第19話 vs絶対人の椅子座るマン
その日の二時限目の授業は移動教室だった。
別棟にある理科室からの帰り道、ひかりは一人で廊下を歩く。
(いちいち理科室で授業やる意味あるんだろうか……)
素朴な疑問だった。実験をするわけでもないのに、毎回移動させられる。
何かあるのかと思ったら普通に授業して終わり。わざわざ移動させられるのが納得できない。
移動のときは基本ぼっち。この際もうそれはいい。
問題は、自分の席を離れなければならないということだ。
後ろの席の子がオタクに優しいギャルかもしれない……という点はいいとしても、彼女のもとにはやたら人が寄ってくる。
気を抜くとひかりの席は勝手に占領されている。絶対に人の椅子座るマンとの心理戦がはじまるのだ。
自分の席を死守しないといけないため、うかつにトイレもいけない。このあいだも廊下のロッカーにものを取りに出ただけで席を奪われた。
移動教室から戻ると、男子生徒が横向きにひかりの席に座っていた。
何やら夢中になって、後ろのギャルに話しかけている。
(ちょっとトイレいってこようかな……)
ひかりは教科書類を廊下のロッカーに入れて、そのまま旅立った。
時間をかけてゆっくり用を済ませ、教室に戻ってくる。ひかりの席は依然として占領されたままだった。それどころか女子が一人話に加わっている。
(あっ、ふーん……。ちょっとお散歩してこようかな……)
二階にある教室を素通りし、廊下を歩いていく。角を曲がり、別棟へ向かう渡り廊下へ。
ここの人通りはほとんどない。ただでさえ短い休み時間だ。ひかりは廊下の端を、ゆっくり歩いていく。
(もう桜、終わりかぁ。咲いたばっかだと思ったのに……)
ふと足を止めて、大きなガラス窓から外を眺めた。ちょうど目線の高さに、木の枝が伸びている。桜の色はもう残り少ない。
こうしている間も、花びらがくるくると舞いながら地面に吸い込まれていく。
気づけばひかりは外の景色に見入っていた。自然は好きだ。桜のような、特に目を引くようなものがなくても……たとえば空を見上げて、雲が動いているところなんかも、ずっと見ていられる。
けれど学校でそんなことをしたら、周りから変な目で見られるからあまりやらない。
「違う、うんこ色じゃなくて! アッシュブラウンだ!」
そのとき耳障りな高い声が廊下に響いて、はっと我に返る。男子生徒が二人、向かい側から近づいてくる。
背丈の低いほうがしきりに声を荒らげていた。うんこ色もといアッシュブラウンとは、彼の髪色のことを言っているのだろうか。遠目からも危険そうな陽キャの匂いがする。
このまま一人で突っ立っていると、不審がられる。
危険を察知したひかりは、うつむいたまま早足に歩き出した。できるかぎり端っこを歩いて、すれ違う。
「なあポジティブに行こうぜ? ポジティブに!」
「うるさい」
「うるさいってなんだよ! 俺がか! うるさいってか!」
やかましい声の合間に、低く耳慣れた声がした。つい横目で、ちらりと視線をやる。
(あっ……)
背の高い方の男子と目があった。正確には向こうがこちらを見ていたところを、ひかりの視線が捉えた。
まさかと思ったらそのまさかだった。こんなところで遭遇するとは。
(なおくんだ! 気づいた! 気づかれた!)
驚いた顔をした直希は、口を開いて、何事か言いかけた。
しかしひかりは反射的に顔をそむけてしまった。うつむいたまま、早足にすれ違っていく。
(やってしまった……。なぜかぷいってしてしまった……)
これが噂に聞く、好きよけというやつだろうか。偶然会えてうれしい……はあるのだが、それより恥ずかしさが勝ってしまう。
校舎を一周して戻ってきた。早い時間からムダに疲れた。
けれどいいことがあった。この旅も完全に無意味ではなかった。終わりよければすべてよし。
教室の前まで帰ってくると同時に、予鈴が鳴った。
これでやっと戻れる。ひかりは後ろの戸口から入って、自分の席に近づく。
(ってまだ座ってるぅ! チャイム鳴ったのに!)
ひかりの席にはなおも男子生徒が腰掛けていた。スマホを手にして、後ろのギャルに見せつけている。
これも元をたどれば、原因はあの女だ。すべては後ろのギャルのせいなのだ。なにも彼らはひかりの席を奪って喜んでいるわけではない。彼女に話しかけたいがために、その前の席に座るのだ。
やはりオタクに優しいギャルなどというのは幻想だ。ギャルはオタクにとってライバル、そして絶対にかなわない仇敵なのである。
(貴方さえっ……貴方さえいなければぁっ……!)
ひかりは一番うしろの席の背後から、ギャルの背中に無言の圧をかけた。まるで負け確のライバルキャラにでもなった気分だ。
(というか、わたしが存在してるのが悪いんですよね。生きててすいませんでした)
しかしすぐに考えを改める。こんな負のオーラを放つ人間が前に座っていたら彼女のほうこそ迷惑だろう。
授業参観的なポジショニングになってしまったが、もうどうしようもない。声をかけるにしても、どう言ったらいいものか。
「……でさぁ、これマジでウケたんだけどさ、」
「ねえ、そこ黒崎さんの席でしょ、早くどいてあげなよ」
突然ギャルの口から自分の名前が出た。ぎくっとする。
(えっ……? 名前、覚えられてる?)
呆然としていると、彼女がひかりを振り返ってきた。前に座る男子生徒の顔を指差しながら、いたずらっぽく笑いかけてくる。
「ほら、お前邪魔だよどけよ、っていってやっていいよ」
「えっ? あ、は、はは……」
ひかりはかろうじて頬を引きつらせてこたえる。すぐさま男子生徒が不満げに声を上げた。
「えーなんだよ~。ひどくねー?」
「いいからのけ。しっしっ」
手で追い払う仕草をされ、男子生徒は笑いながら席を立った。邪険にされても怒っている素振りはない。
やはりこのギャル、相当な実力者なのかもしれない。
「ほら、あいたよー」
「す、すいません……」
「ごめんね、こっちも気づかなくて」
あいかわらず優しい。これは本物かもしれない。
自分が陰キャ男子だったらきっともう惚れてるだろう。いや下手すると同性でもわからない。
(あれ? でも男子とかにはそっけないのに、これって……?)
陰キャ女子が陽キャ女子にカミングアウトされ言い寄られて、戸惑いながらもいつの間にか受け入れてしまう。
この前SNSで流れてきた漫画で見た。わりとよかった。
席についたひかりは、またもシチュエーション妄想に入った。
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