第35話 ひかるんフラッシュ

 目が合うなり彼女は手からスマホを落とした。電話を切ろうとして取り落としたようだ。すぐさましゃがみこんでスマホを拾い上げる。


 黒のニーハイソックスで覆われた足が曲がって、膝上のスカートがきわどく翻る。いきなり中がチラ見しかけた。


 立ち上がった影が小走りに近づいてくる。

 彼女は直希たちの前で足を開いて立ち止まった。 


「おっ、遅れてごめんなさい、ひ、ひかるんでーす! ど、どうも、今日はよろぴくぅっ!」


 ひかるんは首を傾げて横ピースをした。 

 直希は絶句した。隣で姫乃も絶句していた。まるでこの場の時が止まったかのようだった。

  

 目の前で横ピースを決めている姿は、まさに動画の彼女そのままだった。

 若干笑顔が引きつっていて挙動がおかしいところまでそっくりだ。


 リボンで髪を左右に二つ縛り。

 前髪がくるくると横に巻いている。いつもは隠れているはずの目元がしっかり見えている。目の周りにはうっすらと赤く縁取りが入っていて、目尻が垂れている。そして黒目がやたら大きい。


 身につけているものは下半身が黒で、上半身が白を基調にしている。大きな襟の付いたブラウスは、全体的にフリル多め。

 胸の黒いリボンに存在感がある。今気づいたが、この胸元なかなかに膨らみがある。


「ひ、ひかるんですっ、よ、よろしくねぇっ!」

 

 こちらが無反応だったためひかりは不安になったらしい。上ずった声で、もう一回名乗りを上げた。


「ひ、ひかるんだ……」


 直希はやっとのことで声を漏らした。 

 驚きと感動……いろんな感情が通りすぎていって、言葉にならない。

 まっすぐに彼女を見つめたまま、ふらふらと近づいていく。


「あ、会えてうれしいです……。実物もめっちゃかわいいですね」

「そ、そーかな! うふふっ。ありがとう」

「いつも動画で勇気をもらってます」

「ど、動画……? ああ、動画ね!」


 笑った口元が一瞬ひくついて、目が泳ぐ。


「……なんでアイドルとファンみたくなってんの?」


 呆然としていた姫乃が横でじとっとした目つきをする。

 直希は気にせず、ひかるんに向かって手を差し出す。


「握手してください」

「ファンか」

「一緒に写真を……」

「だからファンか」


 いちいち姫乃のツッコミが飛んでくる。ずっと他人事の態度だ。直希は姫乃にもあいさつをするよう促す。


「ほら、姫ちゃんも」

「え? あたし? あ―……ども。はじめまして、伊藤姫乃でーす。よろしくー」


 こちらはにこりともせず言う。声も一オクターブ低い。

 直希は姫乃にこっそり耳打ちする。


「で、どう? 実際会ってみた感想は」

「……いろいろ言いたいことはあるけど。まあ、かわいいは、かわいい……」

「でしょ?」

「けどなんであんたがドヤってくんの?」


 ずいぶん冷たい目を向けてくる。やはりご機嫌斜めだ。

 おふざけはこのぐらいにして、仕切り直すことにした。

 

「じゃあ立ち話もなんだし、さっさと行こうか……ん?」  

 

 ひかりにちょいちょいと袖を引かれた。

 顔を寄せてきて「ちょっときて」と小さく口を動かす。かわいい。


 言われるがままにひかりのあとについて、電子案内板の裏に回った。

 ひかりは姫乃からは見えない位置に立ったのを確認すると、ぐっと顔を近づけてきた。目を見開きながら口をあわあわする。


「や、ややややばいよなおくん! ぎ、ギャルだよ!」

「ぎゃる?」

「学校の、後ろの席の陽ギャだよ!」


 はて? と直希は首を傾げる。突然何を言い出すのか。

 

「前に言ったじゃん、オタクに優しいギャルがいるって……」

「ああ、あのオタクに優しいかもしれないギャルってやつ?」


 ひかりはこくこくと激しくうなずく。


「な、なおくんがずっと言ってた、お、お、幼なじみって、あの人のことだったんですか!?」

「そうだけど……え? ってことは二人同じクラスだったんだ? しかも前と後の席……?」


 意外や意外だ。

 そういえば前に姫乃のクラスに行ったときはどうだったか。前の席には誰かいたようないなかったような。席を外していたのか、それこそ存在感がなかったか。


「でもオタクに優しいギャルって……? 人違いじゃ?」


 直希からすると、姫乃はオタクというか陰キャにはかなり厳しいタイプだ。身をもって知っている。なにかの勘違いではないかと疑ってしまう。


「ま、間違いないよ! 名前も、伊藤姫乃って……た、たぶんそんな感じだったと思うし!」

 

 後ろの席の人の名前もちゃんと覚えていない。それについては直希も人のことは言えない。


「てかここでごちゃごちゃやってないで、本人に聞けばいいじゃん? ちょうどいいじゃん、いま仲良くなればひかりも同じクラスに友達が……」

「ムリムリムリムリ! わ、わたしが黒崎ひかりだということは、ひ、ひみつで!」

「なんで? それならそうと言えば……」

「今日のわたしはひかるんだから。黒崎ひかりとはなんの関係もありません」


 別キャラ扱いらしい。

 ひかりはすぐ姫乃に気づいたが、姫乃はひかりに気づいていないようだ。

 同じクラスメイトで前後の席といっても、そこまで交流があるわけではないらしい。姫乃が別人メイクを施したひかりに気づかないのも無理はない。

  

「それよりすごいよひかり、あの動画のひかるんの完全コピーだよ」

「コピーも何もわたしなんですけどね。なおくんも疑ってたんですね」

「あ、でも猫耳は? ついてないよ」

「ここでつけろと? テーマパークとかじゃないんですけど」


 ひかりはぷいっと横を向いた。今の仕草は黒崎ひかりっぽい。


「でも今日はひかるんでいくって……大丈夫?」

「だ、大丈夫です。今日のわたしはひかるんわたしはひかるん……」


 ブツブツ言っている。自己暗示をかけているようだが危ない人のように見えなくもない。


 けれど今日のひかりは、見た目が違うだけではない。学校のひかりとはしゃべり方の雰囲気が違う。通話のときの、ひかるんちゃんねるのノリに近い。

 人は見た目が変われば中身も変わる、ともよく聞くが……。


(もしかしたらこっちが素……?)


「ねぇ、まだ?」


 すぐうしろの声に直希は振り向く。

 いつの間にか近くにやってきていた姫乃が、仏頂面で立っていた。直希の体越しに、ひかりに声をかける。


「あのさ、名前……さっきなんて言った?」

「ひ、ひかるんです」

「……それって、本名じゃないよね?」

「ぜ、全然違いますまったく。これはいわゆる、活動者名みたいな……」

「いやべつにオフ会とかじゃないんだからさ。学校同じなんだよね? 同級生でしょ?」

「い、いえ! ひかるんはひかるん星出身なので」

「それ絶対あとでなかったことになるキャラ設定じゃん」


 早くも雲行きが怪しい。

 ひかりがどう着地させるつもりなのかはわからないが、どうしてもバレたくない、というのならここは合わせてあげるべきだろう。


「姫ちゃん、あんまりなめた口きくと消されるよ? ひかるんフラッシュはあらゆるものを一瞬のうちに焼きつくすから」

「化け物じゃん」

「彼女は世界中の陽キャを消すために地球にやってきたんだ。特に陰キャいじめてそうなギャルは真っ先に狙われる」

「どういう設定だよ」

「ひ、ひかるんフラーッシュ!」

「あたしに向けてやんないで同類だと思われるから」

 

 ひかりは目元でダブル横ピースを作って横入りしてくる。アドリブにも対応してきた。

 しかしひかるんフラッシュは姫乃がめんどくさそうに手を振るだけで無効化された。

 たじろいだひかりは、直希を手で制する。


「天野隊員、危険です離れて! この相手……特S級陽ギャです!」

「な、なんだって!? まずいぞ、こんな人混みで……」


 よほどバレたくないのか、ひかりも自分からネタに乗ってくる。ならばと直希もさらにかぶせる。


「データありました! こ、これは……陰キャ殺しのひめのん……」

「い、陰キャ殺し……? な、なにか弱点はないんですか!?」

「ええと弱点は……わりと下ネタに弱い」

「……ねえ? 怒るよ? マジで」

「そうだね、そろそろ行こうか」


 姫乃にマジギレされかけたため早めに切り上げる。どっちにしろ出口がなかったのでありがたい。


 とりあえずの目的地は、おいしいパンケーキが食べられるという喫茶店だ。姫乃が事前に調べたらしい。


「じゃあ、あっちだから。まず信号渡ろ」


 姫乃はぼそっと言うなり、先に歩いていってしまう。人を置き去りにしそうな速度だ。

 直希は立ちつくすひかりを促すと、その後を追った。

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