第18話 プリント回し職人
「髪の毛さらさら~。ほっぺたぷにぷに~」
「だから、やーめーろっていってんの!」
「や~んひめのん怒った~」
「怒った顔もか~わ~いい~」
けらけらと笑う声がする。一人を除いて声のトーンが高い。
今日が特別なのではなく、ふだんからこんな調子だ。
「今日マジ眠いから。あっちいって」
「あらら? ひめのんおねむかな? 寝てる間にキスしちゃうぞ~」
「きゃはは、変態オヤジかよ」
(レベルが高すぎて全然参考にならない……)
世間的にお嬢様学校と言われていた前の学校にはまったくいなかったタイプだ。
ひかりはできるかぎり接触をしないよう心がけている。いくらうるさかろうが後ろを振り向いたりはしない。注意するなどもってのほか。ひたすらなにも聞こえていないかのように佇む。
「ねえ、ひめのんはどうしてそんなにかわいいの? なんか一周回ってムカついてきたわ」
「よっしゃパンツ見せろパンツ」
(朝からパンツ見られるとか、陽キャ怖すぎる……)
あいさつがどうとか言っている次元ではない。恐怖で身が震える思いだ。
ひかりは制服のポケットを探って、包み紙にくるまれたチョコレートを取り出した。好物を口にすることで、いくらか精神を安定させる。
「ねえねえまた動画撮ろうよ。この前のひめのんがちょっと見切れたやつさ―。めっちゃ再生回ったんだよね。コメントもすごい付いてたし」
「あれやばいよね。アタシらもう有名人じゃん」
ひかりは戦慄する。
自分が配信者ごっこをしている間に、彼女らははるか先を行っている。
「てか、勝手に動画撮って上げるのやめてくれない?」
「ちょっと映っちゃっただけじゃん。でも逆にそれがよかったんだよね、『そんなことより後ろの子が気になる』とかって言われてて」
「あんた『邪魔』って書かれてたよね。キャハハ!」
手を叩く音と甲高い笑い声が交互に響く。
しばらく騒いだあと、陽ギャ女子たちは去っていった。
静かになった後ろの席から、「はぁ……」と小さくため息が聞こえる。
会話から察するに、この後ろの席のギャルはグループでも格下なのかもしれない。
しかしわざわざお仲間がここに集まってくるということは、リーダー格とも取れる。それかマスコット枠か。不思議なポジションだ。
いずれにせよ、前に座るひかりにとっては迷惑以外の何物でもない。
「おっす、今日の小テスト勉強した?」
「ん? あぁ……」
また後ろから話し声が聞こえてくる。
今度は男子から声をかけられている。やってくるのは女子だけではないのだ。
「てかあいつらマジうるせーよな」
「うん」
「まぁ、あんま気にすんなって」
「おん」
気遣ってくれているようだが、彼女はひたすらダルそうに相づちをしている。
「あのさ、今日の放課後篠崎たちとカラオケ行くんだけど、伊藤も来ない?」
「うーん、バイトあるから無理かも……」
「じゃあさ、今度の連休……」
「連休~? はちょっとわかんない……」
まったく乗り気ではなさそうだが、しつこく誘われている。聞いているこっちがやきもきしてくる。
(なんかやな感じ……。すっぱり言ってやればいいのに……)
ひかりは言い寄ってくる男子を軽くいなすシチュエーション妄想にふけりだした。そのうちにチャイムが鳴った。朝のホームルームが始まる。
担任がひととおり話を終えると、クラス全体にプリントが配られ始めた。
毎度のことながら、このプリント回しがくるたびに気が張り詰める。ひかりは後ろのギャルに回さなければならないのだ。
前からプリントの束を受け取る。すぐに自分の分を抜いて、残る一枚をつまむ。 前を向いたまま手だけ後ろにやると、偉そうに見えてしまう。下手に振り向いて、目が合ってしまうのも困る。
半分ほど振り向く。正確には75度の角度。
極力後ろを見ないようにしながら、腕だけはしっかり回し、これ以上なく取りやすいポジションにプリントを差し出す。
いつしか身についた技術だ。この正確さと繊細さは、もはやプロと言っても過言ではない。
(あれ……?)
プリント回し職人の頭に不安がもたげた。
いつもならすぐに指の間からプリントが抜かれる。しかしいつになってもその気配がない。
(な、なにか粗相がありましたでしょうか……?)
ぎぎぎ、と首を限界地点の90度近くまで回し、横目で様子をうかがう。
飛び込んできた光景に、ひかりはうげっと目を見開いた。
うしろの陽ギャ女子は腕を枕にするようにして机に突っ伏していた。どうやら眠っているようだった。ホームルームが始まったことにも気づいていない様子だ。
(ど、どうすれば……? このプリントは……プリントを……?)
突っ伏した頭の上に無言でプリントをのせる。いやこれはまずい。あおりにも取られかねない。
ならば声をかけて起こす。いや眠りを妨げるなどめっそうもない。
プリントを持ったまま、硬直すること数秒。
このままだと周りの注目を浴びてしまう。
焦ったひかりは、プリントを机と彼女の腕の隙間に差し込んだ。かなりの高等技術だ。
しかしプリントから手を離そうとした瞬間、伏せていた頭が突然むくりと起き上がった。
同時に肘が手前に引かれる。ビリっと鋭い音がした。
(ひぎいいいっ!? 破けた!?)
プリントはひかりがつまんでいる部分がまるまるちぎれていた。しきりに手で目元をこすっている後ろのギャルと目が合う。
「あっ、ご、ご、ごめんなさい!」
「……え? あ、うん」
すぐさま謝罪をすると、彼女はきょとんとした顔でうなずいた。
ひかりは慌てて自分のプリントをつかんで差し出す。
「ここ、こっちは破けてないんで!」
「や、いいよ。こっちで」
彼女は破けたプリントを小さくひらつかせた。まったく気にもとめていない様子だった。
「ごめん、完全に寝てたわ。ビビった」
「すすす、すいません……」
「あはは、なんで謝ってんの」
怒るどころか笑っている。
こうやって正面から顔を見たのは初めてだった。勝手にやさぐれた姿を想像していたが、ずいぶんイメージが違った。
末広がりの二重まぶたはきれいに左右対称だ。鼻筋がすっと通って、先端も高い。
きりっとした目鼻立ちをしているが、緩んだ口もとには幼さが残っている。
メイクにもそこまで派手さはない。明るい髪色も下品さを感じさせない。肌の白さと相まって、日本人離れしている感すらある。
不意に笑いかけられてどきりとした。
さんざんかわいいかわいいと聞こえてくるのにも納得できる。見た目だけで圧倒的カースト上位勢なのがわかる。
そんな彼女が、なぜだかひかりの顔を注視して固まっている。正面から初めましてはお互い様かもしれないが、こちらはじっくり見て面白いものではない。
「ど、どうも……」
頬を引きつらせて愛想笑いを返す。ひかりは逃げるように前を向いた。心臓がバクバクいっている。
(焦ったぁ……。でも案外いい人なのかも……? かわいいし……ギャルはオタクに優しいっていうしね!)
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