2話 親切に理由はいらない

 まだ暗く、早朝と言われても納得できない時間に、叩き起こされて家を出る。

 海辺ではすでに準備している者たちがおり、共に船へ乗り込んだ。


 しかし、1時間もしない内に海辺へ連れ戻され、船から降ろされた。


「船酔いはひでぇ! 力はねぇ! 体力もねぇ! なんにもねぇ! 帰って来た後の準備や、網とかの手入れをしとけ! ミーミ! 面倒を見てやれ!」

「はーい、おとう」

「も、申し訳……おぇぇぇぇ」


 半泣きのまま朝食を吐き出す。

 毒を飲まされたときに近い気持ち悪さが続くだけでなく、視界もグニャグニャとしていてひどい。漁師という職業は、超人にしか成り得ないのかもしれない。


 仕事をしながら介抱してくれたのは、ミーミと他の子どもたち。差し入れてくれる水がありがたい。


 少し後になれば、海に出た漁師たちの奥方も姿を見せ始めた。


「あらあら、ひどいことになってるじゃないか」

「これが客人かい? 海に慣れてないうちは仕方ないね」

「足を引っ張ってしまいすまない奥方たち。しかし、少しマシになって来た。優しいお嬢さん、仕事を教えてもらえるかい?」

「や、優しいお嬢さんって言い方は恥ずかしいからやめてください。ミーミでいいです」

「あぁ、分かった。これからはミーミさんと呼ぶよ」

「うぅ……なんか恥ずかしい……」


 頬に手を当て照れているミーミさんに教えられながら仕事をする。

 たまに様子を見に来る奥方たちも、なぜか嬉しそうな顔を見せていた。

 不思議に思い、ミーミさんに聞く。


「ミーミさん、質問をしてもいいだろうか」

「はい、どうしました?」

「妙に見られているのだが、客人は珍しいのかな?」


 こちらの問いかけに、ミーミさんはキョトンとした表情を見せた。


「え? いえ、客人は珍しいですが、そういうことじゃありませんよ。お嬢さんとか、奥方とか。そんな風に呼ばれることがないから、嬉しかったり恥ずかしかったりしているんです」

