第31話 変な感じ

「えっ……?」


 姫乃は直希を見上げたまま固まってしまった。

 そんな驚かなくてもいいだろうに、まるで存在感のない陰キャにそっと肩を叩かれでもしたかのようなリアクションだ。いやその通りなのだが。

 直希は腰をかがめると、小声で促す。 


「教科書」

「あ、やべっ」


 姫乃は慌てて机の中から教科書を取り出した。差し出されたものを受け取る。


「……まじで借りパクする気だった?」

「あれは冗談だから。ちょっと考え事しててさ、あー授業終わったーって思って、すっかり忘れてた」


 苦笑交じりに言う。

 口ぶりからするに、陰キャいじめではなく本当に忘れていたらしい。


「ったく、寝ぼけてんのかオイ」

「急にキレちらかすじゃん」

「大丈夫? 疲れてない?」

「二重人格かよ」


 いくら陰キャといってもあまり舐められるのはよくない。かといってイキりすぎるのもよくない。

 なんにせよ教科書の回収は完了した。さっさと退散しようとすると、姫乃の頭のてっぺんに、小さい糸くずのようなものが乗っているのに気がつく。


「髪にゴミついてるよ」

「え? どれ?」

「違う、そこじゃなくてもっと上」

「取って」


 言われるがままに手で取る。糸くずを見せて聞く。

 

「食べる?」

「食わんわ」

「じゃ戻しときますね~」

「やめい」


 姫乃が首をふる。糸くずを宙に放って立ち去ろうとすると、席の横を通りすがった女子生徒が足を止めた。

 

「あれあれ~? 珍しくひめのんが楽しそうに男子とおしゃべりしてる~」


 姫乃以上に髪色が明るい。スカートも短い。

 陰キャにとっては天敵のような見た目をしている。ひかりが言うところの陽ギャだ。姫乃の友人らしい。姫乃はめんどくさそうに手を払う仕草をした。

 

「しっしっ、散れ散れ」

「だれ?」

「誰でもいいでしょ」

「だれ?」


 しつこく顔を近づけていく。姫乃はあしらいきれずにいる。どうやら彼女のほうが上手らしい。

 直希は横から助け船を出す。


「どうも、姫乃さんの下僕です」


 誤解のないようにそう告げておく。

 陽ギャ女子は直希を見て、ぽかんと口を開けた。しかしなにか察したのか、急にニヤケ顔を姫乃に向ける。


「へー? なるほどね、いろんなケアをさせてるってことですかぁ」

「だから違うっての。まあこいつとは……幼なじみっていうの? 単なる腐れ縁っていうか」

「お、お、幼なじみ!」


 おおげさに驚いてみせる。とたんに目の色を変えて直希にすり寄ってきた。


「背高いね? 180ぐらいある?」

「180はないっすね」

「二年だよね? 何組の人?」

「一組の人です」

「ふだんなんて呼びあってるんですかぁ?」

「僕はよく陰キャくんとか呼ばれてますが」

「姫乃のどのあたりが好きですか~?」


 ダン! と姫乃が机を叩く音がする。

 しかしさすがは陽ギャ、おそるべきコミュ力だ。答えやすい質問からさらりと核心にシフトした。


「幼なじみってことは、あんなことやこんなことも知って……」

「いや幼なじみって言っても、小学生の時にちょっと一緒だったぐらいっすかね。あとは親同士が仲いいぐらいで」


 正直に言う。あとで「なに幼なじみづらしてんだよ」と詰められると困る。

 

「へえ、それじゃ今は……」

「ちょっと! 来て!」


 質問攻めを遮るように、姫乃が荒々しく席を立った。

 直希に目配せしたのち、後ろの戸口に向かって歩いていく。


 直希はあとを追って教室を出た。姫乃はわきめもふらず早足で廊下を行く。階段前の踊り場まで来ると、立ち止まった。振り返って睨んでくる。


「なに? どうした?」

「勝手に余計なこと言うなっての」


 ややお怒りのようだ。そんな予感はした。

 

「あいつらマジでうざいからさぁ。いろいろ言われるとめんどくさいじゃん?」


 ふと隣の席の琴音の顔が思い浮かぶ。

 それは直希も身に染みている。逆の立場なら姫乃と同じようなことをするかもしれない。


「じゃあ今後はまったく見ず知らずの、赤の他人ってことで」

「いや、そこまではしなくていいけど……」


 姫乃は目線を落として息をついた。少し落ち着いたようだ。

 改めて彼女の全身を見下ろす。思ったより頭の位置が低く感じた。学校の廊下で、並んで立っているのが不思議だった。


「やっぱり学校で話すとなんか変な感じがする」

「それな、あたしも思った」

「意外になかったね今まで」

「う~ん……」


 あいまいな返事で話はとぎれた。まだなにか腑に落ちないのか。

 ご機嫌を伺うように、直希は腰をかがめて姫乃の顔をのぞきこむ。


「まだ怒ってる?」


 やや上目遣いの瞳と見つめ合う。西日が差し込んで、表面がきらきらと光る。


(これが少女漫画的なキラキラ……?)


 とは違うだろう。日差しが映り込んだだけだ。けれどきれいに見えた。

 姫乃は目をそらしながら、ぎこちなく笑った。


「いやべつに怒ってない、怒ってないって。いきなり来ると思わなかったからびっくりして。こっちこそごめんね、返すの忘れてて」


 慌てて手をふる。その動きも少しぎこちない。

 その仕草を見て、なんとなく頭を撫でてやりたいような気分になった。


 もちろん実際そんなことはできない。それこそ怒りを買うであろうことうけあいだ。ごまかすために別の話題を振った。


「今日って、バイト?」

「ううん、今日はない」

「昨日も休みだった?」

「昨日は入ってたけど。……なに? 急に」


 なぜそんなことを聞いたのかと自分でも疑問になる。 

 姫乃は昨日直希の家に姿を見せなかった。けれどバイトのときは必ず寄るなんて話はしていない。 

 返答に窮していると、姫乃はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「あらあら? もしかしてまたあたしと一緒にご飯食べたかったのかな?」

「あ、いや、今日は母さんいるから無理……」


 言いかけて口ごもる。

 今の否定の仕方は違ったかもしれない。

 まるで母がいなければ一緒に食べたい、というような言い方になってしまっている。

 

 今度はお互い黙ってしまう。また目があって、変な空気が流れた。

 しかしすぐ沈黙を裂くように、チャイムが鳴った。


「あ……じゃあ」


 教科書を持った手を軽く上げて、身を翻した。数歩もいかないうちに、姫乃が隣に追いついてくる。


「ねえ、そうだ。この前のお礼の件だけどさ。行くでしょ?」

「え? ああ……」


 一緒になにか食べに行く、という話だ。

 いちおう予定空けておいて、と言われていたが、もとから特に予定はない。

 

「それ、決まった?」

「うん、一応……。あーじゃあ、あとで連絡するね」


 廊下の途中で足並みがわかれる。

 姫乃は笑って手を振ると、直希を追い越して教室に入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る