第7話 気騙しの怪
わたしが暇堂で働き始めてから、およそ三週間が過ぎた。
一日中閑古鳥が鳴いている日もあれば、案外とお客様がひっきりなしにやってくることもある。お悩み相談の内容はさまざまで、恋人や夫婦のこと、仕事のこと、人生のことから愛犬がなつかないことなんてものもあった。
わたしはそのひとつひとつを、暇さんの横に立って(和室では座ってだけど)聴いて、色々と勉強していった。本来は来たるべき来客のため空き室で待機すべきだけど、勉強だからと暇さんが呼んでくれるのだ。
一見他愛のない悩みでも、当事者にとっては大きな問題。
そういうことも、横にはべりながら学んだこと。
そして、相変わらず暇さんはおどけてみたり急に真面目になったり、相手を見て態度を変える。その機微も、少しずつわたしは学んでいった。
「よう、昼行灯。いるか?」
その日ノックもせずに洋室のほうに来たのは、髪を後ろに撫でつけた若い女性だった。
きりりとした目元と、彫りの深い顔。黒い襟無しシャツに同じく黒のジャケット。薄い銀のフレームの眼鏡がよく似合っている。
暇さんとは違った、というより対照的な狼のような雰囲気をまとった格好いい女性だった。
「おやおやこれは東雲(しののめ)探偵じゃないか。めずらしいねぇ、コーヒーでも飲みに来たのかい?」
「茶化すのはやめろ昼行灯。まったく相変わらずなやつだ」
「そうかな、茶化しているのは君の方だろう探偵。そもそも『ひるあんどん』なんて言葉は六文字も使うじゃないか。『いとま』と呼べばたった半分の三文字で僕を呼ぶことが出来るのに、君ときたら僕をヒマ人認定してそんな風に呼ぶんだから、意地悪極まりないよ」
暇さんの言葉を無視し、東雲さんは横に立つわたしに目をやった。
「なんだ昼行灯。客のようには見えないが……こんなヒマな事務所で助手でも雇ったのか? ああ、私は東雲圭だ、よろしく」
「あ、はい! 三島都子です! 宜しくお願い致します!」
暇さんに嫌味を交えつつも、きちんと私にも配慮してくれる。
東雲さん、ぶっきらぼうに見えて実は気が利く人かもしれない。
「行儀正しい子じゃないか。良い子を見つけたものだな、昼行灯」
「いやぁ、ちょいとご縁があってね。それを大切にしたまでさ。これがまた勘がよく色々気がついて、出来る子なんだ。僕は期待しているよ」
わたしが押しかけただけのなのに、暇さんはそれを『縁』と言ってくれた。
それが、とっても嬉しい。この縁は、ずっとずっと大切にしたい。しかもなんだか期待されてる!? これは今まで以上に頑張らなくては。
「まぁとりあえず座れ探偵。海外でまで探偵、ボディーガードとして活躍する君がわざわざこんな辺鄙なところまで訪ねてきたのだろう。僕はその理由に興味津々なのだよ。ああ、都子君、コーヒーを三人分、今日は軽めに淹れてくれたまえ」
「はい、かしこまりました!」
世界を股にかける探偵? 東雲さんは、そんなにすごい人なのか。
そんな人が持って来るお悩み相談ってなんだろう?
私は東雲さんがイスに座ったのを確認して、コーヒーを淹れに行った。
軽めなので、コーヒーはすぐに出来上がる。トレイを使い三つコーヒーを運んで、三か所に置いた。東雲さんが目でほう? と言うような表情をした。
「コーヒーを淹れるのまで仕込まれているのか、なかなかの味だ」
「ありがとうございます!」
コーヒーカップを置いた東雲さんに、暇さんが言う。
「さてと、それじゃあコーヒーも味わったところで本題を話したまえよ、探偵」
「ああ、端的に言おう。あるゴルフ場開発計画地に、妖怪が出た」
よ、妖怪!? そんなもの実在するのだろうか。
響子ちゃんと暇さんは幽霊談議をしていたけど、あれもあいまいな形の結末だし……。
「ほほう、妖怪ねぇ。古今東西の謎を解いてきた敏腕探偵が、妖怪の相談に来たとはね」
「私自身は妖怪なぞ信じていない。万が一いたとしても、ねじ伏せればいい。だが、その開発地周辺の人間が妖怪の存在を信じてしまっているのが問題だ」
「なるほど、妖怪伝説ごと払拭するような解決が望ましいわけだね。なかなか難しい依頼を持って来るじゃないか」
妖怪の伝説……。今のこの時代にも、そんなものが出回るなんて。
「犯人を捕まえればことは済むとは言えないのだ。ゴルフ場を作りたい自治体と、反対する地元住民の争いは激しいらしい。ゴルフ場建設反対のために模倣犯が出る可能性もある。ゆえに妖怪伝説ごと消してしまうのがよいと思い、昼行灯に持ちかけた」
「ははぁ、確かに一度伝説が根付くと厄介なことだからね。犯人は脅しのつもりでも、それはやがて言い伝えになり呪詛になる。そうなる前に、根から断つというワケだ。探偵、なかなか冴えた考えじゃないか」
東雲さんはコーヒーを飲み、甘く見るなと言い放った。
視線はきつそうだが、どこか暇さんとは親しい間柄に見える。そもそも、会話もずいぶんと付き合いの長そうな感じだ。イケメン女子ふたりのバディとか、カッコイイな! ちょっと妬いちゃうけど!
