第3話 アニス、小さなカメを助ける



 お腹も一杯になったところで、私は部屋に戻って外出の準備をする。

 いつもならお昼までは勉強だけど今日はお休み。

 なので町に遊びに行こうと思う。

 厚めのジャケットを羽織って、腰にベルトを巻いて、ベルトにはポーチと万能ナイフを装着する。

 手には手袋をはめた。

 まるで森歩きのような格好だけど、実際、私は森にも行く。


「お母様、お昼まで町に行ってくるねー! 今日はたくさんキノコを採ってくるから楽しみにしていてー!」


 部屋を出て、リビングにいたお母様にお出かけのご挨拶をする。


「ええ。気をつけてね」


 お母様は編み物をしていた。


「はーい!」


 玄関でサンダルからブーツに履き替えて、私は家を出た。

 裏庭から森の中へ続く土の道に入る。

 森は明るい。

 樹冠からこぼれる日差しで、まるで波間みたいに揺らめいていた。


 私はいつも町に行く時、森の中の道を通る。

 森を抜けて、湖岸に出て、湖岸ぞいを回って町に入るのだ。


 町に向かうだけなら、家の正面から出た方が早い。

 馬車も通れる綺麗な道が、まっすぐに続いている。


 だけど、私は森を通る。


 なぜなら、手袋をしている言い訳がほしいから。

 腰のポーチにたくさんのキノコを入れて、今日もキノコ採りの後で遊びに来たんだよなんて顔で町を歩くのだ。


 だって、私はこれでも男爵家の人間。

 町のヒトに無印者だなんてバレれば、家に迷惑がかかってしまう。

 お父様もお母様もお姉様も……。

 誰もそんなことは言わないけど……。

 私はそう思うし、そうした方がいいと思っているのだ。


 裏庭から続いた森の中は平和だ。

 お姉様が巡回してくれているし、町に近い場所には魔物も出ないしね。


 もちろん、完全に安全というわけではなくて……。

 季節によっては、蛇や蜂に注意だけど……。

 今は春。

 どちらもそんなに危険ではない。


「さーて。キノコちゃんはいるかなー。お、いますねー。

 ワラビちゃんも発見! いいねー!」


 今日は絶好調だった。

 キノコに加えて山菜も見つけて私は上機嫌になる。


 そんな中――。


 前触れなく地面が揺れた。


「うわ。えっ!?」


 ただ幸いにも、驚いている内に揺れは収まった。

 地震、というものだろうか……。

 このあたりでは今までにないけど、話には聞いたことがある。


 ともかく、たいしたことじゃなくてよかった。

 私はホッとした。

 すると、次に、


 どすん……。


 と、小さな地響きと共に小さな音が聞こえた。


「今度は何……?」


 私は驚いてあたりを見回す。

 だけど見える周囲には、特におかしなところはない。


 私は音のした方に目を向ける。

 森の奥だ。

 ただ、目を凝らしても、やっぱり何もない。


「でも、音がしたよね……。まるで、巨人が歩いたみたいな……」


 もしかしたら、巨人が来たのだろうか。

 世界には、樹木と同じくらいに大きな巨人族と呼ばれるヒトたちがいる。

 会ったことはないけど、本で読んだことはある。

 物語では、巨人のヒトは優しくて……。

 友達になった女の子を肩に乗せて、一緒に海を見に行くのだ……。

 それは、とても素敵な物語だった。


 私も仲良くなれるかな……?


 仲良くなれたら、それはきっと素敵なことになる。


 そんな思いに駆られて、私は道を外れて、森の奥に足を踏み込んだ。


 そして、見つけた。


 そこは、森の中にある空き地だった。

 なぜかそこだけ草一本生えていない、不思議な空き地だった。

 その空き地の真ん中で、土をめくって大きな岩が倒れていた。

 私の背丈よりもずっと大きな――。

 縦長の大岩だった。

 多分、私が聞いた、どすん、という音は、その岩が倒れた音だったのだろう。

 倒れた岩は、大きくひび割れていた。


 その岩の上では、一体、どういう状況なのか……。

 不思議なことに……。

 一匹の小さなカメと、一匹の子供のキツネが……。

 対峙していた。


 子供のキツネがおそるおそるながら、前足でカメに触れる。

 するとカメの体が薄く光った。

 バチンと弾けるような衝撃を受けて、キツネが前足を引っ込める。


 おお……。


 なんだかよくわからないけど、特異な力のあるカメみたいだ。

 魚の中には、体から雷を出すものもいる。

 カメにも、そういう種類がいるのだろう。

 私は知らないけど。


 だけどキツネは、諦めるつもりはないようだ。

 じりじり、と、少しずつ前に出てカメを追い詰めていく。

 このままでは、カメは岩から転落してしまいそうだ。


 ――ぬう!

 ――ぬううう!

 ――この我が、まさか小動物ごときに遅れを取るだとおおお!

 ――食わせはせん! 食わせはせんぞおおお!


 なんだろ、これ。

 小さな女の子の緊迫した声が、頭の中に響いてきた。


 あ。


 転落するより先に、ついに意を決したキツネが、一気にカメに飛びかかって両方の前足がカメを押さえた!

 カメは、必死に抵抗してまた体を光らせるけど――。

 それで前足ははねのけたけど……。

 カメはついに、キツネに咥えられてしまった。


 ――ぎゃああああ!


 女の子の悲鳴が頭の中に響いたあああ!


 ――誰か!

 ――誰かおらぬか!

 ――我を助けてくれえええええ!


 行こう!


 私は決意して飛び出した!


「こらー!」


 ポーチに入っていたキノコを投げつける!

 キノコはキツネに直撃した!

 私の攻撃に驚いたキツネは、カメを口から落とすと、わずかに逡巡しつつも、身を返して森の奥へと走って逃げていった。


 私は、地面に落っこちたカメを拾って、手のひらの上に乗せた。


「あのお……。大丈夫?」


 ――た、助かったのである。

 ――どこの誰かは知らぬが、其方は命の恩人なのであるな。


 なんとびっくり。

 カメは私のことがわかるみたいだ。


「いえー。どういたしまして」


 ――むむ! 其方、我の声が聞こえるのであるか!?


「う、うん……。聞こえるけど……」


 ――それは素晴らしいのである! 僥倖なのである!


「ねえ、あのさ」


 ――なんであるか?


「カメって美味しいの?」


 ――美味しくないのである! 食べるのはやめるのである!


「あ、うん。ごめん。ちょっとだけ気になっちゃってさ。

 ……ところで君は誰なの?」


 ――我は武神なり。武神カメサマール。それこそが我である。其方には特別に我が名を呼ぶことを許すのである。


「カメさま?」


 私が何気なくそう言うと――。

 突然、カメが私の手のひらの上で光り出した!

 戦っている時より、ずっと強い光だった!


「うわ! どうしちゃったのー!?」


 ――焦るでない。じっとしておれ。


「う、うん……」


 光が収まる。


「いきなりで悪かったが、つながせてもらったのである。カメではほとんどマナを掴むことができずに苦労したのである。やはりニンゲンなのである。最高の媒体なのである」

「カメさま、しゃべれるんだ……?」


 ちゃんと声が聞こえるようになった。

 ますます不思議だ。


「たった今、しゃべれるようになったのである。其方を媒体にようやくマナを掴むことができたのである」

「えっと。それって……。私に何かしたの?」


 特に変化は感じないけど。


「害はないから心配の必要はないのである。我を使い魔にでもしたと思えば話は簡単なのである」



 ――これが私と、カメさまとの出会いだった。




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