第3話 幽霊談議

 誰が呼んだか暇堂。

『悩みは万(よろず)引受けます』

 そんな張り紙と口コミだけで、案外と人はここを訪れる。

 都会のはしっこの吹きだまり。雑居ビルの一室で、今日も静かに時間を過ごす。

 ……さて、今日はどんな人がやって来るのかな?


・・・


 暇堂さんのお世話になることが決まってから数日の間、わたしは忙しく動いた。

 賃貸の契約解除をしなきゃいけなかったし、暇堂さんの空いた部屋は驚くべきことに生活家電も揃い、電子レンジやお風呂もあるらしい。

 無論、電機水道ガスも通っているとのことだ。

 十分に生活出来る環境であり、わたしは身ひとつとはいかないまでも、私物だけを引越ししてくれば良いと言われている。

 なのでわたしの引越しは、持っていきたいものを業者さんに運んでもらうだけで済んだ。

 ただ、残った生活家電の処理が結構めんどうくさかった。

「廃品回収車ってよく回ってくるけど、アレはなんだか怪しいしなぁ」

 残った家電たちを見回して、わたしは頭を抱えた。

 ふと思い立って、沙也加に連絡してみることにする。沙也加はうまく行けば、彼氏さんと新しい生活を送るはずであった。色々と物入りかもしれないのだ。

 スマートフォンを取り出して、沙也加にコールする。

 沙也加も彼氏さんといるとき以外はヒマなのか、すぐに通話に出た。

「もしもし、沙也加。今ちょっと時間良い?」

『うん、ぜんぜんだいじょうぶー。どしたの、都子?』

「あのさ、わたし就職先決まったんだけど……」

 言いかけたわたしの言葉をさえぎって、沙也加が大きな声をあげた。

『ほんとにー!? 良かったじゃん、おめでと! 今度はどんな仕事するの?』

「うーん、ちょっと変わってるけど、接客業かなぁ」

 本当は、ちょっとどころかものすごーく変わっているけど……。

『変わった接客業って……まさか変なお店勤めるワケじゃないよね!? 早まっちゃダメよ、都子! ちょっとくらいならお金も貸すからさ』

「あ、ううん。変わってるって言ってもそういう方向じゃないの。いたって健全な職場だから、安心して」

 暇さんとふたりっきりの職場。

 わたしにとっては健全どころかドキドキだけど。

『あっ、そうなの? 良かったー、都子は美人だから、そこらへんの水商売のスカウトにでも引っ掛かったのかと思ったわよ。都子ってば押しに弱いしさ』

「ううん、だいじょうぶ。自分で足を運んで、自分で決めた場所だから。それでね……」

 ようやく本題に入る。入るのだが、住み込みというとまた沙也加が『騙されてない!?』『監禁とかされるんじゃない!?』と慌てて落ち着かせるのに苦労した。

「そうじゃなくてね! この間話した、暇堂さんで働くの!」

『えええっ!? イケメン女子の家に住み込みっ!? くぅぅ、先を越されたぁ!』

 それだけ心配してくれる友達がいることが、ありがたいとは素直に思う。

 だけど先を越されたは言いすぎだよ沙也加! わたしたちは健全な、その、うん。

「とにかくね、それで家電が余っちゃって。良かったらどうかなーって。ほら、沙也加はもし彼氏さんと住むなら、場合によっては新しい家電製品も必要でしょ」

 どちらかの実家に住むならいらないかもだけど、一応聞いておこうと思ったのだ。

『マジで!? それめっちゃ助かる! 今度二人で住むとこ決めようって話になってたの!』

「じゃあちょうど良かったかな。新品ではないけど、買って一年のものばっかりだから、そんなにガッカリさせちゃうことはないと思うんだ。見た目もシンプルだし」

『助かるー! でも、どうやって受け取ったらいいかなぁ。運ぶのも大変だよね。そもそも置き場所に困っちゃうし』

「わたし、今の部屋は今月いっぱいまでは契約しているの。だから、沙也加たちが今月中に住むところを決めてくれれば業者さんにそこに運んで貰えばいいんじゃないかな?」

 わたしが言うと、沙也加は嬉しそうに『それだー!』と言った。

『やーん、何から何まで助かる―、ほんとありがとう都子。イケメン女子との健全な接客業なんでしょ、いつかちゃんと場所とか教えてね。絶対遊びに行くからさ!』

 実は沙也加の家のご近所なんだけど――。

 言おうか迷って、とりあえずやめておいた。自分はまだ、働き始めてもいないのである。

 きっちりと仕事をこなして、お悩み相談も学べたら、そのときは沙也加を呼べるときも来るだろう。

「じゃあ、二人の部屋が決まったら連絡して。うん、うん、それじゃまたね」

 沙也加との電話を終えて、わたしは時計を見た。

 時刻は午前十時。引っ越しその他の手配があると告げると、暇さんは出勤はそれらが片付いてからで良いと言ってくれた。でも、これでほとんどの目途が立った。

 仕事に行かない理由はない。

 暇さんはピシッとした恰好をしていたし、わたしもきちんとした服装のがいいのかな?

 オフィスカジュアルとも言ってられないかもしれない。とりあえずスーツで出勤して、その後暇さんに聞いてみればよい。

「スーツも堅苦し過ぎる気もするけど、仕方ないよね」

 お悩み相談は、相手にある程度リラックスしてもらったほうが多分効率が良い。

 それならもうちょっとラフに、と思うが専門家がいるのだから、彼女の指示に従った方が無難だ。

 家を出て、駅へ向かう。

 このお決まりの道を毎日歩くのも、もうすぐおしまいである。ちょっと寂しい気もした。

 これといって取り柄のない車道と歩道だけど、人も車も少なくて快適だった。

 いつも寄っていたコンビニでミネラルウォーターを買い、駅に着いた。

 暇堂さんまでは、電車で三駅。

 といっても、これから住み込みになるわたしには、あまり距離は関係ない。

「住み込みでお仕事かー、疲れちゃうかなー。初体験だ。暇さんと、ふたりきり……!」

 それに、暇さんと部屋は別々とはいえ一緒に住むようなものだ。

 アレコレと考えて、緊張してしまう。とりあえず、カレーを作り過ぎようか?