「まぁまぁ、探偵の考えはわかったよ。それで、いつ妖怪さんのお悩み相談に行けば良いのかな?」
「早ければ早いほうが良い。今日でも明日でも頼みたいところだ」
「ふぅむ。まぁ早い方がよいだろうが、こちらにも都合が一応はある。明日でどうかな?」
急展開である。明日、問題の妖怪が出る場所まで赴くのか。
「暇さん、ここを空にしちゃってだいじょうぶなんですか? 何せ定休日も決まっていない場所なのに、突然出向しちゃって
「今日、茂美たちに留守を頼んでおくよ。ドクターストップは茂美を始め優秀なスタッフが揃っている。手間をかけるが、ここの様子もちょこちょこ見てもらうようにしよう」
なるほど、以前暇さんは茂美さんは彼の師だと言っていた。
そんな人に頼めば、心強いことこのうえない。でも初めての出向、緊張するなぁ。
この間の近所の喫茶店とは、まったく違うもんね。
「明日だな、わかった。明日朝に来よう、八時過ぎごろになるかな。問題の場所は山形だ。飛行機と泊まる場所はこちらで確保していく。どうせ経費で落とせるしな。一泊二日の肯定の予定だ。ふたりは気負わず、身軽な格好で来てくれて問題ない」
「了解したよ、探偵。さて、お客さんも来ないし、少しゆっくりしていくかい? 君の色々な体験を聞くのも僕は結構好きなんだけどねぇ」
暇さんの言葉とは裏腹に、東雲さんはイスを立った。
「あいにく、じっとしているのは性に合わない。今日出来ることをやっておきたい。悪いがその申し出は断らせてもらおう。それじゃあな」
「まったくもって、大人しくしていられない君らしい。いずれ話でも聴かせてくれたまえ」
東雲さんが扉に向かう。
しかし、その足を止めてわたしを直視した。
鋭い目線のなかにふっと優しい色が灯り、わたしは不覚にもドキリとしてしまう。
「うまいコーヒーだった、ごちそうさん。では、ふたりともまた明日」
ぶっきらぼうだけど、コーヒーのお礼までしてくれるなんて、嬉しいなぁ。
暇さんと東雲さん、なんだかちょっと似たとこあったりするのかも。
結局、その日はちょっとした家庭間のお悩み相談が一件あっただけだった。
夜になると、暇さんはわたしと茂美さんのお店でご飯を食べた。出掛ける話をすると茂美さんは「良いわよー! 任せてちょうだい!」と景気よく答えた。
ほかにもスタッフとおぼしく女の子がふたりほどいて、とっても可愛かった。
あれ、でもここって女装バーだよね? ということは、あんな可愛い子たちが……。
「じゃあ茂美、皆、よろしく頼んだよ」
「明日はどうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げて、暇さんとともに店を出る。
その日は暇さんが和室に泊まり、わたしが洋室で過ごした。
妖怪かぁ……。なんか怖いなぁ。
でも暇さんがいるし、東雲さんもすごく頼りになりそうだ。きっとだいじょうぶだよね。
暖かなベッドの中で、わたしは少しずつ眠りに落ちていった。
翌朝も、朝ごはんはドクターストップ。メニューも同じだったけど、お肉の間に入っている野菜が変わっていた。細かいところで、茂美さんはわたしたちの栄養を気遣ってくれているのかもしれない。
「じゃあ、都子君はオフィスカジュアルというか、探偵助手っぽい恰好でよろしくね」
暇堂に戻ると、暇さんがそう言って和室に入っていった。
うーん、オフィスカジュアル。仮にも一年は会社員してたワケだし、それっぽい服がないこともないけど。
着替えが終わると、わたしは和室に向かい木戸をノックした。「開いているよ」。暇さん、お客様を迎えるときもプライベートも同じこと言うんだなぁ。
「改めて、おはようございまー……す? 暇さん、その恰好は?」
暇さんは、いつもとは違う出で立ちをしていた。
狩衣と呼ばれる平安貴族や陰陽師が来ていたような白い服を身にまとい、下半身は明るめの青紫色の袴をはいている。服には何か所の青い紐が通してあり朱色の線も何本か入っている。
本当の妖怪祓いみたいだし、とっても似合っててかっこいいけど、すごくお高そうだ。
「やあやあ、なんと言っても今回は妖怪祓いだからね。それっぽい恰好をしていったほうが、現地の人たちも納得するだろうとね。君は有能な助手ってワケで、ひとつ頼むよ」
扇を口元にあてて、暇さんが不敵に笑う。
なんか、今にも式神とか出しそうな感じ。それくらい雰囲気ぴったりだ。
それほど待つことなく、東雲さんは和室にやってきた。宣言通りの到着、几帳面な性格のようだ。暇さんの恰好を見て、思わず東雲さんが苦笑した。
「そこまで準備してくれるとは助かるよ、昼行灯。これなら妖怪も退散していくな」
「おいおい、僕を侮ってもらっちゃあ困る。僕は悩みを万引き受ける暇堂だよ? 相手に合わせて服装だって態度だって変えて見せるさ。人も万物も変幻の中にあり、ゆえに僕も変幻自在でいないとね」
それにしたって狩衣まで持っているのは行きすぎではないだろうか。
眼福だからいいけれど。一泊二日ということで、わたしたちは少な目の荷物で出掛けた。
大通りに出ると、すぐにタクシーがつかまった。なんといっても暇さんの恰好は目立つ。
「羽田空港、国内線ターミナルのほうで」
タクシーは渋滞などにつかまることもなく、快適に走っていく。朝の通勤ラッシュからは少しずれた時間だからだろうか。こういうところも、東雲さんは計算済みなのかな?
空港に着くと、早々に入場ゲートを通り飛行機の待ち合い所に向かった。
空港の景色は賑やかで多彩で好きだ。お土産を買うワケにはいかないけど、わたしは空いた時間空港内を見て回った。ふたりは黙然と座っている。
やがて、ゲートが開かれ飛行機の機内に案内させられた。
わたしと暇さんはとなり同士、その前の座席に東雲さんという形。
「飛行機はどうにも眠たくなるんだよねぇ」
飛び立つ前から、暇さんが眠たそうに言った。特にやることもなくそこそこ心地の良いシートに座っているだけだから、わからないでもない。
『こちらは羽田発山形空港行き――』
機内アナウンスが流れる。そして飛行機が加速して飛び立つと、すぐに暇さんは本当に眠ってしまった。
しかも! わたしの肩に頭を預けて!
ちょ、ちょっとこれは思いもしない展開! 緊張してこっちは寝るどころじゃない。
お香を焚いたのか、優しい香りがわたしの鼻孔をくすぐる。黒く長い髪がかかって、こっそりと触ってみると柔らかで滑らかで……! それと暇さんの体温っ!
ああ、なんかちょっとしたデート気分……!
けれど、わたしの幸せ時間はあまり長く続かなかった。
「お飲み物はいかがでしょうか?」
客室乗務員さんが、カートを押して飲み物を運んできたのだ。
東京から山形までは飛行機で一時間ちょっと。それでも飲み物サービスがあるとは!
ぼんやりと目を開けた暇さんが眠そうに「コンソメスープを」と言った。
暇さんのことだからコーヒーかウーロン茶あたりだと思ったのに。
「コンソメですか、なんだか暇さんにしては意外なチョイスですね」
「うん、コンソメスープなんて普段作らないからね。こういうときしかなかなか味わえないんだよ。これも飛行機の旅のだいご味ってところかなぁ、ふぁぁ」
あくびをして、暇さんが言った。
暇さんのスープをつぎ終えた乗務員さんが、わたしにも飲み物を聞いてくる。
わたしは暇さんの言葉になんとなく納得し「コンソメスープお願いします」と頼んだ。
あーあ、ときめきの時間だったのになぁ、と暖かいスープをすすりながら回顧する。
暖かいスープが、さっきまでの緊張を少しずつほぐしていく。
すると、不意に私にも睡魔がやってきた。と言ってもさすがにわたしには暇さんのほうに寄りかかる勇気はない。窓側にもたれるようにして、身を預ける。
『まもなく、当機は山形空港に着陸します。シートベルトの着用を……』
機内アナウンスで、わたしは眼を覚ました。
すると、暇さんの手がわたしの顔のすぐ上にあった。
えっ!? これどういうこと?
「やぁやぁ、都子君おはよう。さっきは僕が都子君に寄りかかっちゃったからねぇ。せめてもの恩返しで、安眠を祈願しながら髪を撫でていたんだよ。よく眠れたかい?」
良く眠れはしたけど……もったいない!
そしてやっぱり暇さんはちょっと距離感がズレている。
健全な男女の青春的なものをほとんど知らないわたしに、なんてことを――!
