３０話 壁を超えても悔いは残る
足元の泥による動きの鈍さを感じさせず、獣となったプッパは大剣を肩に担ぎ、デイテンへと駆ける。
意思の疎通はできるのだろうか？ などと考えていると、魔法の矢が飛んできて、固まった泥の拘束を砕いた。
「それで動けるでしょ、援護！」
エスティの技術の高さに驚きながら立ち上がり、背に着けていたラウンドシールドを取り出して装備する。
プッパとデイテンがやり合う直前で、スキルを口にした。
「《タウント》」
デイテンは攻撃の矛先を、強制的にこちらへと変更させられる。明らかに苛立たし気に目を歪めていたが、そこへプッパの大剣が振り下ろされた。
強力な一撃は、たったの一発でデイテンの纏っていた泥の鎧を破壊する。
これはデイテンとしても想定外だったのだろう。初めて苦悶の叫びを上げた。
ラウンドシールドを構え、攻撃に備えたまま目を見開く。プッパの苛烈な攻撃で、デイテンは防御一辺倒となっていた。
「獣人だったのね、プッパは」
「獣人は、一定時間戦闘力を大幅に上げる獣化が使えると聞いたが、あれがそうなのか」
「まいっちゃうわよね。あれでC級なんて詐欺じゃない。自信が無いとか冗談でしょ」
泥を剥がれたデイテンの体へ、獣の爪を突き立てていたプッパが、こちらを見ながら怒鳴る。
「聞こえてるからな！ 色々言いたいことはあるが、それは後でだ！ 今は戦え！」
「……意思疎通はできるようだな」
「ちゃんと制御できてるってことよ」
なるほどと納得し、デイテンへと向かう。
タワーシールドも失い、攻撃を受け止めることはできない。泥で動きも制限されているので、うまく攻撃を逸らすしかない。
ラウンドシールドの丸みを活かし、攻撃を逸らす。当然のように失敗し、体の真ん中に穴が空いた。
「《ヒール》。いいわよ、その調子。サードが引き付ければ引き付けるほど、プッパが自由に戦えるわ！」
「不死身の盾作戦はやはり有効だな」
実証できたことに喜びながらリキャスト毎に《タウント》を使用。
腕を千切られ、体に穴を空けられ、頭を吹き飛ばされている間に、プッパはデイテンの体を登っていた。
「サード、覚えておけ！ 地面から泥を吸ってるってことは、背中が一番薄いってことだ！」
地面から一番遠い場所が、もっとも纏える泥が薄い。
必ずそうとは言えないだろうが、最初に確認すべき場所ではある。タメになるなと思いながら頭が潰された。
しかし、囮役としては十分な働きができているのだろう。
その間に背へ乗ったプッパは、デイテンが泥を尖らせ抵抗するのを気にせず、ひたすらに大剣を叩きつけていく。
纏っていた泥は砕け、体が割け、血が吹き出す。だが、プッパは止まらない。邪魔になった大剣を突き立て、爪と口で傷跡を抉り、内臓を引きずり出していった。
最早、こちらに構う余裕はないのだろう。ただただ悲痛な叫びを上げていたデイテンは、横に崩れる。
そして、もう動き出すことはなかった。
泥沼はデイテンの能力による影響が大きかったのだろう。波が引くように消えていき、元々の広さだけが残った。
全員の怪我を確認すると、俺は当たり前だが、エスティもかすり傷程度。プッパだけはそれなりの傷を負っており、鎧の下にある痣は青黒く染まっていた。
周囲の警戒をしつつ回復を施していると、ガサリと音が立つ。目を向ければ、濃い緑色のフード付きマントで全身を覆い、顔も面で隠している、
コレクターとは、簡単に言えば、ブレイカーが倒した敵から素材を剥ぎ、回収してくれる者たちだ。《気配隠蔽》のスキルよりも上位の《気配遮断》を習得しており、モンスターに見つからずブレイカーを支えている。
彼らは命の危険があるダンジョンへ入り、素材を回収し、その内の１，２割を自分の懐へ納めることで稼ぐ生業だ。
雇い主はブレイカーギルドなので、それとは別に給与も発生するらしく、ほとんどのブレイカーよりも稼ぎは安定しているらしい。
顔も見えない彼ら、もしくは彼女たちが回収してるのを眺めながら、２人に伝える。
「今日はここまでだな。落ち着いたら撤収しよう」
「それが無難ね。というか、正直疲れたわ。帰りも考えれば、ここら辺が妥当なところよね」
