第5話 魔王、現る



 やがてカメさまが回るのをやめた。


「わかったのである」

「何かいたの?」

「で、ある」

「いたんだ!?」


 それなら逃げないと!


「慌てるでない。其方の言葉通り、いた、のである」

「……どういうこと?」

「この空き地、特にこの割れた岩から、闇の残り香を感じたのである。ここには闇の力が封じられていたのであろう」

「闇の力って?」

「大昔にこの世界を征服しようとして討たれた、魔王の魂の欠片である」

「カメさまって寝ていたんだよね? その時には起きていたの?」


 なんか詳しそうだけど。


「寝ていたのである。我が眠りについたのは、魔王の時代よりも遥かに太古である。しかし我の魂は地脈にも広がっていたのである。目覚めれば、地脈に染みた世界の事象を己の記憶のように参照することができるのである」

「へー。そうなんだー」

「もちろん、なんでも、というわけにはいかぬが。わかるのは、地脈に染みるほどの質量を持った知識や出来事のみである」

「へー。へーへー」

「また無関心にうなずきおって」

「あははー」


 だって、よくわかんないし。


 でも、うん。


 私にもわかることはある。


「ならやっぱり、早く逃げた方がいいよね? お父様とかに言った方がいいよね?」

「慌てる必要はないのである。闇の力はすでにここにはないのである。おそらく、我と同じように浮かび上がったものの、我のように食われることなく、消えてしまったのである。なのですでにおわった話なのである」


 ふわふわと浮かんだままのカメさまが、偉そうにうなずく。

 カメなのに、ちゃんと表情がわかるのはすごい。


 だけど私は……。

 うん。

 はい。

 確かに表情がわかるのは、すごいと思うのですが……。


「ね、ねえ……。カメさま……」

「なんであるか。またそんなに怯えた顔をして」

「えっと。あのね」

「もったいぶるな、なのである。言いたいことは早く言うのである」

「う、うん……。だよね……」


 だけど、さ。

 こんな時、ヒトって以外と動けないものだよね……。


 本当に静かに――。


 ほとんど音もなく森の中から現れたものと――。

 私は今――。

 バッチリ目を合わせてしまっている。

 どす黒く濁った、だけど妙にギラついて輝いた赤い双眸だった。


「ぐるるるる……」


 ソイツが低く唸り声を上げた。

 目が合っているからだろうか、すぐに襲いかかって来ることはなかった。


「なんであるか、腹を鳴らして。我は食っても不味いのである」


 カメさまは気づいていない。

 ソイツは、カメさまの背後の森から現れた。


 いや、うん。


 それはともかく……。


「あの、カメさま……」

「なんであるか」

「どうして今のが、私のお腹の音になるのかぁ?」


 いくらなんでもそれはないよね?


「そんなのは決まっているのである。ここには我と其方しかいないからである」

「あの、えっとね……」

「だから、いい加減に、我を食うのはあきらめるのである」

「私は最初から食べたいなんて思っていないよ?」


 うん。

 私はね……。


「なら良いのである」


 カメさまの背後にいるのは、たぶん、さっきの子供のキツネだろう。

 追い払ったけど、戻ってきたのだ。

 完全に様子を変えて。


 キツネの目は、怖いくらいに赤黒くギラついていた。

 それだけではない。

 全身の毛が逆だって、黒いモヤを揺らめかせている。


 明らかに様子がおかしかった。


 あと、私は気づいた。

 目が合っていると思ったけど……。

 キツネは、どうも私のことを見ていない。


 見ているのはカメさまだ。


 あ。


 キツネが低く姿勢を変えた。


 これは、攻撃の準備だ!


「カメさま、うしろ!」


 私は叫んだ。


 同時にキツネが飛びかかった。


「なんである、――かあ!?」


 際どく振り向いて気づいたカメさまが、咄嗟に上へと体を浮かせた。

 鋭く振りかざされたキツネのツメが宙を切った。


「ひい! ひいいいい! 間一髪なのである! アニス、キツネが来たなら来たと早く教えるのである!」

「私は教えようとしたよおおお!」


 必死に頑張ってー!


