第2話 それは朝のこと
それは春――。
精霊様に新緑の息吹を感謝する、年に一度のお祭りの前日だった。
朝、私がいつものように食堂に行くと、食事の時にはいつでも笑顔のお父様が珍しく沈んだ顔をしていた。
「おはようございます、お父様」
「ああ、おはよう、アニス」
「元気がないみたいだけど、どうしたの?」
「ああ、実はね……。いや、みんなが揃ってから話すよ」
一体、なんだろう。
凶悪な魔物が、町の近くに出たのかな……。
お母様とお姉様は、すぐにやってきた。
脇で待機していたメイドのテレサに、お父様が朝食を運ぶのは少し待ってほしいとお願いする。
我が家は決して裕福ではなくて、住んでいるお屋敷も修繕が必要なくらいに古びてはいるけど――。
それでもここ、湖岸の町リムネーを領有する男爵家だ。
家には六人もの使用人がいる。
みんなが着席したところで、お父様が深刻な顔で口を開いた。
「みんな、聞いてほしい。実は先程、我が家に急報が届いた。なんと明日のお祭りにお貴族様が来るというのだ」
「あら、今回はどちらの親戚かしら」
お母様が楽しげにたずねると、お父様は重々しく首を横に振った。
「それが……。親戚ではないのだ……。なんと、かの名高きオスタル公爵家のお方が王都から来るというのだ」
「え」
驚きのあまりだろう。
お母様が、石像みたいに固まってしまった。
リムネーは、王都から馬車で十日以上も離れた辺境の町だ。
はっきり言って田舎だ。
親戚以外のお貴族様が来たことなんて今までにない。
「ねえ、お父様っ! オスタル公爵家って、しょっちゅう噂に出てくる光の聖剣士様の家よね?」
お母様と違って、お姉様は嬉しそうだ。
お姉様は今年で十五歳。
我が家の長女で、我が家の跡継ぎ。
名前はタビアという。
お姉様は、なんと聖剣の刻印持ち。
この町では四十年ぶりに現れた、たった一人の聖剣士だった。
我が一族の期待の星だ。
すごく強くて、まだたったの十五歳なのに、すでに領兵を率いて魔物退治にも出ていたりしている。
聖剣の力は、魔物に特攻を持つ。
お姉様さえいれば、どんな魔物だってイチコロなのだ。
まさに町の英雄だった。
「聞いて驚くんじゃないぞ、タビア。なんと、その光の聖剣士様、ファラーテお嬢様が来るというのだ」
「えええええ!? すごっ! それってすごいわよね!」
興奮したお姉様が大きな声を上げる。
「お父さんはお腹が痛いよ……。お父さんはこう見えて、実はお貴族様とお話するのは大の苦手なんだ……。失礼でもすれば、それが国王陛下の耳に届いてお家が潰されるかも知れないんだぞ……。オスタル公爵家と言えば、王国の法とまで言われるほどに秩序を重んじる家なのだ……」
あああああ……。
と、命より大切な食事の前なのに、お父様が死んだような顔になる。
お父様は、うん。
こう見えて、というか、まんまそういうタイプだ。
優しくて明るくて……。
いつも朗らかで……。
私みたいな無能者が家に出てしまっても、冷たくするどころか一生懸命に私の将来を考えてくれて……。
私は大好きなんだけど……。
でも、気が弱くて、流されやすくて……。
一応は男爵本人なのに、知らない貴族の人にものすごく弱い。
お貴族様とか言っちゃってるし。
「お母さんも、お腹が痛くなってきちゃったわ……。寝込もうかしら」
「やめてくれ、ラニス! 君が寝込んでは、私が一人になってしまうではないか頼むから元気でいてくれ!」
お母様もお父様と同じタイプだ。
親戚以外のお貴族様を、大の苦手としている。
あと、お父様と一緒に、私の将来をいつも考えてくれている。
お母様のことも私は大好きだ。
「お父様、お母様、私がいるでしょ! 私に任せてよ! 同じ聖剣士だし仲良くできると思うわ! 手合わせの相手だって!」
お姉様が頼もしい!
さすがは聖剣の刻印持ち!
ちなみにお父様は、土の刻印を持っている。
お母様は、水の刻印を持っている。
二人が領主夫妻になって、リムネーの治水対策は大いに発展した。
私の家族は、みんな、すごいのだ。
もう一人の姉も、水の刻印を持っていて、今は魔術を極めるために王都の学院で寮生活をしているし。
「……タビア、頼りにしてしまってもいいのかな?」
お父様が弱々しくたずねる。
「ええ! もちろんよ!」
タビアお姉様は胸を張って堂々したものだ。
不安がる様子はない。
「そうかぁ! そうかそうかぁ! ラニス、聞いたかい! 私達はどうやら素晴らしい娘を持ったようだよ!」
「ええ、そうですね、貴方」
お父様とお母様が手を取り合って喜ぶ。
二人は今でも仲良しだ。
私はそんな様子を、ニコニコと笑顔で黙って見ていた。
そんな私にタビアお姉様が言う。
「アニスも安心しなさい。たった一日のことだろうし、貴女は部屋で大人しくしていればいいわ」
「そうだね。アニスこそ風邪を引いたことにしよう」
お父様が提案すると――。
「あら、それでは可愛そうでしょう。お昼は普通に遊んで、夕方になったら風邪を引いたことにしましょう」
お母様が優しく訂正をしてくれた。
「ああ、そうだね。そうしよう。せっかくのお祭りなんだから、一人だけ家にいるのは可愛そうだね」
お父様は迷わずに同意する。
お姉様もうなずいた。
私は無印者。
私の手の甲には、何も刻まれていない。
それは貴族にとって、とても恥とすることだった。
だから私は、知らないお貴族様とは、あまり親しくならない方がいい。
それは私にもわかっている。
だから私は笑顔のまま、うなずくのだ。
「うん。ありがとう、そうするね。お姉様、お父様、お母様」
と。
朝食が始まった。
「でも、なんでこんな町に来るのかしら? 理由はあるのかしら?」
フォークに刺したソーセージを頬張りつつ、お姉様が首をひねる。
「さあ……。詳しいことは書かれていなくね……」
お父様にもわからないようだ。
「そっかぁ」
「ふふ。案外、タビアの噂を聞きつけて、中央の騎士団にスカウトに来たのかも知れないわね」
お母様が笑って言う。
「そうね! 私の実力の腕ならありえるかもね!」
「あはは。それは光栄なことだけど、タビアは跡取りなんだから、引き抜かれてしまうのは困るなぁ」
お父様が顔をしかめる。
いいなぁ、と私は思う。
お姉様は、明るい未来を選び放題だ。
ひがんだことは言わないけどね。
だって私も、お父様とお母様と同じように、お姉様のことは応援している。
大成功して、もっともっと、自慢の姉になってほしい。
それは本心だ。
私は、家族のことが大好きだった。
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