嬉しいけどさ! 何かに目覚めてしまいそう……もう、目覚めてるかも……。
「さっさと着陸の準備をしろよ、おふたりさん」
東雲さんが振り返り、呆れた声で言った。
うわー、恥ずかしい! 東雲さんにはわたしたち、どう映っているんだろう。
わたしの心の葛藤と揺れは無視して、飛行機は静かに着陸した。飛行機を降りると、到着ゲートの前に三十代と思しき男性が立っていて、こちらに手を振っている。
「どうも、このたびは遠いところからわざわざありがとうございます」
男性が頭を下げた。東雲さんが紹介する。
「地元住民の開発反対団体の中心的な方のひとりで、山岸さんだ。山岸さん、こちらは妖怪祓いと推理を得意とする風月暇というものと、助手の三島都子さんです」
「ああ、先生! それに助手さん! よろしく頼みます!」
山岸さんは、わたしたちに向けてさらに深くお辞儀した。
「風月暇です。今回は大変な目に……僕らにどうぞお任せください」
「三島都子です! がんばりますっ、宜しくお願い致します!」
挨拶が済むと、わたしたちは村の集会所まで車で運んでもらった。
そこにはゴルフ場計画反対派団体のリーダーさんもおり、詳しく話を聞かせてくれるという。
山岸さんは、集会所までわたしたちを案内すると「仕事があるので」と去っていった。
わたしたちは集会所の会議室のようなところに通された。十数人は入れるであろう広い場所だったが、今はわたしたち三人とリーダーさんしかいない。
「いやぁ、本当に今回は遠くからね、申し訳ありません。わたしは開発反対派の代表で、藤村と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
わたしたちも順番に名乗って頭を下げる。人好きしそうな、好々爺といった風貌だ。
年齢は、六十歳を超えているだろうが、がっしりした体格をしていた。
「まずは、妖怪が出ることになった開発予定地の話から聞かせて頂きたいのですが?」
東雲さんが落ち着いた声で言うと、藤村さんはうんうんと頷いた。
「いやぁね、少し長くなるんですが……。そもそもですね、自治体があの森を開発すること自体我々は反対だったんです。しかもですよ、あいつらは最初、森林を伐採してそこにソーラーパネルを設置するとのたまわってたんですわ」
ソーラーパネル。確かに最近は流行っている。
それがなぜゴルフ場になったのか。
「村の多くの人間が反対しました。我々にとって命のような森林ですからね。しかし、自治体は未来エネルギーだの、電力の拡充で村の電気代も賄えるだの、温暖化対策にわたしたちも行動すべきだなどときれいごとを並べたてまして」
「ふむふむ、未来エネルギーねぇ。それがまたどうしてゴルフ場になっちゃったんですか? 未来エネルギーに温暖化対策どころか、更地にするようなもんじゃないですか」
暇さんの言葉に、藤村さんは「仰る通りです!」と口角泡を飛ばして言った。
「どうにもソーラーパネルの予算や、万が一火災になったときの厄介さやら、この辺りの日照りが少ないことなどを理由にして、計画を却下したのですな。そこで反対派も数が減り、おとなしくなったワケです」
「なるほど、おそらくソーラーパネルの設置は最初の段階でのステップに過ぎず、彼らの目標は最初からゴルフ場建設にあったのかもしれないですね」
東雲さんが、銀のフレームの眼鏡を輝かせて言った。
「そうです、そうなんです! しかし、他の地方からも集まっていた地元出戻りの反対派は、一度自分たちの町に戻ってしまったあとでしてな。これぞまさしくだまし討ち、鬼畜の所業ですわ」
「相手の戦力を削ってから本当の作戦に入る。戦の常套手段とはいえ、自治体のくせに地元住民を姑息な策にはめるようなことをするとは、いやぁなんともけしからんですなぁ、まこと許しがたい」
暇さんが狩衣の恰好でそんなことを言うと、本当に合戦の会議のようである。
それにしても、自治体もなんでそんなことをしたんだろう。何か利権が絡んでいるのだろうか。村の人たちの代表のはずなのに、悲しい話だ。
「それで、こっちの人間がグッと減って少ししたころですな、妖怪が出始めたのは」
「ほう、そんな時期に物の怪は現れたのですね」
「はい。妖怪は森に立ち入ろうとする者たちを脅すのですわ。わたしゃ実際見たこともないんですが、これがまた効果が絶大で。自治体の連中も工事会社の下見の人たちも恐れおののいて話が延び延びになっているところですわ」
ふぅ、とため息をついて藤村さんが言った。
「ですが藤村さん。開発がとん挫しかけているのなら、反対派には良いことなのでは?」
「いやいや助手さん、開発を止めたって、妖怪の出る村だなんて評判になったら、観光業が大ダメージどころではありませんよ!」
「ふむふむ、まぁオカルト好きがいっとき集まるかもしれませんが、長い目で見て未来がないのはたしかですね、色々と」
妙に含みを持たせた言い方で、暇さんが言う。たしかに観光業への影響は払拭出来ない。
けれど、開発を進めさせるワケにもいかない。彼らは八方塞がりなのだろう。
「そこでですね、まずは先生たちに妖怪を追い払ってもらいまして、我々はその間に仕切り直しをして、もう一度自治体とやり合おうと準備を進めているワケです」
「なるほど、ではまずは妖怪とやらを見てみないと、なんとも言えませんね。我々は妖怪祓いとでも名乗って、自治体のほうに出向いてみましょう。それで、妖怪が出れば対処法を考えます。それで良いですか?」
まるでスパイ作戦である。
しかし、妖怪騒ぎの主戦場は自治体方面らしい。方法はそれしかないのかも。
「おお、さっすがは先生たち! 頼もしいです。そういった塩梅でやっていただけましたら。その間に、こちらも体制を立て直しますので」
話し合いはそんな具合でまとまり、わたしたちは一度自治体のほうに出向いてみることになった。藤村さんは、集会所の出口で何度もお辞儀をしてわたしたちを見送った。
さてどうやって自治体まで行くかと思ったが、すぐにバス停が見つかった。
来る場所は色々なところからバスが来るが、行き先はほとんど自治体のある村役所。
役所はどうやら村の中心的存在のようだ。
「それにしても、どうやって自治体の人たちを動かすんですか暇さん?」
「あっはっは! なんのために僕がこんな恰好をしてきたと思っているんだい。しかもとても様になっていると来たもんだ。妖怪騒動で困っている連中は、きっと大喜びで迎え入れてくれるだろうねぇ。困ったときの霊能者頼みってね」
暇さんが大声で笑うと、東雲さんが暇さんを横目でちらりと見た。
「まったく、抜け目のないやつだ。だからこそ連れて来たワケだが」
やって来たバスに乗り村役所に到着すると、ふたりはさっさと入り口に向かっていった。
受付の人は暇さんの姿にとまどっていたが、やがて上司らしき人が出てきて、私達は応接室に通された。
「どうも、はじめまして。役場の長をやってます村井です。ええっと、この度は妖怪騒動のことを聞きつけていらっしゃってくださったとのことで」
中年の頭が少しバーコード気味のオジサンが、皆が腰掛けると口を開いた。
「はい。なにやら良くないものが出たとの情報を得てやってまいりました。今回の件はわたくし、暇堂にお任せいただけましたらと思うのですが、いかがでしょうか?」
「はぁ、しかしあの騒ぎは内々にしておくようにと通達したのに、なぜあなたはご存知で?」
「平安のころより、ああした生き物を封じて来た一族ですので。そういった話はどんなに隠そうとも我々の一族の耳に入ってくるのですよ。ご安心ください」
暇さんが自分をわたくし呼びしてる!
立場上しょうがない感じの空気感だけど、ものすごい違和感。
そして流れるように出る嘘!