 ってわたしってば何を考えてるんだろう。まずはきちんとお仕事を勉強しなきゃ!

 電車を降りて大通りを外れた路地を歩き、暇堂にやってきた。

 これから新居となるであろう右側の部屋には、相変わらず『ただいま閉店中。 暇堂』とある。ここをきちんと開店できるように、頑張らないと!

 左側の部屋の前に立ちノックをすると、いつも通り「開いているよ」という暇さんの声がした。「失礼します」と告げて部屋に入る。

 暇さんがいつもの服装でゆるりと微笑んで迎えてくれた。

「やぁやぁ、よく来たね都子君。これからよろしくね。まぁ、うちは開店休業状態だからそんなに緊張しないで良いよ。服装も、もう少し楽なもので良い」

 わたしの出勤前の杞憂を察したかのように、暇さんの涼しげな眼が優しい曲線を描く。

「今日から、どうぞよろしくお願いいたします!」

「うん、よろしくね」

 深々と頭を下げたわたしに、暇さんが微笑んで答えた。

「さて、まずはこれから君に管理してもらう部屋を紹介するとしよう。ついておいで」

 暇さんに連れられて、部屋を出て右側の部屋に向かう。

 古めかしいカギを取り出して、暇さんが木戸の施錠を解いた。

 木戸をくぐり玄関で靴を脱ぎ、暇さんに案内されるまま部屋を見る。そこには高級旅館のような光景が広がっていた。

「うわぁ、すっごい!」

「見ての通りこちらは和室でね、僕の気分によって使い分けているんだ」

 青々としたキレイな畳み。応接用に使用する部屋は八畳くらいだろうか。

 高価そうな箪笥にお茶の入れ物が並んでいる。大きな三面鏡や、座布団に漆塗りの座卓。

 障子の向こうは見えないが、水場とかがあるのだろう。洋室のほうでも、暇さんは奥でコーヒーを淹れたりしていた。

 壁には相変わらず不思議な絵がかかっている。

 少し開いた障子の奥には窓辺に並べられたふたつのイスとテーブル。

 まるっきり旅館の一室そのまんまだ。

「純和風って感じですね。こっちの部屋はどうして空き家なんですか? いつでも使えそうな感じなのに」

「ああ、それはね。僕の気分次第なんだ」

「へっ、気分次第と言いますと?」

 問い返したわたしに、暇さんは綺麗な眉をちょっと動かして笑った。

「言葉そのまま、僕の気分次第さ。今日は洋風の部屋で仕事をしようと思えば、洋風の部屋を使う。和室な気分だな、と思ったらこっちを使うワケだ。気が向くかどうかはとても大切だろう?」

 暇さん、確かにそれは大切ですけど――。

 わざわざそんな気持ちひとつのために部屋をふたつ使って、そのうえ家具一式まで揃えちゃうなんて……もしかして暇さん、お金持ちだったりする?

「本当はね、東欧風の部屋と中華風の部屋も作りたかったんだ。けれどケチなビルのオーナーが、いい加減にしろと言ってね。仕方なくふたつで妥協したワケだ」

 やれやれ、というように暇さんが首を左右に振る。

 情緒に溢れた四つの部屋……。この人にとって、仕事場は趣味の延長らしい。

「あの、でも交互に使うってことは、暇さんがこちらを使うこともあるんですよね?」

「もちろん。だから突然の来客にも対応できるように、部屋は常にきれいにしておいてくれたまえ。僕が和室で寝たいときは、悪いけれど都子君は向こうの洋室で寝てもらうこともあるだろう。家賃を免除するぶん、それくらいはよろしくね」

 さらりととんでもないことを言う。

 つまりわたしと暇さんは間接的にとはいえ、ベッドなんかも共有するワケ?

