第2話 住み込み

 暇堂を訪れた翌日から、わたしは早速就職活動を始めた。

 求人誌に目を通し、職業案内所にも通い、いくつかの物件でも面接に進んだ。

 いきなり会社が倒産した人間にしては、順調な滑り出しなのかもしれない。

 ただ、光熱費はなんとかなるものの、じわじわと家賃滞納日が迫りくる。

 この数日、わたしはどうしても気持ちが満たされることはなかった。

「ぜひ面接試験を……か。どうしようかなぁ」

 送られてきたメールを見て、ひとりごちた。

 書類審査を通り、中途採用ながら条件も悪くない会社。

 事業内容も前の会社に似ていて、悪くないどころか非常に助かる案件である。

 それでも、やっぱり気持ちが晴れない。

 何度も、暇堂や暇さんのことを思い出した。

 迷える人たちの悩みを引き受けて、解決へと導いてあげる仕事。

 わたし自身が救われたからだろうか、あの仕事に、そして暇さんにとても惹かれている自分がいた。

「でも、わたし暇さんのようにおしゃべりでも物知りでもないしなぁ」

 なんとなく天井を見上げながらぼうっとしていると、枕元のスマートフォンが鳴った。

 沙也加からの着信だった。

『もしもし都子ー? 今ヒマ? 最近どうしてるのー?』

 沙也加の声は元気そうである。彼氏さんとの話し合いは良い方向に進んでいるのだろう。

「うん、時間あるよ。最近はねぇ……色々あって」

『へー、色々ってなんか意味深じゃん。なになに、聞かせてよ』

「あのね、悩みはなんでも引き受けるっていう場所があってね……」

 わたしが暇堂と暇さんのことを話すと、沙也加は嬉しそうに騒いだ。

 自分でも思ったより熱を持って語ってしまった自覚はある、主に暇さんの魅力について。

『いーなぁ、都子! イケメン女子とオシャレ空間で、ふたりっきりで話し聞いてもらってたってことでしょ? 何それ大サービスじゃん!』

「あのね……。まぁ、そういう言い方も出来なくはないけど」

『へー、わたしも行ってみようかなー。それで、そのお店が気になっちゃって就職活動に身が入らないワケだ』

「うん、そんなところ」

『じゃあさ、その暇堂さんてところで働けばいいじゃない。優しいイケメン女子とふたりっきりのお仕事生活とか、最高じゃん!』

 沙也加にとんでもないことを言われて、わたしは思わず顔が赤くなる。

「そ、そんな! そもそもあそこ、ひとりで成り立ってるみたいだし。知らないだけで誰かほかにもいるかもだし!」

『そんなの、聞いてみるまでわからないじゃない? ね、気に入ってるんでしょ。行ってみちゃいなよー! 今都子フリーなんだからさぁ』

「沙也加、仕事を恋愛みたいな言い方しないでよー」

『実質仕事と恋愛両立じゃん! そっかー、都子はそっちだったかー、へぇー、ほぉー、ふーん。でもさ、ほんとに行かなきゃ損だよー』

「だけど……」

 それからも、しぶるわたしを沙也加は押しまくってくる。

 彼女なりの、応援なのかもしれない。

 そしてその後、わたしの話の二倍以上の時間をかけて、彼氏さんと沙也加の今後について愚痴とノロケが混じり合ったような話をしていった。

『とにかく、今月は決断の月よ! お互い頑張りましょ!』

 最後にそう言って、沙也加は電話を切った。

 わたしはすっかり熱くなったスマートフォンを枕元に戻して、息を吐いた。

「暇さん……。人手に困っているようには見えなかったけどなぁ。あ、でも……」

 考えてみると、暇堂はふたつあるのだ。

 名前からしても、どちらも暇さんが管理している可能性は高い。

 なぜふたつ並んでいるのかはわからないけれど、片方は閉店にしていた。

「そう考えれば、もうひとつの暇堂は開店準備とかで、スタッフを募集してるかも……」

 都合の良すぎる考えかもしれない。

 そもそも、暇さんほどの綺麗な人である。すでに素敵な旦那さまやイケメンの恋人だっているかも。お店だって、偶然あの日片方が休みなだけだったかもしれない。

 って、ああ! わたしってば恋愛みたいに考えてる! 沙也加のせいなんだからっ!

