第20話 メグりん17歳JKアイドル

「じゃあね」


 優しい抑揚のある声だった。よく晴れていて、太陽の眩しい日だった。

 目の前にしゃがみこんだその人の顔は、後ろから日差しを受けて、黒く塗りつぶされていた。


「バイバイ」


 お会計をしたあとレジの店員に手を振るみたいにして、その人が車に乗り込んでいくのを見送った。

 それきりその人とは、もう会うことはなかった。寂しいとか悲しいとか、そういう感情はなかった。またすぐにどこかで、顔を合わせると思っていたのかもしれない。

 それが自分の父親だったらしいと知ったのは、ずっとあとになってのことだった。



 


 マンションの駐輪場に自転車を止めて、表のエントランスに回る。オートロックを解錠し、建物の中へ。


 直希は郵便受けを確認したあと、階段で二階に上がった。

 通路を過ぎて自宅の部屋の前へ。鍵を開けて入っていく。

 

 奥からテレビの音がする。靴を脱いでリビングに向かうが誰もいない。テレビの映像だけが垂れ流しになっていた。

 テーブルの上には食べ終わったカップラーメンと、お菓子の袋の残骸がある。


 カバンを置いて、奥の洋室に足を運ぶ。ドアは半開きになっていた。

 窓際に立つ人影を見つける。窓のブラインドに指で隙間を作り、息を殺して外の様子をうかがっている。直希はその背中に尋ねた。


「……なにやってんの?」 

「影の黒幕ごっこ」


 母の恵(めぐみ)は、身じろぎもせずに答えた。

 一瞬間をおいて、わざとらしい笑顔で直希を振り返ってくる。


「おかえりナオ。今日お母さんサークルの飲み会だからね」

「それはわかってるけど、まだ行かなくていいの?」

「あれがいなくなったら行くから」

 

 窓の下へ目配せをする。付近の路地では、女性が三人輪になって話し込んでいた。おそらく同じマンションに住む主婦たちだ。


「もう四時すぎたけど、間に合うの?」

「大丈夫、いつでも準備OKだから」 


 恵は口の端を持ち上げながら親指を立てる。立ち上がったまつげに何割か増しに大きくなった目元、色味を増した唇。


 やたら波がかった髪が揺れて、かぎなれた香水の匂いがする。

 シャツの上に羽織った上着は薄く透けていて、防寒力はなさそうだ。


「その上着、寒くないの」

「おしゃれよん。かわいいでしょ」

「ふーん」


 直希はあいまいに相づちを打つ。

 彼女は昨年から大学に通い始めた。一回りは下の二十歳かそこらの若者に紛れ、周回遅れの大学生活をエンジョイしている。 

 年齢はヒ・ミ・ツで通しているらしい。決して若作りババアなどと言ってはいけない。


「ねえ最近、姫乃ちゃんよく来てるみたいだけど」

「来てるみたいって、母さんが家に入れてるんじゃなくて?」

「だって『こんちはげんきー?』ってノリでくるから。『ご心配なくお帰りください』って言えないでしょ立場上」

 

 母の顔を見た。笑ってない。真面目に言っているらしい。


「……なに? 嫌いなの?」

「あの子しばらく見ないうちにさー、髪とか染めちゃってさ。なんかイケイケふうじゃない? お母さん中学ぐらいのときああいう感じの子にいじめられてたから、軽くトラウマなの。ちょっと怖いの」

「聞かなきゃよかった」

「もしいじめられても、ナオが守ってくれるよね」

「アホか。今いじめられないでしょ」


 恵も姫乃とは顔見知りだ。今はご近所さんではなくなったが、姫乃の母とはずっと親交がある。


 姫乃が高校に上がる際にこの町に越してきたのも、恵のすすめらしい。たまに会合と称して、飲みにでかけたりする。境遇が似ているそうだ。

 

「姫乃ちゃんねぇ~。まぁルックスは及第点あげられるんだけど。あれはきっと家事とかしないタイプね絶対」

「どの口が言うか」

「私のこと、下に見てるフシがあるし」

「それは仕方ない」


 恵にはいわゆる元気ではない、時期があった。姫乃も母親づてに聞いて、多少なりとも気にかけているのだろう。


 しかし恵の姫乃に対する好感度は高くない。

 性格その他もろもろが合わないのだろうというのは、はたからでも見て取れる。


「それで……なんかあったの? 最近あの子と」

「いや別に。バイトの帰りに寄ってるだけらしいけど」

「部屋で二人でいかがわしいことしてないわよね?」

「してないって」

「事後報告は許さないわよ事後だけに。あ、今うまいこといった」


 一人でにやにやとする。なにもうまくはない。

 直希は取り合わずに、別の質問を浴びせる。 


「あのさ、この前またダンボールで荷物届いたけど……何買ったの?」

「ひみつ」

 