 自分の枕を持ってきて正解だったかも。でも暇さんの枕、きっとあのやわらかな香りが……ってそんなこと考えてる場合ではない。

「わ、わかりました。すごく特殊なんですね。キレイに掃除して、キレイに使います」

 郷に入っては郷に従えだ。まずはここのやり方を受け入れていくしかない。

「では、一応今も営業中ではあるし、僕は向こうに戻るよ。都子君は荷物から必要なものを用意してから来るといい。大抵はヒマしているから、急ぐ必要はないよ」

「わかりました。部屋の間取りを確認してから、筆記用具など持って伺います」

 暇さんがひらりと軽やかに手を振って部屋を出て行く。

「まるで、温泉旅館に来たみたい……」

 改めて部屋を見まわして、わたしはつぶやいた。

 一息ついてしまいそうな居心地の良い空間、だけどわたしは今だって実質勤務中だ。

 障子の奥の右側に洗面所。左側にトイレと浴室とキッチンがある。

 単純な間取りを頭に入れたら、ペンとメモ帳を取り出した。

「さすがに戻って着替えるのはなぁ。服装については明日から考えよう。それじゃ、暇さんのところに行かなくちゃ」

 玄関を出て、渡されていたカギで施錠をすませ階段を挟んですぐとなりの部屋へ行く。

 ノックをすると相変わらず「あいてるよ」と返事が返ってきたので、扉を開いた。

「今日からここで仕事と勉強をさせていただきます、三島都子です。暇さん、改めて宜しくお願い致します」

「うん、よろしくね。あんまり固くならないで良いからね。こっちがカチカチじゃあ、相談に来た人にも緊張が伝わって仕事に差し障りが出てしまう。自然体が一番さ」

「はい!」

 それからわたしは、暇さんの普段の過ごし方をよく観察した。

 本棚の前で本を読む姿は背筋もまっすぐで、まるで女優の撮影シーンのようだ。

 ふと「喉が渇いたね」というとわたしがやりますという言葉をやんわり断り、自分で紅茶を入れた。すぐそばで見ていたわたしの分もだ。

「暇さん、お客さんってどれほどの頻度で来るんですか?」

「そうだねぇ、一週間来ないときもあれば、一日何回も来るときもあるよ。なにせ貼り紙と口コミでしか営業していない場所だからね。都子君ものんびりすると良い」

 入社一日目でくつろいでしまって良いのだろうか……。

 とはいえここはお悩み相談、悩みを引き受ける場所だ。悩みを持った相手がいないと成り立たないワケで、それまでは出来ることもあまりない。

 貼り紙と口コミを強調するということは、それ以外に宣伝する気もないのだろう。

 そのうえ暇さんはマイペースな分、自分のことは自分でやるタイプのようだ。

 今はテーブルでのんびりと紅茶をすすっていた。

 さてどうしたものか、勉強になる本でもないかなと本棚を見つめていると、階段を昇る騒がしい音が聞こえた。

 足音はどんどん近づいてきて、部屋の前で止まる。そして数度、扉がノックされた。

 これってお客さん――!?

 わたしの胸に緊張が走ったとき、女の子の声が聞こえた。

「姉さん、いる!?」

 活発そうな女の子の声が、洋間の空間に響き渡る。

 姉さん? 暇さんのことだろうか。

 ということは、扉の向こうにいるのは暇さんの妹さん? うわぁ、なんか緊張する!

「なんだ、響子か。開いているよ」

 暇さんの声がした瞬間に女の子――響子さん?――が部屋に飛び込んで来た。

 長めのウルフカットにした髪はどこか男の子っぽい印象を与えるが、暇さんに良く似た切れ長で大きな瞳と、形の良い眉が愛らしい。

 しゅっとした鼻筋に小ぶりな唇で、さぞモテるだろうなと思わせる可愛らしい子だ。

「姉さん、今ヒマ!? ……って聞くまでもなくヒマそうね。あれ、でもそちらの方は?」

 響子さんが、わたしの方を向いた。

 お姉さんである暇さんより、ちょっときつめの意思が強そうな瞳だ。

「はじめまして。本日から暇堂さんのお世話になることになりました。見習いの三島都子です。宜しくお願い致します」

「えーっ、姉さん助手さん雇ったの!? 普段からこんなにヒマなのに助手さんってどういうつもり? しかもこんなキレイなひとを……あー、さては……」

 響子さんがじっと暇さんをにらみつけるが、暇さんはどこ吹く風で受け流す。

「都子君はもともと会社が倒産した悩み相談でここに来たんだけどねぇ。ご縁があって、うちで働いてもらうことにしたよ。なにせうちは部屋がふたつあるからね」

「その部屋をあたしには貸してくれなかったくせにー!」

「響子に部屋を貸したら、高級住宅も一週間で荒家だ。貸せるワケないだろう」

 うんざりした様子で暇さんが言う。

 響子さんはそれでもまだ不満そうだ。

「都子さん! もし姉さんに何か変なことされたらすぐ逃げるんですよっ!」

「あ、いえいえ本当に親切にして頂いてもらっていて」

「っていうか都子さんあたしより年上だよね、見た感じ! あたし二十一歳なんだけど」

「あ、年上ですね。わたしは二十三歳です」

「じゃあ敬語とかいらないから。あと呼び捨てオッケーだから! あ、メッセージアプリ交換しとこ! 姉さんに何かされたらすぐに連絡して! はいっ!」

 勢いよくスマートフォンを差し出された。

 うーん、お姉さんが平野に気ままに吹くそよ風なら、妹さんはさながらビルの間を吹き抜ける突風だ。わたしは圧倒されながら、響子ちゃんと連絡先を交換した。

「よーっし、三島都子さんっと。まぁこれだけしっかりした美人さんがいれば、ここも少しはお客さん増えるかもねー、良かったねー、姉さん!」

 わたしたちのやりとりを黙って見ていた暇さんが、ふうっとため息を吐いた。

「相も変わらず響子は騒々しい。そもそもだ、君は何か用事があってここを訪れたんじゃあないのか? ぎゃーぎゃー喚きたてる前に目的を言いたまえ。悩みならば親族割引で聞いてやらなくもない」

「あー! そうなのよ、見て欲しいものがあってね。でもさ、久しぶりに来たらこんなに可愛い新人さんがいたら、妹としてはびっくりするワケでそれは仕方がないと思うのよね」

