第17話 後ろの席のギャル
雲ひとつない青空から、朝のやわらかい日差しが降り注いでくる。ときおり頬を撫でていく優しい風は、初夏の匂いを感じさせた。
家を出るのが遅れたせいで登校時間のピークになってしまった。大勢の生徒たちが校門へと吸い込まれていく。その群れの中に黒崎ひかりはいた。
アスファルトにまぶされた桜の花びらを踏みしめながら、一人うつむきがちに、とぼとぼと歩いていく。
「……くしゅっ」
くしゃみのたびに漏れる声は、できうるかぎり最小限にとどめる。
重度の花粉症のためマスクは必需品だ。春のうららかな陽気などよりひたすら花粉。とにかく花粉がにくい。
いつもは周りから聞こえてくる会話が気になったり、今日一日これからの心配ばかりしているのだが、ひかりの頭の中は別のことでいっぱいだった。
例の幼なじみ、のことだ。
彼との二人きりの通話に、最近邪魔が入るようになった。
昨日もノリノリでゲーム実況をしていたはずが、中断を余儀なくされた。
こっそり盗み聞きをすると、断片的に二人のイチャイチャが聞こえてきて死にたくなった。直希はあくまでただの幼なじみだというが、すでにそういう関係だと言われても違和感がない。
(なんかラブコメっぽいことしてるし……)
しつこい男子の誘いを、直希がかわりに断った、という話。
なんとも思っていない相手に、彼氏のふりなんて頼むだろうか。そもそも夜遅くに部屋にやってくる時点でおかしい。
ところどころ聞こえてくる声はツンケンしてはいるが、やってることは片思い中のアプローチと取れなくもない。本当のところはわからないが。
(もしかしてツンデレ幼なじみとか……? 一周回って斬新では……?)
巷では負けヒロインだなんだとネタにされることもあるが、実際目の当たりにすると相当強い。自分のようなぽっと出の陰キャが太刀打ちできるはずもない。
(きっとなおくんは優しいから、ああいうわがままな子にもしかたなく付き合ってあげてるんだろうな。うん、そうに違いない)
強引にそう思うことにした。
しかしわがままな子に付き合ってくれている、はひかりに対しても言えることだ。
昨日だって相談事が一段落して、そのまま終了してしまいそうだった。焦ったひかりはつい、「ぼっちなので友だちが欲しい」と直球で口走ってしまった。
(同じクラスに友達……。もう無理なのでは……)
新しいクラスになってすぐ、ならまだ救いはあった。しかし今はもうある程度グループが固まってしまっている。
ひかりはもともと転校生だ。それまでは私学に通っていた。かねてからの知り合いだとか、顔なじみもいない。
(どうなったか報告しろって言うし、なんもしなかったら怒られそうだし……)
悩み事を聞いてくれるのはいいのだが、ちょっとガチすぎる。正直いうと話を聞いてくれるだけで、そこまで本気で解決しようとしなくてもいいのだけど。しかしおかげさまで二人きりの通話にはだいぶ慣れた。
(あっ、でも命令されるのも悪くない……。ツンデレ上司とかいいな……)
いつぞや読んだ漫画を思い出した。
妄想中はわりと周りの目が気にならない。意識がトリップしているともとれる。
気づけば教室はもう目の前だった。ひかりは我に返る。
教室の敷居をまたぐなり、呼吸が重たくなる。いつものことだ。
部屋の中央、うしろから二番目がひかりの席だ。わき目もふらずまっすぐ向かう。
幸か不幸か、前後の席は空席だった。唯一着座しているのは右隣の席の男子だけ。
ちらりと横目で様子をうかがいながら、ひかりは机にカバンを置いた。
(こ、ここで、あいさつを……)
するなら椅子に座るこのタイミングだ。
しかし周りの騒がしい雰囲気に当てられてか、喉が詰まる。静かな自分の部屋で通話、のときのようにはいかない。声を出そうとするとまずカハってなる。
「おっ、おはよ……」
なんとか口にすることができた。
しかし誰からもなんの反応もない。隣の男子は机にべたっと両肘をついて、スマホを触っていた。
「おはようわたし」
小声でつぶやいて席につく。
自分に言ったことにしてなかったことにした。
(意外にハードルが高い……)
直希はあいさつが大事というが、これまで無言で席についていた人間が急に「おはよう!」とハキハキ声をかけたら頭がおかしくなったと思われるに決まっている。下手するとさらに距離を取られてしまう。
(なおくんは全然わかってないね。現場をわかってない)
彼は自分のことを陰キャ陰キャというが、ひかりに言わせてみればファッション陰キャ以外の何者でもない。
まさにぼっち陰キャ、という言葉がぴったりな自分に比べ、直希は孤高の人、といったイメージだ。
話しかけられれば普通に応対しているし、必要があれば男女問わずコミュニケーションを取っている。
ふだんは寡黙でもやるときはやる。ひかりから見て羨ましい部分でもある。
去年同じクラスのときにこっそり観察していて思ったことだ。
大きくわけて陰キャだとしてもタイプが違う。だからそういう細かい機微がわかるとは思えない。
しかし悪いことばかりではない。
直希に友達ゼロとバレても見捨てられなかった。着実にひかるん理解度が上がって、彼の育成が進んできている。
結局ひかりはいつものようにスマホを眺め始めた。
特に通知などはない。こそこそとSNSなどを流し見る。画面を誰かにのぞかれると困るので、学校ではあまり触らない。
かわりにカバーを掛けた文庫本を取り出して読み始めた。うちに大量にある時代小説だ。祖父が好きで集めたものだ。以前ひかりは漫画やゲームから入った連中は認めない派閥にいたが、今はみんな仲良くという悟りの境地に達している。
そのとき背後から荒々しく椅子を引く音がした。後ろの席の女子が登校してきたようだ。
ひかりは反射的に身を縮こまらせる。
「ひめのんおはー」
どこからともなく高い声がして、短いスカートをはいた女子がひかりの席のわきを素通りする。気配はすぐ後方で止まった。香水のような香りがかすかに漂ってくる。
「おうおう、今日もひめのんはかわいいねえ~?」
また別の声がする。
彼女らはいつも一番うしろの席……ひかりの後ろの陽ギャ(陽ギャル)のところに集まってくる。
みんなお仲間らしく制服を着崩していて、髪色も抜けている。いわゆるイケイケ女子たちだ。
ひかりが見るかぎりでも、このクラスのトップ層であることは間違いない。
「朝からテンション高いんだよ……」
「それな!」
「お前だよ」
前に座っているひかりには、嫌でも会話が聞こえてくる。
いつもはイヤホンで耳をふさいで音を遮断する。しかし今日はそういうわけにはいかない。直希のアドバイスに従って、会話からトーク技術を盗むのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます