第2話サディアスの言い分

「王太子が婚約者に笑いながら自害を命じる、それを誰も止めない。全く大した国だな」

「オ、オスカー……殿下」


 浮かべていた下卑た笑みを消しサディアスは怯えた声で相手の名を呼ぶ。

 今から二百年前に近隣の全て国を従属させ、現在も離反を許さない大国ヴェルデン。

 その第二王子が自分に対し不快感を抱いていることへの恐怖がナヴィスの王太子を襲っていた。


 サディアスを睨んでいる間もオスカーはアラベラの腕を離さない。

 先程まで積極的に飛び降りようとしていた公爵令嬢は、不思議なことに抵抗することなく立ち止まったままだった。


「ど、どうして殿下がここに。半刻程前に疲れたからと退出された筈では……」

「少し休んだら気分が良くなったので戻って来ただけだ。お前は全く気付かなかったみたいだがな」


 大したもてなしだ。口端だけで笑うオスカーを前にサディアスは冷や汗を流す。

 この場にナヴィスの国王は居ない。王妃は故人となって久しい。

 つまり王太子であるサディアスが宗主国の貴賓に対しホスト役を務めなければいけなかった。


 なのに気を配るどころかオスカーが戻って来たことにさえ一切気づかなかった。

 これは明確な落ち度だ。現にオスカーは不愉快そうな表情を浮かべている。

 このことをヴェルデン国王に報告されたら叱責は免れない。サディアスは声を張り上げた。


「ち、違います。違うのです!」

「何が違うんだ」


 上ずった声で否定するサディアスを見つめるオスカーの瞳から獰猛な光は消えない。

 容赦なく聞き返され王太子は情けなく目を泳がせた。

 しかしその青い瞳に光が宿る。まるで難しい問題が解けた子供のようにサディアスは明るい声を上げた。


「アラベラが、あの狂女が乱入してきて、そのせいで殿下への対応に手が回らなかったのです!」

「成程、俺は貴様にとってその程度の客か?」

「ちっ、違います!この女は本当に何をしでかすかわからないので……まず落ち着かせようと思い……」

「その黒髪の女の肩を抱きながら婚約者の頬を張り飛ばし婚約破棄を告げ、死ねと命じたと?」


 オスカーに一瞬視線を向けられたエミリは小さく悲鳴を上げる。

 けれどサディアスから体を離すことは無かった。

 だが再度オスカーが彼女を見つめるとサディアスの方から突き飛ばすようにして距離を取った。


「誤解です殿下、俺、いや私は教えてやろうとしたのです。アラベラの私に対する愛が紛い物だということを!」

「……紛い物?」

「はい、アラベラは私の為なら何でもすると口にしました。だから飛び降りろと命じました!」

「ナヴィスの王太子……お前は頭がいかれているのか?」


 直截的な罵倒にサディアスの顔が怒りで赤く染まる。しかしそれはすぐに卑屈な笑顔に変わった。


「違います! ご覧ください、アラベラは飛び降りていない。つまり彼女の愛は口だけの言葉にしか過ぎない!」

「……それで?」

「結局愛は言い訳で王太子妃の座が欲しいだけだ!そんな欲深く浅ましい女を私は妻にする訳にはいかない!」


 言い終えたサディアスの頬は興奮で紅潮していた。試験で満点を取った子供のように得意げだった。

 しかしその回答が正しいと思っているのは彼だけだ。オスカーが従属国の王太子を褒めることは無かった。


「ナヴィス国王が年老いてから出来た子供だから甘やかしているのは知っていたが……ここまで愚かに育つとはな」


 お前こそ次期国王にする訳にはいかない。赤い瞳で宣言されサディアスの顔は紙のように白くなった。

「貴様がこの場で起こした愚行の数々を俺はヴェルデンの王に報告する、覚悟しろ」

「駄目だ! そっ、それだけはお止めください!」


 まるで親に甘える子供の用にサディアスは両手を組み懇願する。

 二十歳の地位ある人間が行うには余りにも幼稚な仕草をオスカーは鼻で笑った。

 そして冷たい笑みを浮かべたまま言葉を発する。


「嫌ならここから飛び降りろ」

「……は?」

「それで無事だったなら父には黙っておいてやる」 


 バルコニーから冷たい風が室内へ入り込む。

 オスカーの背後には漆黒の闇があった。

 けれどサディアスはその闇が己を優しく抱きとめてくれないことを知っている。

 下は庭園だが、三階から落ちて無事でいられる筈が無い。


「そんなことをしたら死んでしまう!私の命を何だと思っているんだ!」


 身分差を忘れ抗議するサディアスを前にオスカーの瞳がゆっくりと眇められる。

 偽りの笑みを消した唇は紛れもない怒りを吐き出した。


「俺の提案は貴様が婚約者に命じたものと全く同じものだ、貴様こそアンドリュース公爵令嬢の命を何だと思っている」


 オスカーは声を荒げたりはしない。

 しかしサディアスは己が怒り狂う獣の前に投げ出されたような気持ちになった。

 相手の言い分はわかる。けれど納得は出来ない。


「わっ、私の命とアラベラの命の価値は同じではない!」


 見苦しい本音を正論のように吐き出しナヴィスの王太子はゼェゼェと息を吐いた。

 当然オスカーがその主張に頷くことは無い。


「王族とは貴族や民を統べる者であって、貴族や民を弄ぶ者ではない。それが貴様の父の口癖だった」


 今はそんな話も出来ない程弱っているようだが。

 そうオスカーは溜息を吐く。

 現ナヴィス国王でサディアスの実父であるバイロンは今年六十歳になる。

 一年前に流行り病に罹り危篤に陥った。それが聖女エミリの薬で完治した後も体調不良が続いている。

 元々体が丈夫でなかったことに加え、大病で消耗した体力が戻らず執務に疲れては頻繁に床に臥すようになった。

 弱った体は感染症にも罹りやすくなっている為、現在は人に会う事も避けていると噂になっていた。


「保護者の目がなければすぐ調子に乗り悪さを始める、図体ばかりでかい邪悪な子供、それが今の貴様だ」

「いっ、言わせておけば……」


 容赦無いオスカーの言葉にサディアスの青い目に隠し切れない憎悪が宿る。

 その手が自らの腰に無意識に触れた。

 自らの愛剣を探しているのだと気付いた者は少数だった。

 

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