「響子、君にきちんと耳はついているか? 鼓膜は正常か? 僕はなんの用かと聞いているのだけれどね」

 騒がしい。この姉妹はなんともおしゃべりだ。

 性質はまったく違うのに、顔が良いのと口がよく動くところは一緒らしい。

「あー、もう! どうしてそういう嫌味な言い方しか出来ないワケ?」

「それはもう良いから、何の用で来たのか言いたまえ、響子」

「その前に喉かわいた! アイスコーヒー!」

「あ、響子ちゃんごめんね。今持って来るから」

 奥に向かおうとしたわたしを、暇さんが制した。

「響子はお客さんじゃない、相手にしないでいいよ都子君」

「でも……」

「はいはい、じゃあ自分で取りますよーだ!」

 響子さんは奥に入り、冷蔵庫からコーヒーを取り出した。

 どうやらお姉さんの職場は勝手知ったる場所のようだ。

「響子、そろそろいい加減に本題に入れ」

「はいはい。これよこれ、見て!」

 そう言うと、響子ちゃんはテーブルに一枚の写真を置いた。

 いまどきデジタルではなくアナログの写真なんてめずらしい。そんなことを思いながら、わたしはテーブルに近づいて写真を見た。

 そこには、廃墟のような場所で白い衣装を身にまとった響子ちゃんがカメラに向けてポーズを取っていた。

「わぁ、響子ちゃん可愛い! ロケーションも凝ってるし!」

「えへへー、ありがとう都子さん。あたしもお気に入りなんだけどね」

「そのお気に入りの一枚をわざわざ姉に見せにくるとは、響子の姉思いには涙が出るね」

 暇さんが茶化すと、響子ちゃんはほほを膨らませた。

「そういうのじゃないって! これがワケ有りなの!」

「この写真が、ワケ有り?」

「よし、とりあえず落ち着け響子。話は聞いてやるから、順を追って話すんだ」

 暇さんが、となりのイスを引いて言った。響子ちゃんも「はぁい」と言って座る。

 わたしも着席するように言われたので、三人で座って響子ちゃんの写真を見た。

「えーっと、じゃあ最初から話すね。あたしってば可愛いからさ、写真部の人たちに写真のモデルになってくれって頼まれちゃったのよ」

「君が頼まれるとは、響子の大学は深刻な人材不足なのだな」

「暇さん、茶化しちゃダメですよ」

 わたしがたしなめたので、ムッとした顔をしつつも響子ちゃんが続ける。

「でね。まぁ今の時代じゃん? だいたいの人はデジタルカメラなワケ。でもこだわりっていうのかなー。フィルムの質感とその写りが良いって人がいてさ。その人はとりわけあたしの写真をたくさん撮ってくれたんだけど……」

 そう言って、響子ちゃんが写真の中の自分の左足の先端を指さした。

「いわくつきの廃墟なんかで撮ったもんだから、これ、見てよ」

 響子ちゃんに言われて、わたしはまじまじと写真を見る。

 パッと見は、響子ちゃんの足先、黒いブーツと廃墟のコンクリートの灰色、それにほこりや汚れなどが混じっているだけのように見えるけど。

「えーっと、もう少しわかりやすく言って欲しいかも」

「都子さん、この辺。こことここをよーく見て!」

 響子ちゃんが円を描くように、写真の足先のまわりに指をすべらせた。

 じぃっと見てみると、それはおどろおどろしい女の人の顔のようにも見える。

「これ、顔? 響子ちゃん、これ心霊写真ってやつ?」

「そうみたいなの。写真撮った人もビビっちゃってさ。謝りながら渡してきたんだけど、あたしが受け取ってもどうしようかなーって思ってここに来てみたワケ」

 今まで黙って聞いていた暇さんが、呆れたように息を吐いて言った。

「響子の写真をどうしようもなにもないだろう。君の好きにしたら良い」

「ちょっと姉さん冷たくない!? 気味が悪いじゃない、心霊写真なんてさ!」

「冗談もほどほどにしたまえ響子。これはただの写真の映りの不具合だろう。君のごつすぎる悪趣味なブーツを映し出すのを写真が必死に止めてくれたのかもしれないな」

 端正な顔に薄ら笑いを浮かべる暇さんに、響子ちゃんは食い下がる。

「嫌味とかはもういいの! 姉さんはさ、この写真どう思う? だってこんなハッキリ映る心霊写真なんて、怖いでしょ?」

 響子ちゃんの言葉に、暇さんは写真に興味ないといったように目を閉じた。

「どう思うもなにもないさ。心霊や幽霊など僕には存在しない」

「それって、暇さんは幽霊とか心霊現象の類を信じていないってことですか?」

「信じる、信じないというよりも、存在自体しないんだよ。少なくとも、僕にとってはね」

 暇さんにとっては幽霊は存在しない――どういう意味だろう?

「つまり姉さんにとっては、やっぱりこの写真はただの偶然とか見間違いってこと?」

「そうさ。存在しないものが、写真に写るわけないだろう?」

 当たり前だというように頷いて、暇さんが言った。

「でも、暇さん。もしも幽霊とかオバケが実際に存在したとしたらどうなのでしょう?」

「幽霊はいるよ」

「えっ?」

 聞き間違いかと思って、自分の耳を疑ってしまった。

 暇さんは幽霊は存在しないと言っていたのに、さらりと幽霊はいると言った。

 どういうことか、まったくわからない。

「姉さん、意味わかんないんだけど。いないとかいるとか、どっちなの?」

「だから、幽霊はいるんだよ。幽霊の存在を信じる人にとってはね」

「それがわからないって言うの! いるって言ったりいないって言ったり、ぜんぜんワケわかんない!」

 身を乗り出す響子ちゃんに対して、暇さんはすっかり冷めてしまった紅茶をすする。

「はぁ……。こんなことも説明しなくてはいけないのかい? 我が妹ながら情けない。そもそも幽霊というものはね、実体のない存在なんだ。それはわかるか?」

「ええ。壁をすり抜けたり、死んだ人が化けて出て足がなかったりするよね」

 響子ちゃんの言葉に、暇さんはかすかに首を振った。

「その言い方は正確ではない。そうじゃないか、と一部の人間が言っているに過ぎない」

「えっと、暇さんの言い分では、一部の人は信じているってことですよね?」

「じゃあさ姉さん、その信じている一部の人にとっては、幽霊は存在することにならない?」

 響子ちゃんが写真を突っつきながら言う。

 暇さんは写真を一瞥して、「そうだね」と言った。

「響子の言う通りだ。幽霊の存在を信じる人間にとって、幽霊はいるんだ。存在するし、どこにでも現れるだろうね。ただね、大切なのはそれと同じように幽霊を信じない人間にとって幽霊はどこにも存在しない、ということさ」

