第22話 もしかしてカレシ?

「えっ、あ……ナオ?」


 姫乃の目元が緩む。いつもの勝ち気な気配はない。

 じっと見返していると目をそらされた。不思議に思って聞く。


「ん、どうかした?」

「……や、たまに常連のおっさんとかが声かけてくるから、それかと思って」

「どうも新人のおっさんです」

「やめい」


 姫乃は自転車のそばに立つと手で前髪を撫でるように触った。不審そうな目つきを向けてくる。

 

「あんた、なにしてんの?」

「なんか食べるもの買いに来た。ついでに姫ちゃんがどんな感じで働いてるのか見てみようと思って」

「は?」


 姫乃の口がぽかんと半開きになった。間の抜けた顔を見て、直希の口から自然と笑みがこぼれる。


「もう上がりなんだ? 残念」

「な、なにがよ?」 

「働いている姿見てみたかったなって」

「うわ、うぜーやつじゃん。てか、ご飯まだ食べてないの? 一人? 恵さんは?」

「飲み会行った。帰りは遅いかな~、さすがに今日中には帰ってくると思うけど」

「ふーん?」


 姫乃は小さく唇をすぼめながら、何事か考えるようなそぶりをした。しばらく迷っているようだったがやがて、


「じゃあしょうがない、一人でかわいそうな陰キャくんと、あたしが一緒にご飯食べてやるか」


 自転車のかごに入ったカバンを肩にかけた。中からスマホを取り出し、何事か文字を打って懐にしまう。


「ほら、行くよ」

「行くって?」

「ご飯買うんでしょ? あたしも買うから」

 

 先に歩いていってしまう。

 直希は彼女のあとについてコンビニの中に入った。


 夕方のピークが過ぎているせいか、店内に客の影は二、三人ほどしか見当たらない。

 姫乃は弁当類が並ぶ冷蔵棚の前にまっすぐ向かった。直希もその背後で立ち止まる。弁当よりも先に、後ろで縛っている姫乃の髪に目が留まった。


「髪縛ってるんだ」

「バイトのときはまあ、適当に」

「それもっと高いとこで結んだら似合いそう」


 姫乃は無言で振り返って直希を見上げてきた。そのまま何も言わずに棚に視線を戻す。


「んーどれにしよっかな~」

「店員さんのおすすめは?」

「そういうのないし」

 

 そっけなく言うと姫乃は棚からサンドイッチを一つ手に取った。それきり別の棚に足を向けようとする。


「え、それだけ?」

「あとはお菓子買う~」

「いやそれ晩飯でしょ? も~ダメじゃないのよこの子はちゃんと食べないと」

「おかんか。人のことはいいから早く自分の選びなよ」


 姫乃が声を荒げると、うしろを通りすがった女性店員が足を止めた。


「あれ、伊藤さん……?」


 姫乃と似たような髪色をしている。見たところ直希たちよりいくらか年上のようだ。彼女は手にしていたタブレット端末から目を離して、直希と姫乃の顔を交互に見比べるようにする。


「あ、ちょっと、ご飯とか買ってこうと思って……」


 姫乃がまるで弁解をするように言う。女性店員は意味ありげな笑みを浮かべると、姫乃に肩を寄せながら声をひそめた。


「……もしかしてカレシ?」


 はっ、と姫乃が目を見開く。


「ち、違います!」

「え~? ほんとかな~?」

「だから違いますって!」


 姫乃が激しくかぶりを振る。女性店員の矛先が直希に向いた。


「そんな否定することないじゃんねえ? で、実際は?」

「あ、えっと……」

「いいから仕事してください!」


 直希が何事か答える前に姫乃に遮られた。女性店員は笑いながらおおげさに肩をすくませて逃げていく。

 

 その向こうでカウンターの中にいる男性店員がジロジロと視線を送ってきた。こちらはなにか声をかけてくるわけでもない。まるで人を値踏みでもするかのようだ。


 なんとなく居づらいので、直希はさっさと弁当を選んでレジへ向かった。「温めますか?」と低い声で聞かれたが断った。会計を済ませて先に店の外へ。駐輪場で待っていると、しばらくして姫乃が店から出てくる。


「それ買いすぎじゃ?」


 直希は姫乃が肩にかけているカバンを指をさす。膨らんだカバンのファスナーは閉まり切っておらず、お菓子の袋が少しはみだしている。


「べつにいいじゃん。自分で働いて稼いだお金なわけだし」

「そっすか」

「にしても……はぁ~あ。嫌な予感したんだけどさ」


 先ほど女性店員に絡まれたことを言っているのだろう。

 直希からしてもあんなことを言われるのは想定外だった。


「いや参ったね。陰キャなんでとっさに面白い返しが思いつかなくて」

「普通に違うって否定すりゃいいでしょ」

「違います彼氏じゃなくて彼ピですって返そうか迷ったんだけど」

「黙っててくれてよかったわ」


 やらなくてよかった。

 こういう妄想をしてしまうこと自体がまさに陰キャそのものだ。

 姫乃は自転車のかごにカバンを押し込んで鍵を外した。直希を促してくる。

 

「まぁいいや。さっさといこ」

「行くって、どこに?」

「ナオんちで食べるんでしょ」

「ああ、そういう」

「なに? 嫌?」

「べつにいいっすよ」

 

 嫌とは言わせない言い方だ。ただ、べつにいいっすよも本音ではある。

 姫乃はハンドルを握って、自転車をぐるりと180度回転させた。そのまま駐車場を横切るように自転車を転がしていく。

 隣を歩いていると、姫乃はぽつりといった。

 

「自転車……」

「ん?」

「押してって」

「はいはい」


 姫乃とポジションを交代する。自転車に乗るなら乗るで走ってついていくつもりだったが、そうはしないらしい。直希は手にしていたコンビニの袋を差し出した。


「じゃこれ持って」

「カバン取るからかごに入れなよ」


 入れ替わりに弁当をかごに入れ、ハンドルを握る。

 姫乃は歩きながらカバンから小さい棒付きのキャンディを取り出した。包装をはずして口にくわえる。かすかに甘ったるい匂いが漂ってくる。


 狭い路地に入ると急に視界が暗くなった。いつしか会話も途切れていた。街灯の下にさしかかかると、明かりが姫乃の頬を白く照らした。唇から飴が引き抜かれる。


「なんかさ」

「ん?」 

「あんたって、あんまり断わんないよね。無茶振りされても」

「そう? まあお願いされたら、べつに。明らかに達成不能とかじゃなければ」

「まあ、わかるけどね。あたしも頼まれたら断れないタイプだから」

「全然見えないけど」

「んー断れないっていうか……ゆーじゅーふだん、っていうの?」

「全然見えない」


 肩を軽くこづかれた。これも暗がりでよく見えない。

 断れないタイプというなら、頼み事をしてみたら案外通るのかもしれない。聞いてみる。

 

「その髪、もっとかっちりポニーテールっぽくしてみてほしい」

「やだ」

「じゃあツインテとかは?」

「無理」

「断りまくるじゃん」


 暗がりで顔の輪郭が動いてこちらを向いた。ふふ、と小さく漏らした笑みが聞こえて、さくらんぼのような甘い香りがした。


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