「しかしキツネのヤツめ、我の感知をすり抜けるとはやるのである!」

「ねえ、カメさま」

「なんであるか!」

「それって、もしかして、カメさまがザルなだけじゃ……」

「我はカメである! ザルではないのである!」

「あ。うん。ごめんなさい」


 ですよね。

 なんてことを話していると――。


「ぐるるるる!」


 キツネがカメさまにひときわの鋭い視線を放つ。

 うん!

 獲物は完全にカメさまのようだ!

 私は安心した!


「アニス! 助けるのである! 早くそのキツネを追い払うのである! 我はまだ食われたくないのである!」

「と言っても、どうやって……」

「キノコをぶつけて追い払ったであろう! キノコである!」


 いや、うん。

 今度は無理だと思うよ、それ……。

 だってキツネ、もう完全に正気を失っているし。


 あ。


 キツネが飛びかかった!


 カメさまは、かなり高い、完全な安全圏にいたはずなのに――。

 キツネのツメがカメさまに届いた!


「カメさまぁぁぁぁ!」


 私は悲鳴を上げた。


 だけどカメさまは、間一髪、そのツメをかわす――。

 ことはできなかったけど――。


 バチバチ!


 咄嗟に体から雷を放って、ツメを弾き返した!

 キツネが悲鳴みたいな唸り声をあげて、地面に背中から落っこちる。


 だけどカメさまも、ダメージを受けてしまったようだ。

 カメさまが、木の葉みたいに墜落してくる。


「カメさま!」


 私はなんとかカメさまをキャッチした!

 幸いにも大きな怪我は負っていない様子だった。

 よかった!


「ひい! ひい! 死にかけたのである! アニス、早くキノコである! キノコであやつを追い払うのである!」

「それ、もう無理だってばー!」


 身を起こしたキツネが凄まじい咆哮を上げた。


 がああああああああああああああああああああああああああ!


 それは周りの木々を揺らすほどだった。


 次の瞬間だった。


 キツネの体から、真っ黒なモヤが大量に放出された。


「これは……。闇の力であるか……。キツネのヤツめ、我の代わりに、どうやらとんでもないものを食ったようである……」

「消えたんじゃなかったんだね」

「うむ。で、ある」

「ねえ、カメさま」

「なんであるか?」

「やっぱりザルだったね……」


 うん。


「む。むむむ。我は……。カメのはずなのであるが……」

「ごめんそんなこと言ってる場合じゃないよね! どうするのこれー!」


 私が混乱して、カメさまが悩む中……。

 モヤを吸い込んで――。

 草のない、大きな岩の倒れた空き地に現れたのは――。


 まるでキツネのような金色の尻尾と――。

 まるでキツネのような金色の長い髪、それに獣耳を持った――。


 うん……。


 私と同い年に見える女の子だった。


 しかも裸だ……。


「ふむ」


 と、その女の子が口を開いた。

 女の子は、手のひらを何度か閉じたり開いたりして――。


「遂に目覚めてみれば、まさかこのような幼子になっているとはの。わけはわからぬが数奇なものなのじゃ。其方らが妾の出迎え――、では、なさそうじゃの。ニンゲンの小娘と、そのカメは小精霊なのかの」

「アニス、気をつけるのである! これは魔王なのである!」


 カメさまが叫んだ。


「え。まーおー?」


 私は、ぽやっとしてしまっていて――。

 カメさまの言葉の意味を、すぐには理解できなかった。


「千年の封印が解けるこの瞬間に居合わせるとは、まさに幸運なことじゃ。目覚めし妾の姿を一番に見ることができたこと、喜ぶが良い。くくく。早速じゃが、褒美をやろうかの。妾の存在が忘れられているのであれば逆に好都合。密かに始めさせてもらおうぞ」


 女の子の赤い目が、怪しく輝いた。

 その手のひらには、火の玉が浮かんでいた。


「アニス、逃げるのである!」


 再びカメさまが叫んだ。

 それでようやく、私はハッと我に返った。

 私はあわてて逃げようとしたけど、自分で自分の足をからめて――。

 転んでしまった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る