「姉さんの言い分を聞くと、幽霊の存在自体が人それぞれってこと?」

 響子ちゃんがいまいち納得がいかないというように、写真に触れる。

 わたしも写真に視線を落とす。

 一度心霊写真に見えてしまうと、やはりそれは顔が写っているようにしか見えない。

「そうさ。存在すると思っている人には存在するし、存在しないと思っている人には存在しないもの、それが幽霊さ」

「姉さんの考え方もわからないワケじゃないけど。でもさ、姉さん。例えば何かの事件が起きたとするでしょ? 事件の動機や良い悪いは人それぞれで変わるけど、事件が起きたという事実はひとつで、これは変わらないじゃない? 幽霊が存在した、というのはそれと同じようには語れないの?」

 姉が姉なら妹さんも雄弁である。

 確かに事件には原因と結果があり、どんなに歪でも必ずひとつの線で結ばれる。

「そうはならない、語ることも出来ない」

「どうして、そんな風に言い切れちゃうの?」

「事件は物理的な事象だ。例えば殺人事件があったとする。死因は刃物による刺傷、それによる失血死であった。これはもう検死をきちんとしているという前提であるが、覆せない事実だ。これは誰がどう見たって事件であり、どう見たって死体である」

「それなら、暇さん。ホラー映画の見過ぎとか言われちゃうかもですが、例えば幽霊の呪いにより心臓が止まり死亡、というものだったらどうなるんですか?」

 わたしの言葉に、暇さんは片方の手のひらを広げ、もう片方の指で指し示した。

 まるで誰かが何かを刺したようなジェスチャーだ。

「死ぬことには理由がある。事象があるんだ。僕のいった殺人事件ならば刺されて失血、これだね。大量に失血してしまい、人間として生命活動が出来なくなってしまうワケさ。しかし都子君が言う事件では、心臓が止まったという現実、事象はあるがその原因が幽霊の仕業という根拠も証明もない」

「じゃあ姉さん、その人を実際に呪いを行っていたという、目撃証言があったとしたら?」

「証言があったとしてもさ。幽霊という非物理的な存在を肯定するにたる証拠はないし、幽霊が人の心臓を止められるという証明もない。疑わしきは罰せず。まあ、いないものをどうやっても罰せるはずがないけれどね」

 暇さんは手をひらりと動かして、それから紅茶を飲み干した。

 雄弁になると喉がかわくらしく「もう一杯淹れるかな」と小声で言う。

「でも姉さん、もしも本当に幽霊が存在しないのだとしたら、どうして幽霊とか霊とかオバケという存在はここまで有名になって、今や誰でも知っているような存在として世界に根付いたの?」

「だから、言っただろう。幽霊はいるんだよ。信じる人にとっては」

 そう言って、暇さんは紅茶のおかわりを取りに席を立った。

 響子ちゃんは、わたしと目が合うとちょっと肩をすくめてみせる。

 再び暇さんがおかわりを持って席につくと、響子ちゃんが口を開く。

「話の続き。つまり、幽霊を信じる人が世界に多いということ? 信じる人が多いからこれだけ色々な人の口の端にのぼったり、夏はテレビで心霊特集したりするの?」

「僕自身が幽霊を信じていないので、意見をいうのは難しい。ゆえに、非情に雑な例え話でしか語れないけれど、それでもいいかな?」

 暇さんの問いに、わたしたちはうなずいた。

「うん。話してよ姉さん」

「よろしくお願いします、暇さん」

「しからば……。本当に雑な例えで申し訳ない上に不本意だけれどね。大きく分けて人には理論派と感覚派の人間がいると僕は考えているんだ」

 この間のように、話題が飛躍する。

 暇さんはここからどんなお話を紡ぎ出すのだろう?

「理論派と感覚派、ですか?」

「そうさ。理論派は理論、理屈を意識・無意識問わず思考において優先するタイプだ。この優先とは、無意識のうちに行われていると思って欲しい。それに対して感覚派は逆に感覚を優先する。これも、無意識のレベルでの話だ」

 理論派と感覚派。

 なんとなくはイメージ出来るけど、それがどう幽霊と結びつくのだろう。

「その二つに分けると、どういう風になるんですか?」

「響子、君は花屋をどう思う?」

 暇さんの話が再び飛んだ。

 まるで最初に悩みを聞いてもらったときのようだ。

「え、花屋さん? お花が綺麗でいいにおいがして、ステキじゃない?」

「響子ならそう言うと思ったよ。それが感覚派の思考なんだ。彩りのきれいな花々を視覚で感じ、甘い匂いを嗅覚で感じ、花びらの柔らかさに触れそういう風に受け取るワケだ」

「じゃあ暇さん、理論派の人間にはどう映るのですか?」

 暇さんは、自分の目の前に人差し指を立てた。

「あくまで極端な言い方であることは前置きしておく。理論派にとって花は植物の性器だ。それはわかるか?」

「ええ。花弁が植物においてそういう役割を持っているのは勿論わかるけど?」

「つまり、花屋とは理論派の思考から照らし合わせると、様々な植物の性器が切り取られて並べられている、恐ろしい場所になるわけさ。その中から人が嬉々として自分好みの性器を選び包んで持ち帰り、時に部屋に飾り、時に人に贈る。なかなかシュールな光景だね」