 けれど、暇堂がふたつあるのも、あの日片方が閉まっていたのも紛れもない事実だ。

『とにかく、今月は決断の月よ!』

 再び沙也加の声がよみがえる。その決断でなんとか暇堂を訪れたのに――。

 もう一度、決断の時が来ようなんて思いもしなかった。

 だけど、わたしもあんな風に誰かの役に立てたら、きっと仕事に遣り甲斐を感じられる。

「ダメでもともと、ダメでもともと……」

 決心したわたしは一年ぶりのリクルートスーツを着用して、メイクを整えた。

 暇さんはどんなメイクが好きだろう、なんてことも考えてしまう。

「こ、これはあくまで面接を有利に進めるためのことだし!」

 なんだか照れくさくなって自分で自分に言い訳して、ああでもないこうでもないと顔を作る。ようやく納得いくメイクに仕上がったとき、時刻はお昼近くなっていた。

「遅くなっちゃった! でも、この間暇さんのところに行ったのもお昼過ぎだし」

 思い返してみれば、あの貼り紙には開店時間も開店日も書いてなかった。

 これで今日はお休みとかだったら虚しいなぁ。とにかく、私はカバンを持って家を出た。

 沙也加の家の最寄り駅から、大通りを外れた静かなところの二階にある雑居ビル。

 それが暇堂だ。周囲は一軒家や同じような少しくたびれたビルに囲まれていて、暇堂も一見すると風景に溶け込んでしまいそうだ。

 ビルの一階には『ドクターストップ』という看板があるが、今日も営業していない。ちょっと派手な看板からしても、夜にやっているお店なのだろう。

 この間のワクワクするような気持ちはなく、緊張の思いで階段を昇る。

 二階につくと、とりあえず右側、戸作りの入り口を確認した。

『ただいま、閉店中。 暇堂』

 相変わらず、札はぶら下げてあった。

 良かった、先日は偶然スタッフさんが休みだったというワケではないようだ。

 続いて左側の部屋に向かう。扉には前回と同じく『開店中。 暇堂』とあった。

 緊張で震えてしまいそうの指先で、ノックをしようとする。

(ダメでもともと、しっかりアピールして! 頑張らなきゃ!)

 気持ちを込めて、ノックをした。しばしの静寂。

「開いてるよ」

 高くも低くもない、透き通る声。耳が喜んでいるような感覚。

 わたしは扉を開けて、一礼した。

「暇さん、お久しぶりです。今日はお話があって参りました」

「おやおやこれは、都子さんだったね。数日ぶりの再会とは感動的じゃないか」

 奥のデスクに腰掛けていた暇さんが腰をあげ、こちらにゆっくり歩いて来る。

「わざわざまたやってきたんだ。また何かお悩みが出来たのかな? そうだそうだ、嗅覚の敏感な都子さんのために、今日もコーヒーを淹れるとしよう」

「あ、お構いなく!」

 暇さんと制止したが、彼は構わず奥の方に姿を消した。

 わたしは今回はちょっと悪いなと思いつつも、無断でイスに座らせてもらった。

 面接を受けるなら、やはり座って顔と顔を合わせてであると思ったのだ。

 ほどなくして、先日よりやわらかなかおりが部屋を泳いだ。

「さぁ問題。都子さん、今日のコーヒーは何かな?」

 奥から声だけで、イタズラそうに暇さんが聞いてきた。

 わたしは眼を閉じて嗅覚に集中する。この香りは――。

「ブルーマウンテンですか?」

「ご名答。やはり都子さんは五感が良いんだなぁ」

 カップを両手に持った暇さんが戻ってくる。コーヒーの入ったカップのひとつをわたしの前に、ひとつを自分の席のところに置いた。今日の角砂糖はひとつだ。

「五感が良い、ですか?」

「うん。この間こっそり観察していたんだけどね。絵もよく見えていた、小さな言葉も聞き逃さない、匂いには敏感。コーヒーの味わい方もわかっている。触感はまだわからないけどね」