「ふむ、珍しい呼び方なのだろうか。これが普通なのかと思っていたよ」

「普通ではありませんね。……そういえば、えっと、どうお呼びすればいいですか?」


 ミーミさんの質問で、ペッポ殿が「おい!」とか「お前!」とかと呼んでいた理由に気づく。記憶喪失設定なので気を遣い聞かなかったのだろう。なんたる失態か。

 居住まいを正し、ミーミさんを見る。


「手は止めないでください」

「す、すまない。俺の名前はサード・ブラートだ」

「やっぱり記憶あるんじゃないですか?」

「いや、名前を聞かれたときに頭へ浮かんだ」


 3番目サードの王位継承者の兄弟ブラート

長いこと考えていた偽名を伝えられ、少しだけ胸が高鳴る。


 しかし、反応はあっさりとしたものだった。


「サードさんですね。分かりました」


 ミーミの顔にあるのは、これから呼ぶときに困らないという安堵だけだった。

 少ししょんぼりとしながらも作業を続ける。途中で疲れれば休ませてもらえたのだが、他の人は休んでいない。課題は多いなと改めて気づかされた。


 ペッポ殿たちが戻って来れば、魚を下ろしたり、馬車に乗せたりと作業に追われる。


「ひぃ……ひぃ……」

「よし、町まで行って来る。後は頼んだぞ。おい、なにしてんだ。さっさと乗れ」

「お、おいじゃなくて、サード・ブラート、と」

「魚が悪くなっちまうだろ! もたもたすんな!」


 名前を伝えることもできぬまま、ヒンヤリとした荷台へ乗り込む。

 氷の魔術で凍らせた魚の上には、さらに氷が積まれている。

 長いこと名前を考えた時間や、魚と同じ場所に乗っている自分を想像すると、なぜか目には涙が浮かびそうだった。



 見えて来た町は高いツルッとした壁に囲まれている。町というよりも要塞といったイメージだ。


「一応説明しておくが、町ってのは周囲の村々の避難所でもある。モンスターに襲撃されたときのことを考えれば、当然守備を固くする必要があるってわけだ」


 なるほどと頷く。こういった外界の情報はあまり得られていなかったこともあり、全てが物珍しい。

 本などにチラッと文章が書かれていることはあったが、実際に見るのとでは大違いだ。


「では、周囲の村々は町の近くに作られているのか?」

「そういうわけにはいかねぇよ。町から離れたところで仕事をするやつもいるし、そういったところに作られた村もある」

「避難できない場所に住む者たちが襲われれば、助けは間に合わないのではないか?」

「だから、ブレイカーって職業が成り立つんだろ。あいつらの仕事はダンジョンを踏破することだけじゃないからな」


 ダンジョンを踏破する、敵を打ち破る。

 どうやらブレイカーという言葉には、様々な意味を併せ持たせているようだ。



 壁の前まで辿り着けば、当然のように門番に止められる。


「どうも、ペッポさん。今日はいい魚が獲れましたか?」

「全部いい魚さ。悪い魚は卸さないで食っちまうからな」

「あはは、そりゃそうですね。確認させていただきます」


 荷を確認している門番と目が合う。笑顔で手を振ってみた。

 しかし、門番は怪訝そうな顔でペッポ殿に聞いた。


「ペッポさん。彼は?」

「遠い親戚だ。名前はサード・ブラート」


 うまい言い訳だと思うよりも、ちゃんと名前が聞こえていたことや、覚えていてくれたことが嬉しい。

 ペッポ殿の優しさに感激していると、門番が言う。


「なるほど。ペッポさんの親戚なら心配ありませんが、一応、顔の確認はさせてもらいますね」


 仕事を忠実にこなそうとした門番の手を、ペッポ殿が止めた。


「あの……」

「実は、流行り病で色々やられちまっててな。顔が爛れてやがる。それが嫌なのか分からんが、面を外すと錯乱し始めて手がつけられねぇんだ」

「それは……大変ですね」

「あぁ、記憶まで無くしちまったらしくてな。どうにかしてやりてぇから、息子のところへ行かせようと思ってる」

「あぁ、エヴァンジルのプッパさんのところに」


 門番は気の毒そうな顔のまま手を戻す。

 この真偽のつかない話を簡単に受け入れてもらえるほどに、ペッポ殿への信頼は厚いようだ。


「話は通しておきますが、問題は起こさないでくださいね?」

「面さえ被せておきゃ問題を起こすようなやつじゃねぇ。なにかあれば、オレの責任ってことで構わないからよ」


 そこまでは責任を負わせられないと、一歩前に出ようとしたのだが、ペッポさんの強い眼と手で押し止められる。

 門番は納得した様子で頷き、俺たちを町の中へ通してくれた。



 契約している店の前で止め、荷台から魚の入った箱を下ろす。

 もちろん俺は役立たずだったのだが、少しでも役に立とうと精一杯頑張った。


 小一時間で下ろし終わると、今度は必需品の買い出しが始める。

 しかし、ペッポ殿はみんなと別れ、服屋などに寄った後、人の群がる場所へ俺を連れて行った。


「ここは?」

「見りゃ分かるだろ。駅だ。ほら、これも取っとけ」


 袋の中には幾ばくかの貨幣、手紙、それと服だ。


「いただくわけにはいかない」

「勘違いするな、これは働いた分じゃない。これから働いてもらう分だ」

「……なにか仕事を任せたいと?」

「エヴァンジルに息子のプッパがいる。手紙を届けてくれ。それにあいつはブレイカーだ。力になってくれるかもしれねぇ」


 感謝の気持ちはあるが、それ以上に疑問が強い。

 俺は困惑しながらペッポ殿に聞いた。


「なぜここまで?」

「本当に記憶喪失かも分からない全裸の男。どう考えても厄介ごとだろ。巻き込まれる前に、遠く離れたエヴァンジルへ行ってもらいてぇのさ」

「しかし、その理由では」

「後は、この数年手紙も寄こさなくなったプッパの様子が知りたい。あいつが元気なら、いずれミーミもエヴァンジルに行かせて、いい学校に通わせてやりてぇんだ。ミーミはあぁ見えて頭がいいんだぜ?」