「はぁぁ、なんとも頼もしい。しかし、いつからそうした、なんでしょう、お祓い? をなさるのでしょうか?」
「出来れば今すぐに。ああいったものは、時間が経てば経つほどに強力になっていきます」
強力になる、という言葉に村井さんの表情はかすかに震えた。
この人もまた、妖怪騒動で動揺し、妖怪の存在を信じつつあるのだろう。
「わ、わかりました。すぐに手すきの者に車を準備させますので、少々お待ちください」
村井さんが出て行くと、東雲さんが足を組んで言った。
「反対派から情報を取り入れ、知らぬふりで自治体側を動かすとは、対した策士さまだな、陰陽師殿?」
「嫌味を言うなよ探偵。僕だってねぇ、あんな固い喋り方なんかしたくないんだよ。もう窮屈で窮屈で。でも、それっぽい感じってやつは必要だろう。今回の僕は悩みを万引き受ける暇堂であるとともに、敏腕陰陽師であり天才策士さ」
暇さんは自分が言う通り、今のところ反対派に加担しつつ、自治体も見事に操っている。
「でも暇さん、こんなやり方で今回の問題は解決に向かうんですか?」
「まぁまぁ、僕の腕前を信じたまえよ。これが日帰りなら無理だが幸い一泊二日、僕の計算では間に合うよ。まぁ最悪スケジュールを伸ばしても良いさ、茂美に小言を言われるだけだ。あっはっは」
「はぁ、だいじょうぶなのかなぁ」
わたしがため息をついて少ししたころ、村井さんとともに若い男性がやってきた。
「岸です、はじめまして。よろしくお願いいたします」
私達も、岸さんに短く名乗り合う。
「今回、皆様を現場までお連れいたします。どうぞこちらへ」
自治体の裏の駐車場に案内される。岸さんはわたしたちを車に乗せてから、自分も運転席につき車を走らせた。
「あの、妖怪の噂ってかなり村では広がってるんですか?」
「そうなんですよ。僕なんかはどっちかというと懐疑的なんですけど、なにせ老人……て言葉悪いですね。ご年配の方が多い場所なので、そういうのに敏感なんです」
「業者のほうはどうなんだ、強引にでも動かないのか?」
「建設関連や土木関連のお仕事って、すごいゲンを担ぐじゃないですか」
岸さんの言葉に、暇さんが頷いた。
「家を一軒立て直すだけで宮司を呼んで地鎮祭をするほどですからね。彼らの中にはそうした過去から受け継がれた伝統が色濃く残っているのでしょう」
「お詳しいですね、そうなんですよ。だからね、妖怪が出たってんで、そんなに怖がりはしないものの、縁起が悪いから出来ないの一点張りで。まいっちゃいますよ」
私はふと疑問に思って、岸さんにカマをかけるように聞いた。
「そういうことをあまり気にしない業者さんに頼むとかは、しないんですか?」
「いやねぇ、これ、秘密ですよ。うちにも利権絡みとか色々ありますから。今回の件で任せる会社はもう決まってるんですよ」
なるほど、やはり大人の事情というワケだ。
暇さんが、良い質問だったと言わんがばかリに一瞬、こちらを微笑んだ。
反対派はなんとしても今回の案件を潰したい。
役所側は、妖怪に恐れつつも事業を進めたい。
工事会社は、ゲンが悪いと二の足を踏んでいる。
すこしずつ、この村の妖怪にまつわる関係図のようなものがハッキリしてきた。
やがて、目の前に小高い丘に木々が生い茂る森が見えて来た。
「着きましたよ、ここです」
岸さんの案内で、わたしたちは森の入り口まで歩く。
緑豊かで空気が美味しい。思わず私はそっと深呼吸した。
うーん、こんな素敵な場所がゴルフ場になってしまったら悲しいなぁ。
「自然豊かで木々も活き活きとしております。野の恵みも豊富でしょう。そういった場所を好んで根城にする妖怪は多い。はたまた、妖怪がもとより住んでいた森がここまで大きくなったのか……」
暇さんが、ゆっくり森のそばに近づいていく。
東雲さんはあくまで落ち着いた目で、周囲を見回している。警戒しているのだろう。
暇さんが森に入ったそのとき、わたしの頭の中でしゃがれた大きな声が流れた。
『帰れ! ここは我が住処だぞ! そうそうに立ち去るがよい!』
ほかの三人にも声は聞こえたようで、岸さんは取り乱している。東雲さんはかすかに目を細めただけで動じない。暇さんは札のようなものを取り出した。
「いにしえよりこの森にすむ者に問う! なにゆえこのように荒ぶるか!」
『人間が森を削り、我が住処を犯そうとしておる。そんなことは断じて許さぬ!』
「なるほど。妖怪よ、まずは、姿を見て話したい!」
暇さんが言うと、森の木々がざぁぁっと音を立てて揺れた。
森の奥の方に、人影が見えた。いや、それは人影なんてものではない。
天狗のような鼻と赤い顔。側面も真っ赤で、お面でないことはすぐわかった。さらに鬼のような角が二本生えている。天狗のような服を身にまとい数珠のような太いネックレスを巻き、手には薙刀のようなものを持っていた。
「都子君、君、目がよいでしょ? よく見ておいて」
暇さんが耳打ちしたあと、妖怪に一歩近づいた。
すると妖怪が『ぬううっ!』と怒りの声をあげる。すると、妖怪全体の姿が陽炎のように揺れた。
「なななっ、こんなことってあるんですか!? ほんとに、妖怪っ!?」
岸さんはすっかり取り乱している。東雲さんは手首を回し指をならした。戦闘準備ってことだろうか。あんなもの相手にすごい度胸だ。
ふいに、暇さんが今まで聴いたこともないような大声を出した。
「これは、『気騙し』だっ!!」
「け、けだまし、ですか?」
「ああ、古代今昔異形録のころより伝承されている、由緒正しき妖怪だ。これはそうとうにやっかいだよ」
わたしたちが立ち尽くしていると、再び妖怪――気騙し――が喋る。
『消え失せよ。二度とこの地に足を踏み入れるでない。消え失せよ!』
最初に限界を迎えたのは、岸さんであった。
「み、みみ、みなさん! ここは引き上げましょう! まずいですよ、ね! ね!」
今まで妖怪否定派だっただけに、余計にこの怪奇現象が衝撃的だったのだろう。
結局岸さんは暇さんと東雲さんを引っ張っていくようにして、車を止めたところまで戻った。わたしはそれに続く前に、もう一度気騙しに目をやった、その首筋――。
(あの雫、あれって、汗をかいている? 妖怪も汗をかくの?)