 お花ってキレイなものってイメージしかなかったけど――。

 そう言われちゃうと、なんか印象変わってきちゃうかも。

「でも姉さん、そんな言い方をしちゃ身も蓋もないわ。花を愛でるなんて、大昔からあった習慣じゃない」

「そうだな。けれど昔は花の役割がどこまで解明されていたか、怪しいものさ」

 暇さんが口の端をあげると、響子ちゃんが口をへの字に曲げた。

「とにかく、極端というのも含めて、ふたつの考え方についてはわかったわ」

「ならば次の段階に進もう。幽霊についても、こうした捉え方の違いが出るんだ。例えば真夜中に白いふわふわしたものを見たとしよう。感覚派で、幽霊がいると思っている人間にはそれは幽霊に映るだろう。しかし、理論派で幽霊を信じない人にはカーテンや布、光の屈折、もしくは単なる見間違いになるのさ」

 わたしには、一体どっちに見えるだろう。

 きっと気味が悪いなと思ってしまうに違いない。

「うーん、意味はわかるのよ姉さん。だけどさ、そんな簡単に幽霊のいるいないをふたつに分けられるの?」

「それは無理だ。ただ、わかりやすく話すにはこの例えが一番なのさ。勿論人間は多面的な思考をもっているから、いないと信じていても、もしかしたらいるかも……なんて考えをもっている人などもいるに違いない」

「じゃあ、そういう人たちにとって幽霊は、どういう存在になるの? いる、いないをふらつく思考が出来上がっちゃうワケでしょ、中途半端でなんだか変な気がするわ」

 暇さんが「わかってきたじゃないか」と言いながら新しく淹れた紅茶を飲む。

「そもそも、幽霊というものがまず異質のものだからね。ふらついても仕方がないんだ。ふむ、そうだな。少し話は変わるが、幽霊つながりで思い出した。響子、君は怪談の由来を知っているか?」

「怪談の由来? ええと、今ある日本の怪談という意味では、古くは日本や中国の古い文献や近代史までの多くの書物や、噺家(はなしか)さんたちによって作られてきたのよね?」

 響子ちゃんも暇さんに負けていない。

 なんだかすごい姉妹だ。今までどんな日常会話をしてきたんだろう。

 お父さんとお母さんもよくしゃべるのだろうか?

 だとしたら議論の絶えない食卓になりそうである。

「そうだね。創作であったり、過去のそういった感覚派の人たちの目撃談であったりしたものが脈々と受け継がれ、ときに姿を変えて出来ているわけだ。一番はじめを定義するのは難しいが、間違いなく古代からあるものだ」

「そうね。それがいつの間にか大衆に語り継がれるようになったり、はやりだして様々な現代風のアレンジや創作がいっぱい出来たのよね。口裂け女や人面犬や八尺様、都市伝説なんかも多分いくつかはそうだし」

「その通り。ではなぜ大衆に語り継がれる怪談は娯楽になったんだ? 本来恐ろしいものを見たという怪奇現象は、忌むべき存在だろう。しかし今や怪談とはひとつのジャンルであり、娯楽だ」

 言われてみれば、本や映画のジャンルにも必ずホラーはある。

 ある、というかむしろ大人気なジャンルのひとつと言っていいだろう。

「娯楽? 姉さん、怪談は娯楽になるの?」

「僕はカテゴライズするのは好きではないけれどね。分けるのであれば娯楽の一種だろう」

「確かに、テレビ番組になったり、落語の怪談談義であったり、冊子として出回ったり……。その流通の仕方は娯楽そのものね」

「そう、怪談はいうなれば娯楽なんだ。これは一説には怖い話を聞いて震える事と背筋が寒くなり、夏の暑さを気持ち的に和らげることが目的でそうなりはじめたものなんだ」

 怪談は実際夏の風物詩である。

 愛好する人は季節を問わず好きなのだろうけれど、怖い話と言えば夏のイメージはある。

 でも響子ちゃんはいまいち納得がいっていない様子だ。

「夏の暑さと震え? どういうこと? さっぱりわからないわ。あれはこじつけでしょ」

「響子、吊り橋実験は知っているな?」

「また話題が飛ぶのね……。勿論知っているわ。カナダの心理学者、ダットンとアロンによって一九七四年に学会に発表された『生理・認知説の吊り橋実験』によって実証されたとする学説で『恋の吊り橋理論』ともいわれているものよね」

 すごい、響子ちゃん暇さんにまったく負けていない!

 最初はぜんぜん似ていないと思ったけれど、このふたりは案外似てるかも!

「あの時の実験では、吊り橋での恐怖からくる鼓動の高鳴りと、異性への鼓動の高鳴りを人間が錯覚した。もしそれを怪談でも同じように利用していたら?」

「わかった! 怖さからくる震えを、寒さからくる震えに知らず知らず結びつけていたという可能性があるのね」

「そういうことだ」

 ようやく納得した表情を見せた響子ちゃんの顔が、すぐに曇った。

「姉さんの言いたいことはよくわかったわ。でも、なんで急に幽霊の話から怪談の話に話題が飛んだの? 似て非なるものじゃない?」

「ああ、それなんだけれどね」

 短く言うと、暇さんは得意げにニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。

「今の話しは、嘘さ」

「……え? 嘘?」

「ああ、その通り。全部僕のでまかせ。真っ赤なウソさ」

 あっけにとられた響子ちゃんが、声を震わせて聞く。

「嘘って……どの話までが?」

「怪談の震えと、寒さの震えの関連付けの話しさ」

「でも、実際に怖い話は夏によく行われるわよ?」

「そうだね。実際にその関連付けは存在するのかもしれないけれど、少なくとも幽霊の存在を信じていない僕はしらない。皆がそうやっているというだけで、由来も伝統もなぁんにも知らない。僕はただ嘘をついた」

 そんな……あんないかにもな理屈を並べていたのに。

 あれが全部思い付きの適当な話だったって、それはそれですごい。

「えー! なによそれ! ひどいわ姉さん、なんでこんなことをしたわけ?」

「もちろん、響子を騙すだめさ」

「ひっどい。訳わからない!」

 むくれる響子ちゃんを落ち着かせるように、暇さんがパチンと手を叩いた。

「さて、ここで幽霊の話に戻ろうか。幽霊も実は今の僕の嘘と同じなんだ」

 何を言いだすのだろう、この人は……。

 わたしはもう頭がこんがらがってしまっている。

「暇さん、どういうことですか?」

 混乱するわたしの頭を手でそっと撫で、暇さんが笑った。

 ふ、不意打ちだよこんなのー!

