第15話
「陰キャくんちぃーっす!」
ドアを開けて勢いよく部屋に入ってきたのは姫乃だった。のしのしと壁際の勉強机まで近づいてくる。
昨日と同じくアルバイト帰りのようだ。制服姿のままカバンを肩に担いでいる。
直希はとっさにスマホのアプリを落とそうとしたが踏みとどまる。なにもいかがわしいことをしているわけではない。
「やんっ、そこはだめ! あぁんっ、もうだめ無理っ」
しかしそのままにすると音声だけは聞こえる。声が届いたらしく、姫乃はいぶかしげに首をかしげた。
「なんか、声聞こえる……?」
部屋をさまよった姫乃の目線が、椅子に座った直希の手元で止まった。どうやらこの声が直希のスマホから発しているものだと気づいたらしい。
「えっ、あ……」
間をおいて、姫乃の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
きっとなにか誤解をされている。直希はスマホを机に置いて、すぐに釘を刺す。
「いやあの、いかがわしい動画とかじゃないっすよ?」
ある種いかがわしいといえばいかがわしいが、念のため。
姫乃は顔を赤らめつつ、慌てた動作でスマホを指さしてくる。
「じ、じゃあなによ、なにしてんの、それ?」
「ゲーム実況だって」
「はぁ? ゲーム実況?」
「いやほら、元カノがやるっていうから」
姫乃は焦り顔から一転して呆れ顔になる。
「……なんで元カノのゲーム実況を聞かされてるわけ? どういう状況?」
「それは僕に言われてもね」
「もう振られたんでしょ? なにやってるわけ?」
「それは……元カレとして、いろいろと相談に乗ってあげてるみたいな? これはその相談の一環というか」
「はぁ~~?」
だんだんと口が開いていく。呆れを通り越してもはや理解不能といった様子だ。
「だいたいなんで相談にのる必要があるわけ?」
「よく言うでしょ、別れはするけど相談があれば聞くよとか」
「えぇ? それってさ、振られたけどいい人っぽく見せようとして、負け惜しみとかで言うパターンじゃないの?」
「負け惜しみ? それこそ意味がわからないんだけど?」
「だ、だからそれは……まだ、未練があるとか……」
姫乃が言いよどむと、スマホから悲鳴混じりの声がした。
「うわぁ、奇行種にやられた~!」
「うるさい」
姫乃は机の上のスマホに向かって言い放った。ぴたっとひかりの声がしなくなった。
アプリを確認すると、ひかりのステータスは退席中になっている。向こうも気づいたらしい。また逃げた。
思ったとおり姫乃は不機嫌そうだ。先に謝罪を入れておく。
「そういえばごめん、今日は」
「な、なにが?」
「いやなんか、さりぎわ怒ってたみたいだから」
昼間の一件のことだ。実はスマホのメッセージでも一言謝りを入れていたのだが、返信がなかった。
「なんかやりすぎだったみたいだから。陰キャだから加減がわかんないんだよいまいち」
「あんたそれ言えば何しても許されると思ってる?」
「僕も迷ったけど、ここでなめられるわけにはいかねえなって」
「なんで急にイキってんの?」
仏頂面で返される。
いつもなら「まったくしょうがないな陰キャくんは~」と言われて流されるのだが、今回はそうではないらしい。
「ってことは姫ちゃん、やっぱりまだ怒ってる感じ?」
「へ? ……い、いやべつに、怒ってはないけど……」
「あれ? ってことは……ガチ照れ?」
「ち、違うわ! トイレいきたくなったんだよ急に!」
座っている椅子のふちを蹴られる。それから背もたれを押して、直希の体ごと椅子をぐるぐると回してきた。
あのときはずいぶんかわいいリアクションだったが、余計なことは言わない。とりあえず怒っているわけではなさそうで安心した。
ひととおり椅子で遊んだあと、姫乃は思い出したように言う。
「あ、そうだ。で、なにがいい?」
「なにがって?」
「成功報酬」