四人で車内に戻ると、岸さんは大きく息を吐いた。
「はぁぁぁ……ずっとお年寄りの世迷い事だと思ってたのに、あんな、あんな!」
「気騙しとは高位の妖怪が住む場所ですね。これは諦めるのが賢明でしょう」
「しかし、そんなことは私の一存では……」
困り果てた岸さんの車で、自治体に戻る。村井さんに岸さんも交えて会議になった。
「ほう、あんなに動じない岸君ですら驚いたのかい?」
「ビビッてしまいましたよ。声は頭の中に響くし、姿は異様なうえにユラユラと揺れているんですから、あれはどうしようもないですよ村長!」
「しかし、そうは言ってもねぇ岸君……」
場が重い空気に包まれ始めたとき、暇さんが狙いすまして口を開いた。
「妖怪に、気騙しに譲歩してもらいましょう」
「妖怪に譲歩とは、これまたどういうことですかね先生?」
「今回のゴルフ場開発の件は、何もあの森をすべて根絶やしにしてしまうワケではない。そうですよね?」
暇さんに問われると、村井さんが頷いた。
「ええ、せいぜい半分も伐採しないで作れる予定になっています」
「なるほど。そこで、儀式です。気騙しにもとの住処の一部を分けてもらい、その代わり彼を奉る祭壇を作ります。それで話をつけましょう」
暇さんの言葉に、岸さんが素っ頓狂な声をあげた。
「あ、あの化け物にそんなの通じるんですかぁ!?」
「人は古来より森や山を開拓してきました。それでも罰があたることなくこうして繁栄出来たのは、こうした神様や妖怪との駆け引きと話し合いなのですよ。色々なところに、祠や庵、それに寺社神社石碑などがありましょう。もちろん記念碑も多いですが、そうした話し合いの結果、神や土地神様を祭った産物であることも多いのですよ」
暇さんが真面目な顔で話し続ける。
はぁ、タメになるなぁ。わたしも勉強しなきゃ。
しかし、暇さんの表情が、ときどきムズムズと動いた。真面目な顔に疲れたのだろう。
「何か、ご異議はございますでしょうか?」
暇さんが村井さんの目を見て言った。
「いいえそんな! 開発計画が進むなら、先生にすべてお任せします!」
「では少々、自治体の皆様のお力を拝借いたします。よろしくお願いいたします」
暇さんがまず最初に指示を出したのは、意外にも気騙しの出る森の入り口に急いでプレハブ小屋を立てることだった。
「はぁ、プレハブ小屋、ですか? そりゃあまぁ、業者のもんも引っ張ってきて数人がかりでやれば半日かからず出来ると思いますが」
「まずは、手土産のようなものです。小屋のなかに簡易の祭壇を設け、我々が敵ではないことを理解してもらわねばなりません。出来るだけ大きいものを頼みます」
「か、かしこまりました! 岸君、すぐに手配をっ!」
「はい!」
「東雲、君には一緒に行ってプレハブ小屋の警備を頼みたい。ほかにもお願いしたいことがいくつかあるから、あとでメールするよ」
東雲さんはタバコを吸うように二本の指を口元にあて、「こき使ってくれるもんだな」と言って岸さんと出て行った。
「さて、都子君。君には勉強も含めて図書館に行ってもらう。村長、彼女が図書館を自由に使えるような取り計らいは出来ますか?」
「それは、はい。わたしが一筆書きましょう。それでも何かあればいつでも役場にお電話ください。対応させて頂きます。では、ちと一筆書いて、助手さんが図書館まで行く車も手配して参りますね」
村井さんがあわてて出て行った。
会議室にわたしたちだけが残されると、暇さんが「はっはっは!」と声をあげ笑った。
「いやはや、なんともこんな真面目な顔で喋り通したのは初めてかもしれないねぇ。いやぁ疲れた疲れた」
「お疲れ様です。あの、暇さん、『気騙し』っていったいどうよう妖怪なんですか?」
「君はそれを今から図書館で調べるのさ。自分で見つけ給え。それとね、もうひとつ、君には頼みたいことがあるんだ」
「はい、なんでも言ってください」
ふいに、暇さんの顔が私の耳元に迫った。
「――」暇さんの短い言葉に、わたしは首をかしげた。
「そんなこと、する必要あるんですか?」
「大有りなんだよ、よろしくね。それと、都子君は眼が良かったよね。気騙しについて、君が何か気がついたことはあるかい?」
言われて、記憶をたどる。
声も姿も皆みているハズだし取り立てて――あ、そうだ。
「首の裏の方に、かすかに汗をかいていました。妖怪も汗をかくんだなって新鮮でした」
「なるほど、汗をねぇ。ありがとう、君はすばらしい助手だ」
「はぁ、良くわかりませんが、褒められてなによりです。暇さんは、これからどうするのですか?」
そう言うと、言われた暇さんが恥ずかしそうに頭をかいた。
「それがねぇ、思ったよりうまく行ったから、役所の人や探偵や都子君に任せておけば、このまま色々うまく行きそうなんだけどね。念には念をってね。僕は開発反対派のひとたちのところに行って、今日のことを話してくるよ」
「それって、火に油をそそぐことになりません?」
「まぁ、ぜんぶ真実は語らず、森林に住む妖怪・気騙しの存在とか、そういうのだけね。妖怪自体は、開発派反対派共通の敵だろう? それで今夜頃には万事うまく行くはずさ」
村井さんが来て、わたしたちを送る車を手配出来たと報告に来た。
わたしは暇さんと別れ、県内でもっとも大きな図書館に案内された。
ドーム型の天井で、メタリックなカラー。博物館のような見た目。
「うわー、ここの蔵書を全部調べていくのかぁ。これは大変かも」
そのうえ、妖怪関連の書物は時代物扱いになっており、きちんと一か所にまとまっていない。誰かが読み散らしたようにも見える。
わたしは眼についたものから手を伸ばし、数冊の本を取る。
大きな図書館には色々なところに机やテーブルが設置してあり、平日にも関わらず多くの人が利用していた。
わたしはとにかく、暇さんから連絡が来るまで妖怪調べに集中した。
しかし、どの文献にも気騙しなどという妖怪を見つけることは出来ない。
「はぁー、もっと妖怪大全集みたいなのがたくさんあればな。暇さんが記述があるって言ってた本も見当たらないし、これは根気がいるなぁ」
図書館前の自販機コーナーでコーヒーを買って一休みしながら、わたしは弱音を吐く。
朝から動いていたというのに、あっちに行ったりこっちに行ったりで時刻はもう夕方であった。
スマートフォンに暇さんから連絡があり、さきほど耳打ちされたことを図書館で確認したのち、森の入り口で合流するようにと指示された。結局、気騙しの記述は見つけられなかったなぁ、助手失格かも。
わたしは司書さんたちに村井村長の一筆を見せ、あることを確認して図書館を出た。
迎えの車はさすがにないので、タクシーを捕まえる。
これも経費、ちゃんと領収書もらわなきゃ!