エスティは同意し、プッパはただ小さく頷く。
顔に疲労の色は濃いが、それ以上になにかを考え込んでいる様子だった。
色々あったのだ。少し休ませてやろうと、エスティと他愛も無い話をする。
「《気配遮断》のスキルは便利そうだが、スキル屋に販売はしていないな。なにか条件でもあるのか？」
「《気配隠蔽》や他のスキルを極めれば《気配遮断》を習得できることもあるわ。でも、コレクターたちは自分たちの命を削ることで、無理やり《気配遮断》を習得しているのよ」
「ブレイカーになったほうが稼げるのではないか？」
「その選択を取れなかった人もいれば、取れなくなった人もいるでしょ。事情は様々だからね」
エスティの言葉に納得する。ブレイカーとして生きる強さを持て無かった者、怪我などでブレイカーとして活動できなくなった者。
少し想像するだけでも、コレクターを選ぶ理由はいくらでも思いついた。
帰り道の途中、プッパがポツリと言う。
「あいつらは怪我がひどかったから、コレクターになることすらできなかったんだよな」
悔やんでいるというよりも、思ったことが口から出たという感じか。
彼はずっとそのときのことを考えていたのだろう。
ポツリポツリと思いの丈を打ち明け始めた。
「あのころ、オレたちは第五階層で主に活動していてな。建前としては第六階層に挑める実力をつけるためだったが、本当は挑むのに日和ってた。収入も良かったし、焦って無理に挑む必要は無い。そんな空気が、オレたちの中にはあった」
金銭的な安定、それなりの実力。保障のない先へ挑むより、その場で満足することは決して間違っていない。
それを捨てて進むためには、理由や決意など、他のなにかが必要になるのかもしれない。
「緩んでいたんだよ、オレたちは。たまたまデイテンと出くわしたときだって、何度も勝っているから問題無い。そんな風に思っていた」
俺たちは何も答えず、耳だけを傾ける。
プッパは意見などを求めているわけではない。ただ聞いてほしいだけだ。
なぜならこの話は、すでに終わった話なのだから。
「体調が悪いときもあれば、立ち回りが悪いときもある。この日はそんな風に、全てが噛み合っていない日だった。なのに、勝てるはずだと意地になった。どうせ慣れたところに行くんだ、少しでも出費を減らそうとも考えてもいた。素直に撤退すりゃよかったのにな」
もう取り戻せない日のことを、どうにか取り戻せないかとプッパは拳を握る。
だがその手は、少し経てば弱弱しく開かれた。
「オレはさっき初めて獣化した。言うまでもないが、そのときも獣化はできなかった。もしできるようになっていれば、今日と同じ結果が出せていたのかもしれない。できれば、下の階層に挑んでいたのかもしれない。……どう思う？」
なにかを期待した目を見せているプッパに、俺は思うままに答えた。
「あぁ、そうかもしれない」
「だよな……」
「しかし、それはプッパの仲間全員に言えることだ。先へ進む切っ掛けを作る機会は全員にあった。誰も作れなかったということは、その先も停滞し続けていた可能性は高い。その日が来ていなかったとしても、ずっと第五階層に留まっていただろう」
「サード、それは言いすぎよ。切っ掛けなんていつあるか分から――」
「いいんだ、エスティ。サードの言う通りだ。オレたちはたぶん、切っ掛けを作れぬままに第五階層へ留まり、それなりの生活に満足していただろう」
プッパは空を見上げ、どこか満足げに息を吐いた。
「切っ掛けを待つんじゃなくて、切っ掛けを作らなけりゃいけなかった。今さらそれが分かってもな」
「壁を超えたということか。成長したな、プッパ」
喜ぶ俺を見て、プッパは額に手を当てながらクツクツと笑った。
「クククッ。まぁ、そういうことになるか。これからはもっと獣化を……？ 待て。屈め」
言われた通り、すぐに屈む。プッパは声だけでなく顔も険しい。
草木の影から先を覗くと、三本腕の黒い鎧が見えた。
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