」


 大した忠義心、いや愛国心だ。

 そう呟くと宗主国の第二王子は従属国の王太子を再び見つめる。


「ナヴィスの小倅、お前が先程行った婚約破棄は国王の承認済みか?」


 自分より二歳年上なだけの相手に若さを侮られサディアスは不機嫌を隠さず頷く。


「はい、父からは言葉と書状で許可を得ております。当然ではありませんか」


 こんな頭のおかしい女を王室に入れる訳にはいかないのだから。

 そう蔑むような目でアラベラを見たサディアスは僅かな驚きを顔に浮かべる。


 一年前から中身だけでなく容姿も醜くなっていった元婚約者。

 だが、今ヴェルデン第二王子の腕に抱かれている彼女は以前の艶やかな美貌を取り戻しているように見えた。

 それをもっと良く見ようとしたサディアスだが、それは叶わなかった。


「俺に剣を向けようとした礼だ」


 その言葉が聞こえると同時にナヴィス王太子の腹部を強い衝撃が襲う。


「がっ、はっ……!」

「御自慢の大したことの無い顔は殴らないでやったぞ」

「オス……! げえ、っ……!」

「では失礼する」


 狩りをする狼の俊敏さでサディアスに近づき一発お見舞いしたオスカーは、アラベラを大事そうに両手で抱え直す。

 そして一直線に出口へと歩いて行った。


 誰も彼の歩みを止める者は居ない。絨毯に胃液を吐き悶絶する自国の王太子に駆け寄る者も居ない。

 彼の恋人である筈のエミリも先程サディアスに突き飛ばされた位置で青褪め震えるだけだった。

 皆、ヴェルデンの銀狼の怒りが己に向かないようにひたすら祈り続けていた。



 悪趣味な舞踏会場を背にするとオスカーは長い脚で廊下を歩く。

 礼服の上着はいつのまにか彼が抱いているアラベラに毛布のように掛けられていた。

 最低限の衛兵しかいない廊下を歩きながらオスカーは口を開く。


「アイン、居るか」

「御傍に」


 短い言葉に同じように短く答える声。

 次の瞬間オスカーの背後には黒髪の少年が控えていた。


「王は」

「部屋自体は厳重に兵たちに守られておりました」

「そうか」

「ですが……」


 報告を続けようとした少年がそこで初めて主人の胸に抱かれている乙女に気づく。


「オスカー様、この令嬢は……」

「トチ狂った馬鹿に殺されそうだから攫ってきた」

「……先程までいらっしゃったのは処刑会場でなく舞踏会場ですよね?」

「そうだ、ナヴィスも随分と堕ちたものだ」


 オスカーは溜息を吐きながらも歩みを止めない。

 その後ろを従者のアインは遅れずついていく。

 どこから見ても異国人とわかる二人を衛兵たちは物珍し気に見る。しかし止める者は誰一人として居なかった。


 そのことにオスカーが静かに不機嫌になっていることを年下の従者は察した。

 王城に勤める兵士がこのような無気力な勤務態度でいるのは異常だ。

 しかも大柄の男が気絶している貴族令嬢を抱きかかえ歩いているのに素通りさせるなんて怠慢を通り越している。

 

「昔はこうでは無かった。今のナヴィスはおかしい」

「はい」


 銀髪の主人の言葉に従者は心から同意した。そう答えた後、視線を彼の背中へ向ける。

 城内の異様さも気になるが、今はそれ以上にオスカーの腕の中の女性が気になる。

 そして彼はどこへ行こうとしているのか。来賓用の住居エリアはその方角には無い。


「そちらの令嬢を医師に診せにいかれるのですか?」

「いや、彼女の住まいまで送っていく」

「……え?」


 オスカーは評判程冷酷ではないが、かといって底なしに親切な男ではない。

 気を失っている貴族令嬢が相手といえ、善意だけで自らの手で送り届けるような男では無い。

 それを彼に長く仕えているアインは知っていた。

 

 不躾なのは承知だが主人がそこまでする相手への興味が抑えきれない。

 それに、先程ちらりと見ただけだが真紅の髪の令嬢は目を閉じていても凄い美女だった気がする。

 オスカーの隙を突いて、しっかりと令嬢の顔を確認しようかとアインが迷っていると目の前の青年が足を止めた。


 アインもそれに従い立ち止まっていると、やがて前方から近づいてくる人影が見えてきた。

 結構な速さでこちらに向かってくる人物は、どうやら赤毛の男性のようだ。

 まだ若い整った顔には必死さと汗が浮かんでいる。そして隠し切れない怒りも。

 貴族の格好をしているが室内なのに外套を身に着けたまま、従者も近くに居ない。

 謎の人物はオスカーたちと視線が合う位置まで来ると、その顔を驚きに歪めた。


「……アラベラ?!」


 悲鳴のような彼の言葉にアインは令嬢がアラベラという名前なのだと知った。

 そしてその名と燃えるような赤い髪にどこか見覚えがあることも思い出していた。

 

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