「さて、今僕は自信満々に嘘をついたわけだが、幽霊の伝聞はこれによく似ているんだよ。一人の感覚派の人間が幽霊を見たとする。その人間は幽霊を信じているワケだし、嘘とは厳密には違うけれど、実体のないものをさも存在するようにありありと話すわけだ」

「実体のない……。まぁ、たしかに幽霊だからそうなるワケね」

「そうさ。そして、その人は勘違いかもしれないが実際に見たわけだし、自信も持って多くの人に語れるわけさ。幽霊を見た! とね。そこで語られた人の中に理論派の人がいたとしても、非常に具体的に細々しく話されれば未知の存在を察知する。認めるかどうかは別だが、その幽霊という存在を知りはする。こうしてさきほど言った、『もしかしたらいるかもしれない』というあいまいな立ち位置の人々が出来上がる訳だ」

 見た人は本当に見たのだから、見たと言える。

 しかし実体がないのだから、いると言っていいかわからない。

 幽霊ひとつ取ってみても、人の認識というのはとてもあやふやな中で出来上がっているんだ。

「なるほどです。でも暇さん、理論派の人々が幽霊は存在する、と思ったとしたらそれを証明するために、何か行動に移したりはしないのですか?」

「そういうケースもある。むしろ枚挙にいとまもないほどに沢山あるんだ。ただ、それはピンキリで、ちゃちなテレビ番組なんかも含まれてしまう。それにね、万が一幽霊が科学やそのほかの学問で検証され、確証されてしまったらもはや幽霊ではなくなるんだ」

 検証されると、幽霊ではなくなる?

 また話が難しい方向に進んで行きそうだ。

「姉さん、幽霊ではなくなるって?」

「そもそも日本という国においては、幽霊とは死んだ者が成仏出来ずに現れたもの、死者の霊のことを指す。日本で文献に残っている時代ではっきりしているのは室町時代にはすでに歌謡、歌舞伎などにその存在が取り入れられているんだ。しかしここで問題になるのは成仏ということさ」

 ここで新たな単語、成仏登場!

 わたしはしばらく黙って聞いていることにした。

「たしか成仏って仏教用語よね。でも幽霊はゴーストなどと名を変えて諸外国でもその存在は知られているわよ姉さん?」

「その通り。しかし日本の霊とは少し扱いが違う。英米のゴーストはきちんと足があるのが主体なんだ。火葬じゃなくて、土葬だからそういうイメージになるのだろうね。姿は腐ってても生前のまま。日本人の感覚でいくと、腐敗しかけたゾンビのようなものなんだ」

「ふうん、なるほどね。でも、幽霊という言葉も概念も国を超えて存在しているということは、やっぱり幽霊は真実として『存在している』ということにならない?」

「いるといってもいいのかもしれないね。けれど本当に扱いが難しいんだよ。海外ではまた意味が違ってくるけれど、先ほども言ったように日本では幽霊という言葉は元々は仏教の概念の中の存在なんだ。死んだ者が成仏できずに姿を現したものを指す言葉だからね。まぁ、いまや公用語として通じるとはいえ、本来その宗教を超えては顕現出来ない存在のはずなんだよ」

 成仏って、もとをたどると仏教用語だったんだ――。

 わたしなんか仏教徒でもないのに、普通に使っちゃってたなぁ。

「つまり仏教を信仰して、初めて意味……というより由緒正しい存在になると言う事?」

「そう言う事さ。まあ、これはハロウィンやクリスマスのように、もはや本来の意味から一人歩きしている言葉の概念のひとつとみていい。そのうえで存在するしないを語るなら、やはり科学などの論拠が必要になってくる」

「じゃあ姉さん、さっき言った、検証されると幽霊でなくなるというのは?」

 そうだ。科学は日々発達している。

 いつの日か、幽霊だってその成分とか解明されるかもしれない。

「人間は脳で考え、心臓から血液を送りさまざまな栄養などを使用して体を動かす。身体の構造はすでに概ね把握されており、医学的な見地ではそこに魂や霊という考えは入りにくいんだ」

「なるほど、わかったわ! 科学で幽霊が実証されるということは、幽霊というあいまいな存在が、科学で定義できてしまう何か違うものになってしまうと言う事ね」

「その通り。幽霊の成分表示、なんて悪い冗談もいいところだろう? 風月暇の霊が実証されたとき、それは僕の死にぞこない幽霊がタンパク質やら水素やらと成分表記出来てしまうわけだ。理論派が感覚派の証明をする矛盾が発生するわけだね」

 理論派と感覚派は、分かり合えないものなのだろうか。

 お花が好きな理論派さんだって、いると思うけど――。

「だれど、暇さん。人間は完全に理論派か感覚派によりきった人間ばかりなのでしょうか? 理論的思考の感覚派だってきっといるんじゃないでしょうか?」

「きっと、じゃなくて絶対に居るといえるんじゃないかな。ただ、証明するには理論派に偏るしか選択肢がないんだ。いわば、一次ソースを作り出すには研究課程と理屈と証明がどうしても必要だからね」

 響子ちゃんが自分の頭をかいた。

 クセまでお姉さんそっくり!