 息子の心配、娘の幸せ。

 理解はできるが、納得はできない。

 遮られた言葉を、もう一度伝える。


「しかし、その程度の理由では、俺にここまで親切にする必要は無いはずだ」


 感謝している。だから本心を伝えて構わない。裏があってもいい。

 俺はそう思っていたのだが、ペッポ殿は少しだけ悲しい表情を見せた。


「……やっぱりか。お前、人に優しくされたことがほとんどないな?」


 ギクリと体が跳ねる。俺の人付き合いに対しての歪さが、彼には見抜かれていた。

 ペッポ殿は息を吐き、動けない俺の肩に手をのせる。


「オレは自分が親切な人間だとは思ってねぇ。だが、家族を食わせられるくらいの稼ぎはあるし、サードみたいなやつに少し優しくしてやりたいと思うくらいの余裕はある。誰もがそうではないが、そういうやつだっているんだよ」


 下唇を噛み、右手で左手を強く握る。嬉しいのに悔しい。感情がうまく言語化できない。

 しかし、それではいけないことも分かっており、深く頭を下げた。


「お言葉痛み入ります」

「難しい言葉を使ってんじゃねぇよ。そういうときはな、ありがとう、でいいんだよ」

「……ありがとうございます」


 それでいいと、ペッポ殿は俺の背をポンポンと叩いた。



 エヴァンジルに向かう列車の切符を購入した後、ペッポ殿は少しだけ躊躇いながら言う。


「まぁ、なんだ。色々大変だと思うが、1つ頼んでもいいか」

「なんなりと」

「いや、本当にできたらでいいんだがな。プッパのことだ。たぶん、困っているんじゃねぇかと思う。余裕ができたら力になってやってくれるか」

「必ず力になります」

「できたらでいいって言ってんだろうが。サードは、まず自分のことを考えやがれ! ったくよぉ。じゃあ、オレは帰るぜ。しっかりやれよ」


 ぶっきらぼうで、優しくて、家族を大切にしている尊敬できる人。

 その出会いに感謝しかなく、ペッポ殿の背が見えなくなっても、ただ深く頭を下げ続けた。



 サイズの合っていない服を袋に押し込み、黒を基調とした服を着て、こげ茶色のマントを羽織る。

 ペッポ殿に買ってもらったというだけで、一生着ようと思えるほどに気に入った。


 駅で列車へ乗り込むと、程なくして列車が出発する。

 ここからエヴァンジルまでは十日ほどかかるらしい。それが恐らく安い金額ではないことは、今の俺にでも分かる。


 離れて行く町を見ながら、胸を握り締めた。

 たった1日足らずの付き合いで、これほど良くしてもらえることもないだろう。


「呪いを解くだけでなく、ペッポ殿に恩返しもしなければならない。いや、プッパさんの力にもならないといけないな。やることばかりが増えていくじゃないか」


 目的が増える大変さを感じたが、それよりも温かいものが胸の内にはある。そして、どこか楽しさも覚えていた。


 ふと、もう1人の恩人であるトライス兄上のことも頭に浮かぶ。賢い人だ。うまくやっていると思うが大丈夫だろうか。

 しかし、遠方で心配をしてもできることはない。

 気持ちを切り替え、全員への恩返しを考えるだけで、退屈なはずの移動時間も、楽しく過ごせそうだと思えていた。

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