 以前も母の部屋でやたらペラい学生服……コスプレ衣装を見つけてしまった。

 そうでもなくても、ときおり買ってもいない品物が送られてくる。フォロワーからの贈り物と称して。


「この前ナオに編集手伝ってもらった動画あるじゃない? あれがけっこう伸びててね」

 

 以前母は販売職をやっていた経験を活かし、化粧品の紹介動画などを出していた。それが下火になると、今度はアニメ調のキャラクターを前面に立てて、個人でバーチャルVチューバーの真似事をはじめた。


 キャラ設定は天界から落ちてきた天の恵みメグりん17歳JKアイドル。大学生ですらない。

 全力でかわいこぶってるが中身ババアだろ、というネタでそこそこウケているらしい。


「ババアイドルだとかって大きく字幕がついてたけどあれはなんなのかしら」

「それはまあ大衆受けを狙ってね」

「ちょっとやりすぎかもしれないよね。次からちゃんと相談しよっか」

「大丈夫だよ、あの切り抜き伸びてないから」

「そういう問題じゃねんだよ。滑ってたらなお悪いわ。ねえ、今度新しいゲームやってみようと思ってるんだけど、ナオも一回やってみてどんな感じか教えて」

 

 動画ではこのゲーム初めてやります、と言って初めてではない。汚い。


「初見じゃないのに『これは初見』『圧倒的初見』とかってまじでなんなの」


 反射神経がババア、リハビリ中、などというネタコメントを気にしているらしい。

 もともとゲームが好きだとか得意というわけではなく、流行りに合わせて真似をしているだけだ。こそこそと手広くやっている。


 直希も母親のそういった活動をすべて把握しているわけではない。知らないほうがいいこともある。


「あ、解散したかな」


 下の様子をうかがっていた恵が部屋を出ていく。直希もあとについてリビングへ。恵はソファの上に乗っていたカバンを肩にかけた。思い出したように中から封筒を取り出して手渡してくる。


「はいおこづかい今月分」

「え、こんなに?」

「いろいろ手伝ってくれてるから。おだちん込みで」

「その言い方なんか嫌だな」


 封筒にはパッと見て万札が四、五枚入っていた。

 最近はずいぶんはぶりがいい。気づけば新しいバッグが増えていたりする。


「じゃ、行ってくるね。ひとりでお留守番いいこいいこ~」

「気安く頭にさわるな」

「やだナオったら反抗期かしら。そんな中二病みたいな口調で」

「行くなら早く行ったら? 遅れるんじゃないの」 

「ごめんね。一人でさみしいんだよね」


 そうは言うが一人は慣れっこで、今さらだ。客観的に見れば、夜も子供を置いて遊びに、なんてのはよく思われないかもしれない。

 けれど直希は母が仕事を転々としながら、ずっともがいていた姿を知っている。


「母さんには見えてないかもしれないけど……実はこの家にはもうひとりいるんだ。なんでも話を聞いてくれる親友が」

「それやばいやつじゃないの。三者面談の時に先生に伝えないと」

 

 恵はおどけたふうに笑った。 

 つらくなっても、そのたびに軽口を叩いて笑い飛ばしてきた。わざわざ口には出さないが、直希もそんな母を素直に尊敬している。


 今はうまく時代の波に乗れて、一時的なものではあるが金銭的な余裕はできた。

 それでも母は悩んでいた。お金があればすべてが解決すると思っていたが、そうではなかったらしい。

 そして出した答えが、やれなかったことをやってみる。その一つが、大学に通うことだったそうだ。

 

「僕のことは気にしないでいいから。楽しんできて」


 せいいっぱいの笑顔を浮かべて送り出す。

 そんな母を応援してあげたい。今の自分ができる限りのサポートはしたい。


 もちろんここまで育ててもらった恩もあるけれど……何より、今の彼女の笑顔がいちばん輝いている。そう思うから。

 

「もしかしたら先輩にお持ち帰りされちゃうかも……」

「いろいろツッコミどころあるけどほどほどにね」

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