第16話

 姫乃が出ていったあと、直希は椅子に座ったまましばらくぼうっとしていた。 


(お返し、か……)


 直希が耳元で囁いたことを言っているのだろう。

 どうやらこの行為、するよりされるほうがダメージを負うらしい。吐息を吹きかけられること自体はなんてことないのだが、その裏にある意図をいろいろと勘ぐってしまう。 


(あんなにかわいかったっけな……)

 

 容姿が整っているというのはわかっていたことだが、それだけでは説明がつかない。

 怒った顔と、得意げな顔。照れた顔を交互に思い浮かべる。表情がつくことで魅力は倍々に伸びていく。


 単純に体が成長したというのもある。すらりと伸びた手足や、曲線を描いた腰つき、膨らんだ胸元。

 垢抜け具合とも相まって、直希の記憶の中にある彼女とも、ずいぶん印象が違う。

 

 会うたびにマウント発言をしてくる、罵倒される。それは前から変わってない。

 実際上の存在なのだ。ずっと自分とは違う人種だと思っていて、他人事のように見ていた。恋愛対象だなんてのは恐れ多い。

 それは彼女だって同じ認識のはずだ。


(いったい何を考えて……いや、もしかしたら……? にしても黒か……)


 一瞬姫乃のスカートからのぞいた下穿きの色だ。あれは見せパンだったのかどうなのか。気づけば頭の中で映像を巻き戻していた。

  

 全力で思考がそれていると、机の上のスマホからかすかに物音がした。 

 そういえばひかりと通話中だったことを思い出す。スマホの画面をのぞくと、ひかりのステータスはオンラインになっていた。


「ごめんごめん、例の幼なじみがまた来てさ」


 声をかけるが返答がない。

 ややあって、なんとか聞き取れるぐらいの声が聞こえてくる。


「いえこちらこそ、お邪魔してすみませんでした……」

「はい?」

「それでは失礼します……」

「え、ちょっと?」


 今にも消え入りそうな声だ。

 そのままいなくなりそうだったひかりを引き止める。

 

「いいよゲーム実況の続き、どうぞやってもらって」

「やれませんこんなテンションで」

「あれ? なんか怒ってる?」


 ボソッと言うので聞き取りづらい。

  

「……なおくんは自分のことよく陰キャ陰キャっていうけど、全然陰キャって感じじゃないですよね」

「いやいや陰キャだから。会うたびに10回は言われてるし」


 回数はちょっと盛ったが姫乃には毎度言われる。

 

「だって女の子とも、仲良さそうにしゃべってるし……」

「いや女の子っていうか……彼女とは多少慣れてるからさ。あ、もしかして聞いてた?」

「へ? き、聞いてたっていうか、ち、ちょっとだけ? き、聞こえてたみたいな?」


 姫乃にうるさいと言われていなくなったと思ったが、どこから聞いていたのか。

 聞かれてそこまで困るような会話はしていないはずだが少し気まずい。  

 

「けどこうやって話してると、ひかりも全然陰キャって感じじゃないよ。普通にコミュニケーション取れてるし、むしろ明るいし、しゃべってて楽しいし、面白いし」

「えっ? そ、そう?」

「だからもう僕に教えることはないよ。ひかりの「話がうまくなりたい」「緊張せずしゃべれるようになりたい」っていう相談はもう解決。おめでとう」


 こうやって一対一で話している分には、特に劣っているようには感じない。

 本人の気持ちの問題か。はたまた周りの環境のせいか。

 しばらく沈黙があった後、ひかりの慌てた声がする。


「……そ、そしたら、つ、次の相談!」

「え? 次?」

「だ、ダメ?」

「いや、いいけど……」


 まだあるというなら、じゃあこれで終わり、と締め切ってしまうのも酷だ。それに頼られて悪い気はしない。

 

「えっと……学校で、しゃべる相手がいなくて……」


 去年同じクラスだったときも、彼女が誰かと話しているのを見たことがない。というかほとんど存在を感じなかった。誰が誰と話してようがさほど気にしていないというのもある。


「友達……ガチでいないの?」

「うっ……。ぜ、ゼロじゃないですよ? だってなおくんがいるもーん」

「僕以外で」

「ぬっ……あ、あかりちゃんがいます!」

「それ誰? 同じ学校の人?」

「うちの妹」


 妹を友達に数えるという暴挙に出た。急に心配になってくる。


「うーん、やっぱり同じクラスに友達を作るのがいちばんだろうね」


 ここは一つ提案をしてみる。

 直希にしてみれば友人がいなくても大丈夫なようにメンタルを鍛えたほうが早いと思ったが、それは相談の回答としてはそぐわない。

 大勢でなくとも友人が一人いるかいないかで、ずいぶん話は変わってくるはずだ。

 

「って言われても、どうやって話に入ればいいか……」

「まわりがどういうふうに話してるか聞いてみるとか。つまり人から盗む」

「ちょ、ちょっと難しいかも……」

 

 いきなりハードルを上げてしまったか。

 そういう直希自身も、女子同士が普段どういう会話をしているかよく知らない。

 

「そしたらまず、朝からちゃんとあいさつしてみたらどうかな。近くの席の人とか」

「あ、あいさつですか……」

「僕が前に読んだ本にも自分からあいさつしないやつはクソって書いてあったから」

「……そんな本ある?」

「こういうのは試行回数が大切だからね。どんどんPDCA回してかないと。とりあえず明日やってみて、結果わかったら報告して」

「……えっ、上司のかたですか?」


 ひかりの声は歯切れが悪かったが、まだまだこれからだ。うまくハマれば一気に人気者になれそうなポテンシャルを秘めているとすら思う。

「彼氏ができました!」なんて言われる日も、そう遠くはないかもしれない。いずれこの通話も終わるだろう。


「頑張って。応援してるよ」

「う……うん。ありがとう……」


 そのときも自分は今のように素直に「応援してる」と言えるだろうか。それは今はまだわからない。

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