わたしが行き先を指定すると、運転手さんが「おや」と声をあげた。
「あそこは今、妖怪が出るとか物騒だよ。だいじょうぶかい?」
「はぁ、まぁ。それに関しての仕事の一環でして」
「そりゃあ大変だね。まったくうちの自治体も何を考えているんだか。どういう考えをしたらソーラーパネルがゴルフ場になるのかねぇ。案外、最初からゴルフ場を作るつもりだったんじゃないのかねぇ」
そんな世間話をしつつ、森に向かった。これも情報収集と、わたしはおしゃべりな運転手さんの話に付き合い続けた。
領収書をもらって森の入り口で降りて少し進むと、緩やかな傾斜になっている森のすぐ前にプレハブ小屋がすでに立てられていた。東雲さんは、気怠そうにタバコを吸っている。
「東雲さん、お疲れ様です!」
「ああ、昼行灯の助手かい。お互い、いいように使われて苦労するな」
「東雲さんは何を頼まれたんですか? 小屋が出来るまでの警護とか?」
「ほかにも色々な。いずれあのとぼけた昼行灯が答え合わせをしてくれるさ」
暇さんのことを昼行灯なんて呼ぶけど、その響きにはどこか親しみがある。
ふたりの信頼関係を感じるような声音だ。少し、羨望に似た感情が胸をよぎる。
空が薄暗くなったころ、暇さんも自動車に送られて森にやってきた。
「おやおや待たせたかな? ふたりともお疲れ様。成果はプレハブ小屋の中で聞くとしよう。ささ、役所の人たちと反対派の人たち両方に差し入れ貰っちゃったよ。お昼もなおざりだったし、しっかり食べて宴会と行こう」
わたしたち三人は、並んでプレハブ小屋に入った。
体育館用具室をふたつくらい合わせたような、プレハブ小屋にしては大きめのものだ。
一応、祭壇らしいものもある。暇さんはそこに、それっぽい札を貼ったりしている。
三人で地面に車座に座って、頂いたものを食していく。
「なんだか作業に集中していたときは気付きませんでしたけど、わたしとってもお腹空いてたみたいです。おにぎりが美味しいー」
「人間そういうものさ。集中していると、色んなことを忘れる。作業興奮ともいうけれどね。良い風に作用することもあれば、悪い風に作用するときもあるから、ときに一息つくのは大切だよ」
「はいっ!」
二つ目のおにぎりを頬張りながら、わたしは答えた。
差し入れにはからあげや玉子焼きやコロッケもある……ありがたいなぁ。
でも、対立しているふたつの団体から貰っちゃうのはちょっと気が引ける。
「それで、探偵。君にはまぁとかく色々頼んでしまったが、君なら余裕だっただろう」
「まぁな。お前の見立て通りだ昼行灯。私にもだいたいのことは見えて来た」
「あ、あの! 東雲さんに頼んだことって?」
わたしが問いかけると、暇さんはいたずらっ子みたいな顔で人差し指を口に当てた。
「もう少しの間、都子君には秘密。壁に耳あり障子に目あり、どこでだれがなにを聞いているか、わかったもんじゃあないからね。なぁに、次期にわかるよ」
「んもう、暇さんの意地悪ー!」
食事も終えて一息ついたとき、わたしはふと気付いた。
ここから帰りはどうするのだろう。さすがにこんな固い地面じゃ寝れないし、タクシーでも呼ぶのだろうか?
「暇さん、このあとの帰りはどうするんですか?」
「ああ、自治体の人が迎えに来てくれるよ。それで帰った振りをして森に潜む」
「なるほど、自治体の人が……って、ええっ!? なんで森に?」
「まぁまぁ、ちゃんと虫除けスプレー買っておいたから、我慢しておくれ」
うううっ、暇さん……。それも大事だけど聴きたいのはそれじゃない。
絶妙なところではぐらかすのは、やはり壁に耳ありを警戒しているのだろうか。
少し経つと、車の音が近づいて来た。お迎え、じゃなくお迎えもどきの車だろう。
運転手は、妖怪に腰を抜かしていた岸さんだった。
わたしたちは外に出て「わざわざすいません」「助かります」「いえいえこちらこそ」なんて小芝居をしたのち、車の影から森の中に入っていった。
それを確認して車が遠ざかっていく。
夜の薄気味悪いなか、うっそうと茂った森の草木に姿を隠すわたしたち。
はぁ、とんだ大人のかくれんぼだ。わたしは小さな声で聞いた。
「暇さん、いったいどれだけこうしていれば良いんですか?」
「さぁねぇ、なにせ相手がいることだからねぇ。相手次第ってとこかな。ほらほら、目の良い都子君はプレハブ小屋の周囲から目を話しちゃダメだよ」
「はぁぁ……。それは疲れそうですね。かしこまりましたぁ」
いったい、どうしてプレハブ小屋を隠れて見張らなければならないのか。
どれだけ時間が過ぎただろう。わたしが座る姿勢を三回ぼど変えたとき、プレハブ小屋に近づく影があった。かなりの大きさだ。
「暇さん! 来ました、プレハブ小屋のとこで大きな影が動いてます! でも、なんだか異様なシルエットをしているような……」
「現れたか。探偵、やつが小屋に明かりをつけたら頼む。ひどいケガは負わせるなよ」
「相手次第だがな、一応わかったと言っておこう」
ひえっ、なんかふたりが物騒な話してる。
そうこうしているうちに、プレハブ小屋に微かな明かりが灯った。わたしが「光が……」と言いかけたときには、東雲さんは脱兎の如く駆けだしていた。
開けっ放しだったプレハブ小屋に、東雲さんが入る。数度、ドシンガシンと物騒な物音がしたあと、東雲さんの「終わったぞ」という冷静な声が聞こえた。呼吸もまったく乱れた様子はない。
「さてさて、妖怪事件はこれで大詰めかな。いこうか、都子君」
「妖怪事件がこれで? あ、待ってくださいよー!」
ふたりで森を出て、プレハブ小屋に入り電灯をつける。
そこには、昼間見た気騙しと、それをうつ伏せに組み伏せる東雲さんの姿があった。
「東雲さん! よ、妖怪を抑え込んでだいじょうぶですか!? 怪我とかは?」
「私はない。こっちの気騙しさんは知らんけどな」
『うう、罰あたりどもめ! 放せ、放せー!』
気騙しが叫ぶ。けれど、不思議なことにその声は森で聞いたような頭に響く声ではなく、耳から聞こえる普通の男性の声であった。
「なんだか、声の聞こえ方がぜんぜん違いますね」
「それもあっちの昼行灯が説明するだろうよ」
手際よく気騙しの手足をしばった東雲さんが言う。明るいところで見てみると、気騙しは特に大きくない。とても大きく見えたのは、かなり高い下駄をはいていたのだろうか。
「さてさて、さあさあ、気騙しさん。ここからどうするかな?」
暇さんの言葉に、気騙しは困惑するように身をよじらせた。
『そ、それは……うう……』
「今から自治体の皆さんと開発反対派の皆さんを呼んで、あなたの素顔を公開するショーでもやりましょうか? きっと村中がもりあがる大イベントになりますよ?」
暇さんが言うと、気騙しは抵抗をあきらめ転がり、仰向けになった。
『お願いだ、それだけは勘弁してくれ。どうか、どうか……』
昼に出た、威厳溢れる大妖怪の姿はもうなかった。
ここにいるのはおそらくは変装をしているのだろう、ただの男の人だ。
「そうですか、ではそれは止めにしましょう。とはいえ、我々三人にはきちんと顔を合わせて経緯を説明してもらえませんかね、気騙しさん」
『……わかりました。抵抗もしません、縄を解いてください』
急に、言葉遣いが穏やかになった。気騙しは、妖怪なのにもう観念したのだろうか。