 ふふっ、と笑った暇さんが嬉しそうに言うと、誘うように手を机に乗せた。

 おどけて差し出された右手に、わたしは思わずドキマギしてしまう。

「五感が良い子は第六感、勘のようなものも優れていたりするものさ。都子さんは、それを覚えておいて大切に使うと良い。今後の人生できっと大いに役立つよ」

 そんなものだろうか。言われてみれば匂いや音には敏感だった気はする。

 目が良いのかは、生まれつき持っていたものだしわからない。

 せいぜい視力検査での結果は良かった、というくらいだ。

 そんなことより!

 図らずも、暇さんの方から今後のことについて言及してくれた。

 このチャンスを逃すまいと、わたしは口を開いた。

「あの、その今後の人生についてなんですが」

「お、新しいお悩みかな? ぜひぜひお聞かせ願いたいね」

 悩み相談の気配を察したのか、暇さんの目に好奇心の光が宿る。

 わたしはゴクリとつばを一度飲み込んでから、まっすぐ暇さんの目を見て言った。

「あの、わたしここで、『暇堂』で働くことは出来ないでしょうか!?」

「うちで、働く? ふうむ、けったいな申し出だなぁ。まさか従業員志望がやってくるなんて思いもしなかったよ。いやぁ、開業以来初めて聞いた言葉だね」

 おどける暇さんに、なおもわたしは畳み掛ける。

「先日、お悩みを相談して頂いて思ったんです。わたしも、こんな風に悩める誰かの力になりたいって。人の役に立ちたいんだって」

「君、君。都子さん。少し君は勘違いをしているよ。社会に出て働くということは、多かれ少なかれ社会の役に立ち、誰かの助けになっているんだ。ここはたまたま悩みを引き受ける場所だから、わかりやすいというか、実感しやすいだろう。でもね、効率化され続けている社会活動は、概ねこれはムダなどいうものはないのだよ」

 暇さん、相変わらず話が長い。言う事もわかる、でも――。

「それでもわたし、暇堂さんで働きたいんです! いくつか企業の話も頂きました。でも、その書類や案内を見ても、ここで働くほどの生き甲斐を見つけられそうになかった。挑戦してみたいんです。試用期間とか、仮のバイトとかでも良いので、お願いします!」

 暇さんの人差し指が、閉じられた唇に当てられた。

 なんとも優雅な仕草ではあるが、彼女は彼女なりに悩んでいるようだった。

「しかしねぇ、書類やお話じゃわからないだろう。実際にもう一度、どこかに勤めてみたらどうかなぁ。会社はひとつじゃないんだよ。色々なところで経験を積んで、キャリアを積み上げてスキルを磨いていくのも良いだろう。スペシャリストへのヘッドハンティングなんて、今じゃ結構トレンドになっているじゃないか。だけど、ここじゃあなんの資格も経歴も得られないよ? 履歴書にあえて書かない方がマシなくらいだ」

 暇さんはこの間は話をはぐらかしたり、まったく違う方向にすっ飛ばしたりした。

 しかし、彼女はこうしてまともに話すこともあるのだと感心する。

 相手の心理状態や、置かれた立場でしゃべり方を変えているのかもしれない。

 なんだかこのまま、就職活動の継続を押し切られてしまいそうだったので、こちらもひとつ切り札を出すことにする。

「あの、でも暇堂さんも人手が足りてないんじゃないですか? 先日お伺いしたときも今日も、もうひとつの暇堂さんは閉店中でした。スタッフが増えればそれも解消出来るんじゃないかと思うんですけど……」