「なんだかわかるような、わからないような……。結局は理論派には幽霊はいない、感覚派には幽霊はいるという形でしか語れないわけね」

「すっきりとした答えを人は欲しがり過ぎるけれどね、そういうものなんだと受け入れる感覚も時には大切だ。幽霊がいるいないを論じるよりも、それを取り巻く多彩で豊かな文化を楽しむことが大切なんだ」

 幽霊文化を楽しむことが大事。

 理路整然としている暇さんにしては、優しい結論付けだなと思った。

「幽霊そのものよりも、それを取り巻く文化を大切に、かぁ。この心霊写真もそのひとつになるっていうワケね」

「そういうことさ。まぁ、これは僕からしたら、ただの感光した写真なんだけれどね」

「それはもういいわ。ふぅ、幽霊の文化かぁ。案外面白いのかもね」

 響子ちゃんが笑うと、暇さんは大きく頷いた。

「当たり前だ、面白いに決まっているさ。少なくとも千年近く娯楽や歌謡、歌舞に使われてきた文化だ。そして今なお様々な形に変わり、まったく色褪せずに人々の関心を集めているのだからね。非常に魅力的だ」

「姉さんてば、まるで幽霊の存在を認めているような言い方ね」

「言っただろう。幽霊とは、そういうものなんだと受け入れるんだよ。そうして楽しむのが実は一番味わい深いと僕は思っているよ。響子もそういう考えをもつといい」

 響子ちゃんが、苦笑した立ち上がった。

 テーブルに置かれた写真に手を伸ばす。

「はいはい。それじゃ、そろそろ帰るわ。ご高説どうも。姉さんもたまには実家に顔を出しなさいよ?」

「一万円」

 響子ちゃんが写真に伸ばしかけた手を制するように、写真を取りあげた暇さんがぶっきらぼうに言った。

「へ……? 姉さん、何言ってるの?」

「一万円。今日の相談料だ」

 しばし呆然としていた響子ちゃんが、顔を赤くして言った。

「ちょっと姉さん! 何を言ってるのよ! まさかあの屁理屈で妹からお金取るつもり!?」

「ここは悩みを万引き受ける、暇堂だよ? 妹だからってここで悩みを引き受けたんならただで帰すワケにはいかないね」

「え、でもわたしの相談料は無料だったのに……」

 いけない、ついつい言葉に出してしまった。

 それを聴いた響子さんはみるみる怒り出した。

「信じられない……。都子さんからは一円もとらなかったくせに! 姉さんのバカ! もう二度と相談なんてしないんだから! じゃあね!!」

 そう言うと、響子さんは振り返りもせず暇堂を出て行ってしまった。

 残された暇堂さんが苦笑交じりに言った。

「おや、行ってしまった。うまく誘導して事務所の倉庫の掃除をさせるつもりが。ふっ、千円くらいにしておけば良かったかな? でもまぁ、写真もうまいことこっちの手に入ったし、これはこれでいいかな。けれど、この写真……良くないねぇ。どうしたものか」

「その写真、良くないんですか? 暇さんにとっては、偶然そう見えるだけのものなんじゃないんですか?」

「僕は信じなくても、響子は信じていた。然るべき処置が必要だね。都子君、和室のほうに移動しようか」

 暇さんと連れ立って和室の部屋まで移動する。暇さんは「都子君は奥でちょっと待ってて」と私に指示をした。衣擦れの音が聞こえるから、着替えているのだろう。

 すぐそばで暇さんが着替えている――。想像しただけで鼓動が早くなってしまう。

 とはいえわたしはすることもないので、お湯を沸かしてお茶の準備を整えた。

「都子君、おまたせ。どうぞ」

「失礼します。……わぁ、暇さん、素敵です……!」

 深い蒼に足元に小ぶりな花柄が入った着物。

 髪型も洋服の時のように流す感じではなく、左右に綺麗にわけている。

 後ろ髪は立派そうな簪で結んであった。

 洋服は洋服でカッコイイけど、和服もまた一段とステキだ――。

 不意に暇さんの手がわたしのあごに触れ、くいと顔を持ち上げた。

 暇さんの綺麗な顔が、目の前に……。

「お待たせ、どうかな。着物の僕は変じゃない?」

「ぜぜぜ、ぜんぜん変じゃないです! むしろ似合ってて最高です」

「ふふ、ありがとう。それじゃあお待たせ、さっそく始めようか」

 指を離した暇さんが惚けていたわたしにそう言うと、手早く硯を擦り黒い黒い墨汁を作っていった。

 いくつかの筆を並べる。そして、わたしでも読める漢字から、まったくわからない梵字までをすばやく何枚もの紙に書き記していく。やっぱり凄い達筆だ。

「これで良し」

「あの、これどうするんですか?」

「まぁ、色々な教えの厄を祓う呪文とか文言とか、そう言うものさ。不出来な妹の後始末をしなきゃいけないからね」

 そう言って、暇さんは写真をいくつもの紙で包み、最後に赤い紐で閉じた。

「これで、紙が黒く染まったり朽ちたりしない限りはだいじょうぶだろう」

「暇さんは、色々なことを知っているんですね。それに、妹さん思い!」

「よしてくれよ。ついでだよ、あくまでついでさ」

 そう言って、和室の引き出しのひとつに封印した写真をしまい手を合わせた。

 わたしも並んで、響子さんに怖いことが起きないように願って祈る。

「さて、お茶を淹れてくれたんだったね。ティーブレイクと行こう。なんて、この部屋で横文字を使うのも妙な感じだけどね。ここは一服、お茶にしようか、都子君」

「はい、今すぐ!」

 暇さんと響子さん。

 性格はまったく真逆なのに博識で、なんだかんだ姉妹思い。

 それがわたしの心にはとても暖かかった。こんなお悩み相談もあるのだ。

 わたしは暇さんたちと、この仕事がもっともっと好きになったのであった。 

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