東雲さんがナイフでロープを切る。気騙しは正座する。わたしたちも向かい合うように座ると、気騙しがその頭をずるりとはがした。
「きゃっ! 頭がっ!?」
大声をあげて暇さんに引っ付いたわたしに、暇さんが冷静に言う。
「特殊メイクというやつだよ、落ち着きたまえ都子君。もうすぐ見知った顔が出てくる」
「あ、あれ特殊メイクだったんですか……って、あなたは……」
特殊メイクの下から出てきた顔に、わたしは驚愕の声をあげた。
「山岸さん!?」
どういうこと……? 山岸さんが、妖怪気騙しだったなんて。
「さて気騙し、改め山岸さん。何か我々にお話したいことはありますか?」
山岸さんは唇を噛んでうつむいた。
「ここまでハッキリ正体がバレたのです、なんの申し開きも出来ません」
「そうですか。では今後はもう一度心を入れ替えて、開発反対派として頑張ってください」
暇さんが、あまりにもあっさりと話を切った。
意外だったのは山岸さんも同じだったようで、目を丸くさせている。
「あの、お伺いしたいのですが……なぜ私が気騙しだとわかったのですか?」
「それにはいくつも理由があります。ひとつ、汗をかいていたこと。つまり妖怪などではなく、あれは生きた人間であったということです」
妖怪って汗かかないのかな? これは純粋な疑問である。
「そして、音です。頭の中に響くような音はロックバンドのコンサートに似ている。都子君、君はそういうものに行ったことがあるかい?」
「いいえ、ジャズとかピアノとかオーケストラのほうが好きで」
「なるほど、するとちょっとわかりにくいかもしれないが、ロックバンドの密室での大音響は、まるで耳ではなく頭に直接入り込んでくるような、全身で音を感じる錯覚をするんだ。いや、まぁ実際音とは振動なので、錯覚というのは正しくないんだけどね」
「森中を調べさせて貰った。高級な音響素材が八つも出てきたぜ。こいつを森のそこらじゅうから鳴らせば、まるで頭に音が入って来るように聞こえるだろうよ。考えられた設置だ」
東雲さんがさぞ疲れたと言った口ぶりで言った。
「そして地面が揺れる効果。あれも簡単な物です。自分が立つ場所の前に、何か高温を発するものを仕込んでおけば良い。そうすればシルエットは揺れて見える。あのときあなたは我々の前に姿を見せた。僕らは動いたのに、あなたは出て行けと繰り返すだけで動きませんでしたね。いいや、動けなかった、と言った方が正しいですね。なにせ、陽炎で揺らめく姿が台無しになってしまうのですから」
「そこまで……お見通しでしたか」
がくりと、山岸さんが下を向いた。
しかし、ふと気付いたように顔をあげ、暇さんに問いかける。
「妖怪のふりをした人間がいた、それをあなた方は見抜いた。それはわかりました。ですが、どうして犯人は私だとわかったのですか? 見知った顔とおっしゃいましたよね?」
「まず、妖怪は当然開発反対派の人間の行動だと考えました。ゴルフ場建設をしたい人たちに妖怪騒動を起こすメリットはないですからね。そして、反対派の中でも観光にダメージがと妖怪に困っていた人もいた。これである程度犯人をしぼることが出来る」
暇さんが指を狭めるようによせて、ニヤリと笑った。
東雲さんはプレハブ小屋の窓を開けてタバコに火をつけた。
わたしは俄然、なんとか暇さんの話についていくので精一杯だ。
「しぼれることはわかりました。では、わたしに行き着いた結果は?」
「そこはですね、僕のウソが発端なんです」
「暇さんのウソ、ですか?」
わたしが言うと、暇さんは嬉しくてたまらないというように笑った。
「あっはっは! はっはっはっはっは!」
「暇さん、笑い過ぎです!」
「いやぁ、ごめんごめん。あまりにうまくハマったものでね。実はですね、世の中に『気騙し』なんて妖怪は存在しません。僕があのとき思いついて、適当にネーミングしただけの架空の生き物なんです」
えええっ!? 気騙しが暇さんの作りだした架空の妖怪!?
そ、それじゃあなんのためにわたしに図書館中の妖怪の本を調べさせたのだろう。
「い、暇さん! それはあんまりです! わたし一生懸命、気騙しについて探したのに!」
「ははは、ごめんね。都子君。でも、妖怪の勉強にはなっただろう。それはきっと今後大いに生きると思うよ」
なんてこともない、という顔で暇さんが言った。
「それで、都子君。こっちが本命、もうひとつの件だ。図書館で司書さんに聞いてもらったアレはどうだったのかな?」
「はい、今日、妖怪に関する書籍をレンタルしたのは、山岸さんだけでした」
わたしが言うと、山岸さんが「うう……」と短いうめき声をあげた。
「僕は妖怪の姿をしたあなたに会ったあのとき、わざわざあなたに聞こえるように大声で『あれは気騙し』だ。と言いました。この、まるで専門家みたいな衣装を着てね。そうなると、あなたは自分が扮していた妖怪が気騙しという名前であったことを知る。実際は知るというか、まぁ、誤解させたワケですが。とにかくあなたは気騙しを知った。そして、その妖怪の詳細を調べるべく、図書館に駆け込んだ。そうでしょう?」
「あなたの、言う通りです……」
なるほど、だから暇さんはあのときあんな耳打ちをしたんだ――。
耳元で「妖怪の書物を見た人と借りた人をチェックしてくれ」と。
タバコを吸い終えた東雲さんが、こちらにやってきて言った。
「そしてそもそものきっかけは、私に依頼したことだな」
「東雲さん、それってどういうことですか?」
「都子君、この東雲探偵はね。知る人ぞ知る世界でも有名な探偵なのさ。まぁ、頭脳より身体を動かす方が得意だったりするんだけどね。その有名人である東雲探偵が妖怪を見て、その話を全国に触れ回る。こういう効果を期待して、山岸さんは東雲探偵に依頼をしたのでしょう?」
暇さんの言葉に、山岸さんが力なく頷いた。
「私一人でも、あんたは取っ捕まえたと思いますよ山岸さん。けれどまぁ、それじゃあ妖怪の伝説を継ぐ奴が出てくるかもしれない。そこでこの昼行灯を連れて来たワケです」
東雲さんの言葉に、暇さんが付け加える。
「そうなのです、怪異や妖怪というのは、語り継がれてしまうものなのです。ひとつ、お話しましょう。大昔、豪雨で悩まされた村でひとりの若い女の子が山の中で行方不明になった。すると、村は快晴になり雨に悩まされなくなりました。山には神様がいる、天狗様がいると話題になりました」
なんだか、ちょっと悲しい昔話みたいな逸話だ。
「問題は、ここからです。村人たちはこう信じてしまった。『山に生贄を出せば、村が災害に見舞われることはない』と。そして次の年も、その次の年も村から若い女性を生贄として山に捧げ続けた。悲劇なのは、その間ずっと村は豊作続きだったのです。そのせいで、ただ道に迷い女性が亡くなった事故と、山には神か天狗がいて天候を操っているということが結びついてしまったのです。その村は長い間、山に生贄を捧げ続けた」
そんな――。
つらく不幸な偶然から、とんでもない習慣が産まれてしまったなんて。
「山岸さん、あなたのしたことは村に永遠に『気騙し』を存在させてしまうことになりかねなかったのですよ。こういったことは、決して行ってはならない。悲劇は、呪詛はどこにあるのか、わからないのです」
話を聞いた山岸さんが土下座して、頭を垂れた。