 暇さんはわたしの言葉を聞くと、「ふむ」と小さく声をあげた。

「たしかに困っている部分ではあるんだ。暇堂はふたつあれど、僕はひとりしかいないからね。でも、都子さん、君にお悩み相談はまだまだ荷が重いだろう。それに、ここは悩みを万引き受ける暇堂だよ。うちなりの流儀がある」

「ですが、空いてる部屋で待機してご案内とかは出来ると思います。先に片方だけ見て、営業してなくて帰ってしまう方だっているかもしれません。そんな方が出ないようにして、それと、お悩み相談は……はい、仰る通りですが、暇さんを見て勉強させて頂ければと」

 暇さんは困ったような表情を浮かべ「粘るねぇ」と笑った。

 なんといっても、今月は決断の月なのである。

 わたしだって、自分がきちんと納得出来る場所で働きたい。

「確かにねぇ、追い詰められた人は視野がせまくなりがちなんだ。だから先に閉店のほうを見て帰ってしまうって人は多いんじゃないかとは、懸念していたところではある、なかなか良いところをついてくるじゃないか、都子さん」

 暇さんが、ちょっとだけ揺らいだ!

 ここでもう一押し。何か一押し出来る物さえあれば――。

「そ、そうだ! 暇さんはわたしが勘が良いとおっしゃってくださったじゃないですか。その勘で、悩みを抱えた何かに気付けるかもしれませんし! ぜひ、ここで!」

 これで万策は尽きてしまった。これで首を左右に振られたら、どうしようもない。

 張りつめた空気が、一秒一秒を重く感じさせる。

 やがて、暇さんがふうっとため息をついた。

「わかった、良いだろう。都子さん、君を暇堂見習いとして雇おうじゃないか。空き部屋問題もある。君の持つ勘が役立つこともあるかもしれない。こっちにとっても、悪い話ではないからね」

 暇さんの言葉に、思わずわたしは立ち上がった。

「ほ、本当ですか!? ありがとうございますっ、わたし、一生懸命働きます! 勉強して、お役に立てるようになります!」

「わかったわかった、そう固くならないでおくれ。こっちも緊張してしまうじゃないか。今回は、僕の根負けだね。これからよろしく頼むよ、都子さん……いや、見習いの子にさんも変かな? 都子君でいこうか。よろしく、都子君」

 暇さんも立ち上がり、そっと右手を差し出した。

 きれいな手を傷付けないようにツメに注意しながら、わたしはその手を握り返す。

 わたしの手より少し冷たい手に数度、軽く力を込める感触を感じた。

 暇さんとの握手に胸がドキドキするし、ここで働けるという喜びも大きい。

(ああ、これでわたしもここで働くことが出来るんだ! 夢みたい。頑張らなきゃ!)

 暇さんの微笑みを受けながら、わたしは心に誓うのであった。

「じゃあ、早速これからは都子君は空いているほうの部屋に住み込みだね。お給料は出すけれど、光熱費は半分負担してもらうよ。部屋の管理費ということで、家賃はタダにしておくから」

 暇さんが、さらっととんでもないことを言った。

 いくら部屋が分かれているとはいえ……い、いきなり超絶イケメン女子とひとつ屋根の下!?

 そりゃあ、家賃に苦慮してたわたしにはこの条件は渡しに舟だけど……。

 暇さんの言う空き家の管理って、営業時間中だけじゃなかったんだ……。

「は、はい! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします!」

 顔を真っ赤にして、わたしはそう答えた。

 暇堂さんで働きたいと思ったのは事実だけど――。

 まさか暇堂で暇さんと一緒に暮らす事になるなんて、考えもしなかった、

 胸が早鐘を打つ音を鼓膜で聴きながら、わたしの新しい生活は幕をあけた。 

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