姫乃の目論見どおりではなかったかもしれないが、とりあえずこの件は解決した。しかし報酬とやらは事前に辞退している。
「それはいらないって言ったじゃん」
「んー……じゃあ、今度の連休になんか食べに行く? おごるからさ」
「え? それって二人で?」
「え? 知らないおっさんつれてくる?」
思えば休日に二人きりで出かけたことなどない。幼なじみと言ってもその程度の仲だ。
突然の申し出に面食らっていると、姫乃は急に口元をにやつかせて顔を近づけてきた。
「あれあれ? 二人で……ってもしかして陰キャくん、意識しちゃってるのかな?」
「いやぁ、まさか姫ちゃんがそんな積極的だとは。でもちゃんと避妊はしないとまずいよな……」
「……へ?」
「いやいや冗談冗談」
一瞬姫乃の表情が素になりかけたので、慌てて手をふる。すぐに険しい剣幕になる。
「なっ、なにが冗談だよおもんないんだよ! しょーもない、これだから陰キャは!」
冗談がお気に召さなかったようだ。姫乃は顔を赤くして怒鳴りだした。怒り方が尋常ではない。直希は両手を上げてなだめる。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。ところで今日はなにしに来たわけ?」
「べつに! バイトついでにちょっと寄っただけだけど。もう帰るし!」
姫乃はふん、と息巻くと背を向けた。今のですっかり機嫌を損ねたらしい。そのまま出ていくのかと思いきや、立ち止まってゆっくりと振り返ってきた。
「まあその……あれだ」
「なに?」
「えっとその、今日は……あ、ありがとね」
姫乃は視線を落としてうつむきながら口にした。意外なことに直希ははっと息を呑む。
「な、なに? ぽかんとした顔で」
「姫ちゃん、ちゃんとありがとうって言えるんだ……」
「あたりまえでしょ、人のことなんだと思ってんの」
そうは言うが、彼女から素直に「ありがとう」なんて言われたことがあっただろうか。振り返ってみても記憶にない。
「バイトのときとかめっちゃ言ってるからね? お願いしますとかありがとうございますとか」
「そっか、働くことで姫ちゃんも成長したんだ……」
「ムカつくわこいつまじで」
人は成長するものだ。感慨深いものがある。
とんだ無茶振りではあったが、こうやって素直に感謝の言葉を述べられると、悪くない気分だ。なにやらこみ上げてくるものがある。
(あれ? これってなんか……)
つい最近、どこぞで似たようなことがあったばかりだ。
とりあえず今はお礼に対する返事をする。
「どういたしまして。まぁ僕でよければ、またなんか困ったことがあったら相談乗るよ」
「え? あ、うん……」
「まだなんか困りごとある? 相談ある?」
「や、だいじょうぶだけど、とりあえず今は……」
「ほんとに? 大丈夫?」
「しつこいわ、ていうかなんか怖いわ」
気づけば直希は椅子から身を乗り出していた。姫乃が警戒ぎみに一歩あとずさる。
「じゃあさ……今、ちょっと目閉じてて」
距離を取ったまま姫乃が言った。
相談とも困りごととも違ったが、やけに真面目な口ぶりだ。とりあえず言うとおりにしてみる。
まぶたを閉じると視界が暗くなった。すぐに目の前の気配が動くのを感じ取る。
嫌な予感がした。こっそり薄目を開けようとすると、
「ふーっ」
突然耳元に息を吹きかけられ、反射的に体が跳ねる。
椅子から転げ落ちそうになりながら目を開くと、すぐそばで身をかがめた姫乃と目があった。笑いながら指をさしてくる。
「昼のお返しだよばーか!」
言うだけ言うと姫乃は逃げるように身を翻した。
しかしドアの手前で足をもつれさせて転んだ。一瞬スカートの中が見えた。すぐさま立ち上がった姫乃はスカートを手で押さえながら、なぜか直希をひと睨みしたあと、部屋を出ていった。
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