「完全に、わたしの過ちです。どんな処罰でもお受けいたします」
わたしは、厳しい罰があるのではと、心配して暇さんと東雲さんの顔を見る。
しかし、ふたりの表情はいつものままであった。
「わかりました、山岸さん。ではあなたに罰を与えます。内容は『これからも開発反対派として、全身全霊を持って正しく活動していくこと』です。それでよろしいですか?」
「え……、そんなことで、良いのですか?」
「そんなことだなんて、言えませんよ。なにせ全身全霊をかけてやるんですから。相当大変で、かなり重い罪だと思いますけどね」
「私は、今までも必死になって反対活動を行ってきました。そして今回、道を誤ってしまったのに……本当にまた活動に戻ってよいのでしょうか?」
戸惑う山岸さんに、暇さんがこくりとうなずく。
「もちろんです。村の住民の思いを代表して、全力で取り組んでください」
「はい……はい……。ありがとう、ございます!」
暇さんを崇拝するように見上げて、山岸さんが言った。
東雲さんが一歩前に出て、そんな山岸さんの肩に手を置く。
「私の知り合いに優秀なジャーナリストがいます。今度、そいつにこの村の現状を取材させて、反対派の、地元住民の思いを記事にさせましょう。それなりに大きな媒体に掲載されるはずです。世論も、地元住民の方向を向いてくれるでしょう」
「あなた方を騙してこんなことをした私にそこまで……してくださるのですか?」
「やり方はまったく賛成出来なかった。ですが、あなたは村を守るためにひたむきだったがゆえの過ちでしょう。次は間違えることなく、正しく戦っていってください。私が取り押さえないでいいようにね」
東雲さんが、口元を吊り上げるように笑った。
なんだかこのふたり、タイプは違うのにどこか似ているんだよなぁ。
東雲さんの言葉を受けた山岸さんが、嗚咽しながら何度もお礼の言葉を述べた。
「本当に、皆様、本当に、ありがとうございます! 全霊をつくして活動して参ります」
今回の気騙し――そんな妖怪は存在しなかったけど!――の騒動はこうして幕を閉じた。
わたしたちは少し離れたところに車を止めていた山岸さんに送ってもらい、宿泊先の施設についた。
暇さんと東雲さんは積もる話でもあるのか、東雲さんの部屋でずっとお話していたけれど、丸一日動き回っていたわたしは限界で、自室に戻りシャワーを浴びてベッドに横になった。
わたしと暇さんは相部屋だったんだけど、ちょっと残念。でも――。
(偶然やウソが、とんでもない悲劇を呼び込んでしまうことがあるんだ――)
そう思うと、恐ろしくて仕方のない気持ちもあった。暇さんに居て欲しい、なんて我儘な感情もにじみ出てくる。自分一人で抱えるには、大きすぎる出来事だった。
だけど、わたしも悩みを万引き受ける暇堂の一員なのだ。怖いからとふたりのもとに戻るのはやめにして、ぎゅっと目を閉じて眠りがやってくるのを待った。
不意に、微かな物音がした。頭から布団をかぶっていたわたしは、何ごとかと恐る恐る顔を出そうとしたとき――。
背後から、やわらかな温もりに包まれた。
「ただいま」
短く告げた暇さんが、わたしを背中からぎゅっと抱きしめてくれていた。
暇さんの吐息が首筋にかかる。暖かい、とろけてしまいそうな温もり。
「今日はお疲れ様、大変だったろう。ゆっくり休もうか」
「あの、暇さん、その……ベッドはもうひとつ……」
「こっちの方が温かいよ。都子君は、いやかい?」
「あの、その……いやじゃ、ないです……」
嬉しいです、という言葉を飲み込んでわたしは答えた。
暇さんの感触と香りに包まれる。なんて幸せなのだろう。緊張して口から心臓が出ちゃいそうなほどだし、ドキドキが暇さんに伝わらないか不安になる。
けれど、恐怖に震えていたわたしに暇さんの体温は本当に優しくて――。
不意に、手に暖かな感触が触れた。
「今日は怖かったかもね、こんなに手先が冷えている。本当にお疲れ様」
「あ、あの……怖かったですけど、わたしも暇堂の一員ですから」
「うん。都子君がそう言ってくれるのが、僕はとても嬉しいよ」
重なった手に微かに力が込められる。
心の中にあった怯えは、ゆっくりと消え去っていく。
心臓が早鐘を打つように鳴った。けれど、その奥では緊張の糸がほどけていく。
ああ、暇さんはわたしを心配してくれたんだな。
その思いが、熱が、胸の中いっぱいに拡がっていく。
暇さんの体温に包まれて、わたしはゆっくりと優しい眠りに落ちていった。
翌朝、目を覚ますととなりに寝息を立てる暇さん。
昨日は気付かなかったけど、パジャマ姿!
なんか、いつものピシッとした姿と違って無防備で、か、可愛い……!
じっと見ていると、微かな身じろぎをして暇さんがゆっくり目を開いた。
そして微笑む。
「おはよう」
そう言ってわたしに抱き着いて来た暇さんを、わたしもぎゅっと抱きしめた。
頬に、暇さんの唇が触れる。びっくりして身体を離すと、暇さんはイタズラが成功した子供のような無邪気な顔で笑った。わたしは、思わず離れてしまったことをそれはそれは後悔したのであった。
しかし、わたしの下半身を捕まえた暇さんが、膝に頭を乗せてくる。
「ふふっ、都子君のひざまくらー」
「も、もう! 暇さんってば!」
寝起きの暇さんは、いたずらっ子で甘えん坊だ。
わたしはそっと膝に乗った暇さんの綺麗な髪を撫でた。
帰りの飛行機は夕方の便だ。
昼の間は山岸さんの親切で山形を観光案内してもらい、日が暮れる前に空港に向かった。
「それでは東雲さん、せめてお代はきちんとお支払いさせて頂きますので。それに、暇堂さんのほうにも出させてください」
突然の申し出に、わたしはびっくりしてしまう。
「えっ、でも、いいんですか!?」
「もちろんです、ここまでお世話になったのですから。私は今回の一件で、生きる道を学びました。言葉のお礼だけでは言い尽くせないのです。せめて、お渡し出来る物はお渡ししたいのです」
山岸さんが言うと、東雲さんが頷き暇さんが笑った。
「あっはっは! 探偵から分け前をもらおうと思っていたところなんですよ。それを山岸さんが支払ってくださるならばありがたい、僕もたかり屋にならずに済むというものです。遠慮なく、受け取らせて頂きますね」
「ちょっと、暇さん……」
「助手の方も、ぜひボーナスを頂いてください。それでは、お金は東雲さんの口座に振り込みますので、お手数ですがそれを半々にして頂けましたら。きちんと支払いなどの書類もお送りします」
急な収入に、暇さんはニコニコしている。
わたしも一応頑張ったんだし、ボーナス貰えちゃうなら嬉しいな。
やがて、羽田行きの飛行機に乗る人は搭乗ゲートまでくるようにとアナウンスが流れた。
「じゃあ山岸さん、私たちはこれで。知り合いのジャーナリストには言っておきます」
「ありがとうございます、東雲さん」
「山岸さん」
ずっとニコニコしていた暇さんが、すっと無表情になり、急に氷のように冷たい声で山岸さんを呼んだ。
「あなたは一度、妖怪になりかけたのです。くれぐれもご注意を」
そう言って、暇さんは振り返りもせずにゲートへと去っていった。
山岸さんは、そんな暇さんの背中にいつまでも頭を下げ続けていた。
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