第28話 一緒に食べる?

「ひかり?」


 直希は曲がり角で女子生徒の背中を呼び止めた。

 びくりと背筋を伸ばしたあと、彼女は立ち止まった。おそるおそる、といった様子でゆっくり振り返ってくる。


「あ……」


 大きな黒目が泳いで、上目に見つめてくる。さらりと前髪が横に流れた。

 彼女は黒崎ひかりで間違いなかった。それでも少し自信がなかったのは、正面から見合ったことが数えるぐらいしかないからだろう。

 

「あ、天野直希です。どうも」


 きっとそれはお互い様だと思い、改めてあいさつする。

 こうして面と向かったのは、それこそ別れを告げられたとき以来だ。

 ひかりは小さく会釈を返してくる。


「ど、どうも……」

「どうしたの? こんなとこで」


 尋ねると、ひかりは一度うつむいて口をつぐんだ。

 しかしすぐに意を決したように顔を上げる。


「あっ、あの、お箸……」

「おはし?」

「ま、また、わ、忘れちゃって……」


 大仰に言うので何事かと思った。

 すぐに彼女と以前した会話にいきあたる。あれはやはり冗談ではなく実話だったらしい。

 ひかりの言葉は圧倒的に足りていなかったが、直希はそれだけでおおよそ察した。


「カバンに割り箸あるからあげるよ。今持ってくるから、ちょっと待ってて」


 すぐさま教室にUターンしようとする。そのときひかりが小脇に抱えた小さいカバンに目が留まった。 


「それ、お弁当……持ってきたの?」

「えっ、あっ……ち、ちょっと間違えて……」


 うろたえながらひかりはカバンを後ろ手に回した。

 周りのやかましさに辟易してばかりで、直希自身まだ弁当に手を付けていないことに気づく。

 ふと思いつきで口にしていた。

 

「そしたら、一緒に食べる?」

「えっ……?」


 ひかりが目をみはらせる。大きな瞳に外の光が鏡のように映りこんだ。

  

「でも、楽しそうに話してたから……」

「楽しそうに話すっていうか、なんか勝手に周りが話しかけてくるっていうか」

「そ、そうなんですか……?」

「とりあえず、いろいろ取ってくるから。待ってて」


 直希は急いで踵を返す。こころなしか足どりは弾んでいた。




  

 ひかりとともにやってきたのは、グラウンド隅にあるベンチだった。

 ベンチといっても背もたれもない簡易なものだ。だいぶ年季が入っていて、元は白い木材だったものがくすんだ茶色になっている。

 

 実はここ、このあいだ姫乃に呼び出された場所でもある。

 姫乃は単純に人の来ない場所、ということで選んだのだろうが、直希はひそかに気に入っていた。

 この場所を知らなければ、ひかりを誘わなかったかもしれない。

  

「ここ結構よくない?」


 直希は腰掛けるなり尋ねる。今日も周囲に人の影はない。

 少しだけ間を空けて座ったひかりは、無言で小さくうなずいた。

 

(ちょっと強引だったかな……)


 ひかりのリアクションはいまいちかんばしくない、ように見える。誘いをかけたのもかなり一方的だった。

 今さらながら少し反省する。けれど妙に浮かれていたのも事実だ。

  

(まぁ今は友達だし、べつにそこまで神経質にならなくても……)


 と思うことによって、多少は罪悪感が薄れる。

 もちろん友達だからといって何をしてもいいというわけではないが、異性として誘うのと友達として誘う、のではずいぶん話が違ってくる。


 会話という会話がないままに、直希は弁当箱を開いて食べ始める。

 今日は気が向いたので自分で作ってきた。といってもウインナーと卵を一緒に炒めて、白米と一緒にぶちこんだだけの手抜き弁当だ。

 

 やや遅れて、ひかりは直希が渡した箸を袋から取り出した。いつだったかコンビニでもらった割り箸だ。

 ひかりの弁当は小さめだった。ちらりと盗み見ると、白米の他に赤、緑、黄色、茶色、とバランスよくおかずが入っている。

 

 思えばこうやってご飯を一緒に食べるのは初めてのことだ。

 これでかつては彼氏彼女だったというのだから、あれはいったい何だったのかと思う。

  

 いま思い返すと、急に恋愛だ、彼氏彼女だ、と騒いでいる連中を、ちょっとバカにしている節があったのだと思う。

 そういうものに縁がない人間の僻み、のようなものもあったのだろう。いわゆる陰キャ特有のひねくれ思考だ。

 

 とはいえ今もそれが抜けきったとは言いがたい。滝澤や池田を、冷めた目で見てしまうことはある。

 けれどそういう自分に気づけたことを、大きな前進と捉えることもできる。

 

 箸を口に運びながら、直希はいつしかそんな事を考えていた。

 気づけばお互い一言も発していなかった。直希もどちらかというとご飯は静かに食べたい派だ。

 けれどずっと無言では一緒に食べる意味がない。気がついたことを口にする。


「食べ方きれいだね。お上品」


 ひかりは箸を動かす手を止めた。直希の足元に視線を向ける。


「そ、そうですかね……」

「そうだよ」


 ひかりの顔に赤みが差した。髪で輪郭が隠れてはいるが、肌が白いので変化がわかりやすい。


「ど、どのへんが?」

 

 具体的に何がどう、と言われると難しい。

 箸の持ち方、動かし方だったり。弁当箱を持った手の形、肘の角度、足の揃え方……などなど、言い出したらきりがない。

 まるでなにかのお手本のようだ。それだけで絵になる。


 歩くときはうつむきがちなことが多いが、今はしっかり背筋が伸びていた。

 食べるペースも一定で、いっさい音をたてずに食事を進めている。

 

 あまり比較するのはよくないが、スマホ片手に片肘をついてパクパクしていた姫乃とは雲泥の差だ。

 

「どのへんっていうか、もう全部?」

「あ、えっと……食べるときは、うるさくしつけられたので……。うちの家……特におばあちゃんがそういうのすごく厳しくて」


 気持ち悪いから、気味が悪いから。避けられている。

 逆だ。

 完璧なものを見せられると、自分はどうだったかと気になってしまう。隣に並びたくなくなる。近寄りがたくなってしまう。

 

「なんか今、ひかりになんで友達できないか、ちょっとわかったような気がする」

「え? えっと、それは、負のオーラがすごいから……」

「それもあるかもだけど、相手が気後れしちゃうんじゃないかなって」

「そ、そんなことないですって……」

「今僕がそう思ったから」


 話しかけにくい、という意味ではかわりない。

 ひかりの極力目立たないように、という振る舞いも、悪い意味で功を奏している。

 

「やっぱ表情が硬いのがよくないよね。笑ってる顔見たことないもんな」


 横顔をのぞきこむ。ひかりがうつむくと、髪で顔が隠れた。

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